・作品のテーマ
「心の傷から始められる。諦めさせてはいけない」について。
今回はマナ達の(レーデにも出て来ますが)蹴り、蹴り上げが何故あるのか?ということから、その他についても書いておきます。
マナが受けた急所を狙った傷跡は城の地下からの侵入経路を、侵入者が詳しく知っていたからでした。
王家の剣の使い手のマナは、城の中や特に王室で過ごす白いドレス姿であっても、構わず常に侵入者を退却させています。
双剣の使い手が何故、普段から侵入者を防げるのか、その理由があります。
礼拝堂に侵入者を一ヶ所に集めてしまう程の策士だからです。
その為、マナにとっては敵がどう自分自身を戦ったらいいかは全くわからないのです。剣の使い手と言えども、剣が敵わない敵ならどうしたらいいのか?
自分が有利になる戦い方を貫くしかありません。だから、王家の修練所に集めて(書物庫の壁裏部屋はマナが熟知しています。その話はまだまだこれから第十一話より後に書いていきます。)ナグドを追い詰めたように、限られた空間でなければ、確実に討つことは困難です。その時に剣士なら必要なのが間合いを詰められたら、敵を自分から離す方法です。双剣の使い手のマナが手や腕が剣を握って戦うのだから、自然に脚を使って遠ざけたり、移動する方向も考えなければいけないのです。それで一気に距離を離すのなら蹴り、蹴り上げて飛ばすと言った方法です。つまり間合いを調節して、剣で戦う方法は必ず必要になってきます。敵に近付くのなら、マナは一気に詰めて行きます。
そうでなければ城の中に潜んでいても、場所によっては対処の仕方が変わってしまう。それは近衛兵士達の役目であっても、従事者や召使いの身の安全も確保しなくてはならない。城の中は近衛兵士達が多いですが、自室だけでなく多くの部屋がある(従事者や召使いは相部屋が多いです)ため、城の中は特に厳重ですが、マナは剣士として剣の扱いだけでなく、策士として普段から複数の役目を持っています。王家の剣の使い手に、役目が集中しているのも役目の立場で色々な人から、求心力を得られなければ、指揮官になっても当然戦場で判断がつかず、マナという王女が指揮官として兵士達を率いていくとは成せないかもしれません。幾ら君主といえども、部下が動いてくれなければ意味がないからです。それなら普段から人を惹きつけられてしまうようになるのは当然のことです。
周囲の人達はマナに視線が集まってしまいますが、戦場で兵士ももともと人であるのだから乱戦状態や混乱、攪乱、極限状態になってしまう時に、相手がそれにつけこもうとするかもしれません。君主であり、策士であっても、指揮官の命令に判断がつかなくなってはいけないからです。
城の中は近衛兵士達の目が行き届いていても、従事者や召使いが気を付けているかや、自室にはいつでも城の者達が何かあれば駆けつけるような君主でないと、普段からの信頼が得られないかもしれないからです。命令や規則だけで、近衛兵士達や従事者や召使いの心の中まで浸透する存在にはなれません。その存在であり続ける為にも、人を惹きつける程にならなければいけないのが国をあずかる者の、役目です。
マナはその人としての魅力を持ち続けて来ました。一つ一つであっても。
タルノス国(多民族国家という国であるのは書きました)の夕食会で酷く傷付き、その誤解を受け続けたマナは、共同農地から作物の安定、処刑執行では『断罪の剣(王家の剣の異称)』を以て正義感と、罪人であっても命を大切にする優しさ(王家の剣は体をすり抜けて、命は断たず悪の心を斬ります。内面が変われば罪人にはなりません)、書物庫での勉強家で、王家の修練所だけでなく兵士の修練所で鍛錬しながらも兵士達が戦地に赴いた後に、兵士達の家族を探している国民に寄り添い、救うための策を練り、市場では国民と同じ場で過ごし、身近な王族と呼ばれるようになります。
そして、城の中での生活も保ちながら、城を一人で任せても良い剣士にもなっていきました。
それでも剣士であるが故の戦い方も心得ています。
双剣の使い手になっていたマナは、両手で戦っている時に手や腕、肩で相手を剣でかすめたり、退かせても剣を持っている分、現実的な戦い方として脚を使わざるを得ません。
(兵士舎が元カーシャ国国軍から襲われた時もドレス姿を利用して脚に裾を巻き付けて滑り込みました)それでもマナの研ぎ澄まされた腕や手や指先までを剣術に敵う者が書物庫に一緒にいる、近衛兵士達や特命任命兵士以外にはいません。マナの蹴りや蹴り上げは強くて、間合いを詰められても、蹴りにより相手が、マナから離れさせられてしまい、相手が間合いに入って来ても戻らされてしまいます。
マナは剣の使い手を決める四歳の頃から武器が大嫌いでした。
