※日々、波のように、しぶきのように、砕けても砕けても、反復でなく、比類なく。
2821:【カレー注意報】
おいしすぎて人が死ぬ。ミカさんのつくるカレーはこの世の美味という美味の概念を煮詰めたくらいにおいしくて、食べると死ぬ。でもあまりにおいしすぎるので食べたがる者が後を絶たない。みなじぶんで食べて死ぬのだからミカさんが殺人罪で捕まることはなく、ミカさんの作るカレーの成分も毒ではないので、やはり捕まることはなかった。ミカさんのカレーは、その匂いも強烈においしそうに漂うので、半径数十キロ圏内の人間はこぞってミカさんのカレーが食べたい病にかかる。もはやゾンビのごとくヨダレを垂らして集まる人々を追い返す真似は、たとえ自衛隊を動員してもむつかしかっただろう、それくらいにミカさんのカレーの引力はすさまじいものがあった。けっきょくミカさんのカレーを食べて死ぬ者よりも、ミカさんのカレーを奪いあって死んだ者が多くを占め、このときになってようやく国はミカさんのカレーを法律で禁じた。カレーを禁じた、というのもなかなか言語としておかしく映るが、その実、ミカさんにカレーを作るな、とは禁じられず、なぜってミカさんはただカレーをつくっただけで、材料から手法から、何から何まで一般のカレーであるから、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054915033296)
2822:【砂利ですら宝石】
純粋な砂利というのはつまるところ宝石なんじゃないかとミサオは思った。ミサオの性別をここで明らかにしてもたいして本筋には影響しないので、ここではミサオをミサオと述べるに留めるが、ミサオには血が流れていなかった。慣用句の意味で、血も涙もない、という言い方があるがそうではなく、真実生物学的な意味合いでミサオには血が流れていなかった。代わりにミサオの体内には砂利が流れている。液体ではなく固体だ。流体の性質が極めて高い、粒子が流れている。液体にしたところでそれを構成しているのは原子や分子であるので、似たようなものと言えばそうかもしれないし、まったく違うと言われればそれもそうだと首肯するよりない。ミサオの体質はいわゆる突然変異であり、一般的には新種の疾患として扱われる。ほかに同様の症例はなく、ミサオがゆいいつの患者だった。仮にミサオのほかに多くの似た個体があれば、それは進化として認められる変異と呼べたかもしれないが、ミサオ一人だけではまだ厳密には進化とは呼べなかった。ほかの多くの人間たちが水を摂取するのと同様に、ミサオは砂利を摂取せねばならなかった。人間は水を飲む。同じくして、ミサオは砂利を飲むのだ。水道水が、濾過された清潔な水であるように、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054915033467)
2823:【何者でもないけれど】
まだ何者にもなれてないのか、と何度ぼやかれただろう。ひょっとしたらそれはぼやきではなく、皮肉だったのかもしれないし、あからさまな揶揄であってもおかしくはないといまになって卑屈に過去を省みてしまうけれど、ボクはけっきょくその言葉たちのとおり、何者にもなれていない。ボクのほかにも何者にもなれていない個体があればよいのに、みな一様になりたいものや、或いはなりたくないものでありながら誰かにとっては喉から手が出るほどになりたいものになっている。みにくいアヒルの子は最後には白鳥になって飛び立つけれど、何者かになれなければハッピーエンドを迎えられない時点であれはけして夢のある話ではない。シンデレラにしても同じだ。最後に王子さまと結ばれなければしあわせになれないというのならそんな理不尽な話はない。継母たちと円満になれてこそ大団円の名にふさわしいのではないだろうか。ボクがいくら世の至福のカタチに不平を鳴らしても、ボクが何者かになれるわけではなく、ましてや何者でもないままで大多数の、何者かたちの社会でしあわせを掴めるわけでもなく、ただただボクはみなの理想の至福のカタチにイチャモンをつけるだけのひねくれて、いじけていて、卑屈なやつとしての人間性に磨きをかける結果しか生まないようだった。それで以って、いっそのこと嫌なやつの代表格としての名を冠すれば、ボクもとりあえずの何者かにはなれたのかもしれないのに、ボクはちょっとそこらへんの詰めが甘くて、迷子の子どもを放っておけないし、道に落ちている財布は交番まで届ける律儀な性質を捨てきれないのだった。「えっとぉ、あなたはまだ無色なんですね。しかもずいぶんとその、失礼だったらごめんなさいね、適正色彩も薄くて、(つづきはこちら:
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2824:【種は滅ぶ】
気候変動の影響だと最初は目された。植物が急速に絶滅しはじめたのだ。地域差こそあれ、種ごとに一気に枯れた。種子を蒔いても芽吹きはするがすぐに萎れる。それきり実はならず、滅ぶのだ。種の死滅にかかる期間は八か月だ。どの地区に根付こうともいっせいに絶滅した。それが一つの種に限られたものならば、甚大な損害であるにせよ、人類にはまだなす術があった。しかし絶滅の連鎖は留まることを知らず、種をまたぎ、あらゆる植物を地上から一掃しはじめた。人類は焦った。なす術がなかった。ちょうどそのころ、絶滅したはずの植物に似た草花が各地で報告されはじめた。似ているが、違う。姿を消したはずの植物とその新たに発見さた植物群には決定的に明らかな差異があった。葉が青いのである。新種の葉の青い植物は徐々に数を増し、絶滅した種をそのまま補完する勢いで地上を埋め尽くしていく。人類は安堵した。しかし原因が不明だ。束の間の安息にすぎないかもしれない。もっとよくない災害の前触れかもしれない。青い葉の植物の研究は盛んに行われた。並行して、なぜ緑の葉の植物が滅んでしまったのかの研究もつづけられた。やがて一つの仮説が打ちだされる。葉緑体が進化したのではないか、との仮説だ。そもそもなぜ植物は(つづきはこちら:
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2825:【人魚にひれはない】
人魚というよりクラゲにちかい。ひれはなく、半透明で、陸にあがればブヨブヨとつぶれてまともに人型すら保てない。陸人たちのあいだでは人魚姫なる伝説がいまでも、何百年も前から語り継がれているようだが、ざんねんながら、そのような姿形はしていない。下半身が魚、ではないのだ。いちおう、これは陸人の言葉で記録しているので、ここでは私たちを人魚と呼ぶことにする。私たち人魚の祖先はおそらくいったん陸上で人型に進化した。ふたたび海へと戻り、手足を失くし、身体も浸透圧や水圧に悩まされずに済むように、細胞のほとんどを水分にしてしまって、クラゲのようにスカスカの肉体を獲得した。一般にあまり知られてはいないけれど、海洋生物の寿命と体温には密接に相関関係がある。体温が低い生き物ほど長生きで、その分、ゆっくりと動く。反して、体温の高い魚は泳ぐ速度もまた高い傾向にある。そして私たち人魚は、体温を低く保ち、長生きをする方向に進化を遂げた。そのほうが生き残りやすく、また子孫を残しやすかったのだろう。自然淘汰の原理は、陸だけでなく海でも有効だ。いまでは、生命が陸と海のどちらで誕生したのかには諸説あり、両方が生命の起源でもおかしくはないように私は思う。私たちの身体の大きさは、陸人たちの百分の一にまで縮んでしまったが、中枢核から神経回路をまんべんなく身体に巡らせることで思考能力を向上させた。陸人たちの知能と大差はないと想像している。現にこうして私は陸人の言語を操るくらいには学習能力に事欠かず、あべこべに私たちの言語をおそらく陸人は難解に思うのではないだろうか。私たちの言語は波形を帯びている。一つの波紋を生じさせるだけで、そこに多くの情報を載せることができる。陸人たちの言語では「あ」だけでは何も言っていないに等しいが、私たちの言語であれば、その「あ」だけに、きょうあったできごとをそっくりそのまま載せ、伝えることができる。海の中は情報の宝庫だ。私たちは波や水のうねり、水質や水温に至るまでの総じてを把握し、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054917177582)
2826:【屋台、桃、日常】
終電に揺られているあいだだけ、ほっとひと心地つく。いつも帰るのはこの時間帯だ。残業をしない道を探せばよいものを、そんな苦労をさらに重ねるくらいならば、現状を甘んじて受け入れ、終電のスカスカの車内で、夜の帳に沈んだ街並みを眺めているほうが性に合っている。端的に、楽だ。苦労を重ねているから、苦労を避けて、重ねた苦労を継続して背負いこむことを楽と見做す。ばかばかしいくらいに自己破滅型の思考回路だ。判ってはいるが、どうしようもない。慣れてしまったのだ。死ぬまでにはなんとかしよう。きっとそんな契機が、いつかのどこかで訪れるはずだ。他愛もない妄想を浮かべているうちに下車駅に着いた。駅を出て、コンビニに寄り、夜食を購入する。駅の裏手側に周り、人気のない閑散とした路地を辿る。十段にも満たない短い階段があり、そこを下りると、視界の端に明かりが映った。歩を止め、目を転じる。階段の脇に屋台が止まっていた。ふしぎなことに、その屋台には色とりどりの野菜が並んでいた。それでいて看板には、桃あります、とある。屋台の提灯は煌びやかで、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054917225358)
2827:【愚弄するでナイト】