それでも王室の王族をはじめ、近衛兵士達、側近達にも「剣を弾く」方法で、相手の剣に打ち勝つ方法が自分の戦い方になると思い、武器が大嫌いでも相手の武器を弾くことで手放せる戦法で勝ちます。自分と対峙した時に先手をとろうとするのも同じ理由です。
けれど、剣は近接戦闘です。第五王女チェルエ(弓姉さん)やレーデ弓兵士が用いる弓矢、バクやブルスが用いる槍も、まず人と親しくなることからはじめて、自分で使えるようになりました。
また精神面でも危険を察知しない、気付かないようでは思わぬ相手に対処出来ないかもしれない。だから恐れる必要さを、病気で自分の経験として━━━タルノス国の夕食会━━━━を思い出しながらも、戦いを恐れたとしても(第二話「奇襲返し」ではカーシャ国国軍が襲来したとしても、静観するだけの王室に対して指揮高台から大声で普段言えない王室の皮肉を叫んだり、シェラ弓兵士、近衛弓兵士からも同じようにしてもいいか、とカーシャ国国軍をヴィセ国国軍の大騎馬隊が退かせて、カーシャ国国軍を地平線上まで迎撃して、更に進んだ時に手話と手鏡による信号で、遥か彼方まで進んだ味方のブルス司令官の雄叫びを聞き(ガラ副司令官もいますが南側の監視をシェラにその場で判断するよう命令を下しシェラに許可します。耳がいいマナがブルス司令官が確認したのは城の南バルコニー。)恐れを迎え入れるようになってきました。(第二話「奇襲返し」では、歴戦のブルス司令官が恐れたのはカーシャ国国軍が全方位包囲網で城塞都市ヴィセを攻め入った時です。恐れた時に褒め称えたのも、マナの病気がきっかけでした。第三話(略)でもキュード達には五つの地点に向かって欲しいと伝え、それでもブルス司令官と同時に元カーシャ国国軍が暴れていたことに気付き、書物庫は城の深部ですが、城が崩れてもいい、とまで自分の判断の過ちを認め、すぐに作戦を変更しロークに自分の正しさを確認して、書物庫から出ます。
肉体的にも食事に気を付けています。キュード達にも手作り料理を振るまい、人との関わり合いを、寂しく辛かった元傭兵部隊の三人と、若手の兵士達との関わり合いを持つことで、歴戦のブルス司令官とも楽しく手作り料理を書物庫の食事として食事係を交代制にしました。そして何よりカナティ姉達との時間を振り返るように、早くマナには元気になって欲しく思ったのは家族だけでではなく、アリファンス達からも、将来の為に一緒に話をしたりする場が欲しくて、マナの自室では内緒話をします。この時も食器はまだまだ心の傷から主に木製が多く、手でそのまま食べられる物をアリファンス達が用意しています。軽視されている、というのも表面的な見方です。城の中はわかりません。しかし、周辺国やまだタルノス国の夕食会での誤解はマナにとって残酷な誤解でもありました。その時に同じように周囲の人達が、はじめは表面的なことから相手を理解しようとする筈です。その表面的に見えているのは、いわゆる外見から見たらマナという王女は市場や兵士達の所に時々行っては、城の中で暮らしている、という風に見えるかもしれません。この物語は、誰かの目線でしか書いていないです。その為、登場人物の例となる書き方にはマナと、マナではない人の目線でしかない見方にしました。それは題名の「怪盗ウーメレの旅路」という題名から、きっと誰かが何処かを旅して回る話だろうと思ったのかもしれませんが、意図が違います。最初はキュードという登場人物。瀕死の自分を見捨てず助けてくれた時に、マナはキュードの手を握り、お互い会話を保つことで瀕死の自分の意識が長くなり、その結果城の中にある医局から、医師達や看護師達が駆け付けるまで、マナがキュード理解と受け入れる気持ちを示し、一緒にいる兵士達からキュードが差別されてもマナは真っ直ぐ自分の話を聞いていてくれた。だからヴィセ国が戦場になったら極限状態で暴れてしまう兵士は俺が何とかすると決めたのです。そして相当な剣術の修練をしているとも感じ取ったキュードがもう一つ気が付いたのは、城では一番の実力者かもしれない王女は普段から一体誰に剣術を教わっているのか?という事です。その二つの疑問が、静かな城に不気味な疑問を持つようになります。元傭兵部隊の怖さだけでない恐ろしさが静かな城の中で行われているのは、更に不気味になります。レーデやリサーナも同じように気になり始めます。マナは暗殺者のような者達から、普段狙われているかもしれない、だとしたら、心臓や頭や首をまるでわざわざ狙った傷跡はつかないと思います。その修練を繰り返し繰り返し、当然のように鍛錬しているかもしれない生活を、城の中でしているのかも知れない。それも産まれたのが城の中というだけで行っている、と。誰でももともと判断をして、それが誤解のきっかけになってしまった、というならばお気付きでしょうか?夕食会でタルノス国の多くの民族同士、違うけれども、同じ国民に対してマナはその夕食会までの道のりで、必死になって分け隔てがないように「幸せな食べ方」を自分に問い掛けるようになったのも周囲の人達から誤解を受けてしまいました。良く思って、心配して、ということではありません。悪く思い込んだら人が離れていく。けれども、本人は何も悪くはありません。言わば周囲の人達が何か思い、思い込んで、自分達の価値観でしか判断しないようになってしまうのは、された側や払拭する側にとっては困難です。色んな人達に親切にしてくれる王女なら自分でも護りたい気持ちになって、人を大切にするようになったら違うのは自分達だった、と認められるかどうかです。価値観なんて必要なく、ただ大切にしたいように、自分の大切な人にも大切にすることでしか傷付いた心だけではなく、傷付かされた心の持ち主が、自分達の価値観を持った人を簡単に許せるのでしょうか?後悔は自分のせいです。価値観にとらわれていたのも、自分の判断です。そもそも間違えたのは自分の判断なんです。その悪く思っていた人に対して、悪く思うのは自分達の価値観の為に、自分達からその価値観を出ようとしなかった弱さを認められるかどうかです。その後の自分自身が本当に生きることができるようになるのかも同じです。自分を認めず、他人を単なる作り上げた価値観、誤解の中でいても、自分を正さないのに、どうして相手を理解している、と言えるのでしょう。その価値観を持つ人から「人を憎む心」が芽生えたのが「怪盗ウーメレ」です。この世界の中では「怪盗ウーメレ」は命が何とか繋がるようにしたい人の心を奪うように盗んで命を落とさせる、それが「怪盗ウーメレ」なんです。「怪盗ウーメレ」という正体不明な者がマナの前に現れるようになったのも、食器の扱い方に理解がないわけではなく、誰の為の夕食会であるか?と考えればタルノス国全体を祝うからでしょう。その根本が間違っている人達は、食器の扱い方だけで人を判断したためにマナの心の傷は深くなりました。決してヴィセ城の中ではなくヴィセ城が乗っ取られたら、おしまいだからマナが剣術を鍛錬した書物庫の壁裏部屋での修練や剣舞も繰り返し繰り返し行いました。一時的にでも危険な人物が、その場で思い直す場面もあります。
けれど、心の傷があっても兵士の修練所に通い始めた時は、兵士達の度肝を抜いた剣術やゆっくりと動くことから始めた、書物庫の壁裏部屋の王家の修練所で、家族が見守っていても、いなくとも修練は欠かしませんでした。
その内、王家の修練所の礼拝堂が生まれつきマナが見えていたことに気付いたのが、四歳の食事会から。そして指揮高台で一人で泣いている時も、生まれつき見えている、とわかって来ました。王家の剣の使い手しか生まれつき見えていない礼拝堂は、王家の修練所では決闘裁判がナグドを相手に行われる程です。でもその時も近接戦闘の弱点を蹴りで離すと、双剣での恐れを痛感させられます。ナグドが恐れをあまり感じない事がわかったマナは普段から王家の修練所で見えていた天界の創造神から賜る、時間の流れを見せることにしました。
いつかは誰もが死に恐れがあるように、何度も時間の流れの中が続いてナグドが恐れ過ぎないように、マナはナグドをそっと抱き締めながら、ヴィセ大草原での生と死が巡る光景を見せます。
ナグドは「本当にこのままで良いのか?」と言わんばかりに。
力で押し通して判断させるのではなく、人の心や魂の姿を見せて、マナの本音もナグドに打ち明けます。マナはヴィセ国を苦しめたナグドに、同じ命を預かる指揮官だからこそ伝わる方法でした。そして何かあれば協力すると伝え、いつかは母親になりたい心も打ち明けます。
相手に差し出したからこそ、相手からも受け取れる。
それはマナにも人からの誤解で傷付いたけれども、心の傷から始められると思い、『その先』に見えてくるのは、失ったかもしれない自分自身です。ナグドには指揮官であるが故に冷酷な命令も下さなければいけなかった過去があった事。それにマナが気づいたからこそ、その心の傷を見えるように伝えたかったからです。
そして、自分が失ったかもしれない「人を憎む心」の「ウーメレ」は、自分自身の剣を取った時から、書物庫や何処にでもあって良いと感じはじめ、「ウーメレ」を元の自分自身を取り戻す為に、自分の心に戻るように迎え入れます。
けれど、自分自身を取り戻すにはマナがまず思ったことがあります。
「ウーメレ」のある一言でマナは気付きました。
諦める、という言葉です。
全てが成長と共に移り変わっていくのは人だけではなく、レーデが「母親になる」と決心した時も、このまま帰れないのではと、とても心配で不安になりました。
それこそが「成長」の本当の源でした。
マナは剣が上手くなりたくて、兵士の修練所で師匠になり、ブルスと同じ時に危険に気が付くようにもなりました。それに自身が勝ったことでも重荷になってしまったかもしれない剣の使い手は鍛錬することで克服し、アリファンス達と話しているうちに、もともとの共同農地に行ったり、王室に行ったり、市場に行ったり、王宮に行ったり、東の塔に上ったり、そして本当の指揮官になる為に、泣く度に決意をしてきました。
そして第七王女指揮官マナの剣舞も剣の使い手には欠かせない祈りです。
マナはたった一人で礼拝堂で身も心も捧げる為の意識を高く持ち、王宮での舞踏会の為のダンスや、苦手意識がある食事会、側近達との会議や、一人で抱える国書の山、傷付いた兵士の毒抜き、食事の作り方も覚えました。
それくらい「成長」は大切にし始めたマナが、突然自分(人を憎む心)の言葉で「諦めろ」と言い放ったのです。
諦めたら、今の自分はいなかったかもしれない、と思い「ウーメレ」という幼い頃から自分で自分が大嫌いになる心を離してしまったのか、と思い直して「ウーメレ」さえも受け止めます。
もっと自分らしく生きる為にも、受け止める事は大変で辛いです。
でも「その先」にナグドには内心『怖くはないの。怖いなら私が守ってあげたいから。この光景から決して目を逸らさないで』と抱き締め、帰還後のレーデを『誤解はもう懲り懲りです』と思いながらも抱えます。
その受け止めている姿勢こそが「成長」になるのは、誰もが経験していると思います。思いを通すことは、相手から受け止め続けることが大切です。
受け止めて傷づくのは夕食会のように、相手の誤解かもしれません。
つまり一生懸命に勝るものはありません。何にでも一生懸命にする人は必ず「成長」しているんです。悩むことも一生懸命に悩むのと、行動に移せるかはまた別の問題です。何が時間が流れていく中で大切かと言えば、今の自分が何をしているかに気付く事です。その為の自分の今、やる事もあれば楽しく話しながら食事をしたり、よく寝たりして剣術に励んだりするのは「何でもやってみる」、という可能性を自分で限られた時間の中で続けて、休んで、楽しく食べて日々を過ごす日常です。
キュードは医局で子供達にマナの中央広場で小さい子供の泣き声に気がついたマナの話をしています。キュードは自分とは程遠いと、思って生きて来たら真っ先に子供の泣き声の方へ向き「貴方は優しい戦士なのよ」マナはその子供の方を見て「嬉しくなる。痛い思いをしても痛くなくなったら、立ち上がってまた笑顔で遊べることが嬉しくなる」と聞き、マナに仕えるようになるために直属の兵士になりたいと告げます。マナの君主になるためには、王家の剣(キュードは知りませんでした)を確かめたくて、全身の傷の応急処置に関わった城の医局の手を振りほどき、その人達に抑え込まれた筈でも「俺は名誉とかで戦ってはいない!」と思い見破りました。とても賢い戦士だとすぐに医局も認め、手当てが一生受けられないと思っていたら医局で話をしているくらいになります。ケルは火薬の研究を続けています。バラクはキュードとはまた違った勘が鋭く、説得や交渉が上手い為、先ほどの五つの地点の、第一の地点で腕力が強く、ケルの一言で気絶まで。本棚を見上げてマナに「服の中が見えてしまうでしょう!」と激怒されても、またもや誤解。マナはその後すぐに、長時間調べるのなら、と四人との食事の為に食事を作り、ブルスはマナの食欲不振を心配し、バラクはマナの食事に大喜び、キュードは「素晴らしい食事じゃないか!」と。その後に、レーデと本当は再会していましたが、非公式の為、迎えて貰ったレーデも要塞内部の事は言いませんでした。
全てが時間の流れが進んでいく「成長」です。
休むのではなく、ブランクがあっても成長の一時停止だと思って下さい。
「諦めた」ら「その先」はないのかもしれません。失敗なら、失敗の経験豊富な人にもなれます。心の傷から始められなくとも何でもいいので自分の「成長」を見つめ直してくださいね。
いつも、じゃなくとも、たまに?ただ読んでみようと思っただけ?
何か受け止められるような人になりたい、カンガエル(?)です。
※こういった、サイド・ストーリーがもともとの物語として書き、はじめはどうしようか?と書いております。
だから時間が掛かる、筆が遅い,、のかもしれませんが、スピードだけが物書きではなく、読んだら納得したり、読者様に何度読んでも良い、と言わせたいのかもしれない物書きです。
ゆっくりと読んでいただければ、幸いです。
※下のマナが城の礼拝堂におびき寄せて、剣で戦うワンシーン・その一です。