たとえば教室に幽霊がいるとしよう。最初は怖がっていた女子生徒だが、徐々に幽霊と仲良くなっていき、ひと夏の思い出をたくさんつくりながらやがて幽霊の心残りをいっしょに解消すべく奔走し、最後は幽霊は満足して成仏する。ここで明らかになる事実がある。幽霊はじつのところ生徒ではなかった。教師だったのだ。とすれば、短い物語ならそれなりのオチとして、ありがちではあるものの、ちいさな驚きとなる。でも私が遭遇した幽霊は教室にいるのに、生徒でも教師でもなかった。「拙者、仇討ちを済まさねば死んでも死にきれぬでござる」「何百年も前に死んだんでしょ、じゃあその仇のひとも死んでるんじゃないんですか」「前にも言うたであろう、子孫がおるようでな。拙者は子を残せなかったばかりか、仇ばかりがよい思いをして、子孫繁栄しておる。許せぬ」「いやいや許してあげなよみっともない」「何を小娘。拙者の無念を愚弄するか」「あんたのねばっこい怨念が見苦しいって言ってんの」「何をこの、叩っ斬ってくれるわ」「そうやってすぐ頭にきて暴力に訴えようとするから殺されちゃうんじゃないの。じぶんがわるいかもしれないなんてからっきし考えないんだね、そんなんじゃ同情もできないよ。だれもあなたの味方にはならないだろうね」「うるさいわ小娘。おぬしに拙者の苦しみが理解できるものか」「できないよ、そりゃずっと独りで彷徨っていたのは可哀そうだと思うけど」「無実の罪を着せられ、(つづきはこちら:
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2828:【あぶぶ、あぶぶ】
わらわに切っ先を突きつけてくる狼藉者どもが、里の者たちから冒険者、または勇者と呼ばれているのは知っていた。よもや里の者たちが頼んでそれら狼藉者をわらわのもとに遣わしていたとは夢にも思わなんだが、知ってしまった以上は、黙ってはおられまい。わらわは里の者たちを好ましく思っていた。ときには山の棲まう陰に生きるモノどもを遠ざけ、里に近づけぬようにしてきたが、わらわの厚意は無下にされた。天誅をくだそうとは思わぬ。が、これまで配ってきた心は一身に留め、山に棲まう陰に生きるモノどもへの干渉をやめにした。里を庇護すべく、抑止の楯になってきたつもりが、わらわこそが里の奇禍と見做されていたと知れば、ことさら何かを及ぼそうとは思わぬ。このままいけば里は遠からず、陰に生きるモノどもの餌食となるだろう。案の定、わらわの見立てどおり、里は見る間に荒んだ。わらわの怒りを買ったとでも誤解したのだろう、間もなく、わらわの住処の近くに供物が置かれた。大量の食べ物の真ん中に、ちょこんとわっぱがおった。わらわにこれを喰らえとでも申す気か。おいそれと感情を波打たたせたりはせぬわらわであっても、この扱いにはいささか腹に煮え立つものが湧く。かといって里に何かをしようとは思わぬし、(つづきはこちら:
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2829:【作家の性根は腐敗神話】
シャーマンは神の声を聞く。しかしその神の座を奪ってしまったシャーマンがいたとしたら、神への反逆罪でこっぴどい目に遭うのだろうか。事の発端は、開眼の儀式でのことだ。オレは勇者試験に合格し、魔王討伐のための異能を授かるべく、司祭さまの宮殿を訪れていた。そこで開眼する異能は、勇者ごとに違う。個性があると言えば端的だが、どちらかと言えば、同じ異能は二度と顕現しないとも言える。人知を超えた能力が行使可能になるが、いまのところそれで魔王を打ち負かした勇者がいないのは、明らかに我々人類側の劣勢を示している。「初代の勇者は魔王に深手を負わせた唯一の勇者だと習っていますが、どんな異能だったんでしょう」「魔王に深手を負わせる異能だったのではないかな」司祭さまは真面目にそうお答えし、オレにいかづちを落とした。そこで開眼したオレの異能は、シャーマン、いわゆる神との交信を可能とする能力だった。神が実在するとは思わなかったので、これには動揺した。世界の創造主が真実に存在し、そしてその方と意思の疎通ができるとなると、オレの言葉一つで世界の命運が左右されると言っても過言ではない。創造主ならば、魔王とて手も足もでないだろう。頼み方次第では、魔王を打ち滅ぼす手助けをしてくれるかもしれない。もっと言えば、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054917373360)
2830:【言語のない世界】
言語は百年前の道具だ。いまでは誰も言葉なんか使わない。声をだすなんて真似をせずとも意思を疎通し、情報を共有できる。文章だって必要ない。記録の総じては百年のあいだに徐々にベーズへと移行し、いまではほとんどの人類の記録がベーズ上にある。むかしは手紙や日記と呼ばれるものを個人が言語を用いて記録していた。ちょうどこれがその模倣と呼べる。僕は考古学者として、言語を研究している。おそらく言語を読み書きできる人類はいまでは僕だけだろう。こんなにまどろっこしく、複雑な記号の組み合わせは、さすがにベーズ変換を用いずに読解することは適わない。多くの人類はもはやこの言葉の羅列を見ても、模様のようにしか見做せないはずだ。言語とは人間の読み書きするもの、との認識を得ている者すら皆無だろう。DNAの塩基配列を見て、誰もがベーズを介してそこに記されている遺伝情報を読み解ける時代にあって、あまりに汎用性がないために、ベーズですら言語を解析対象と判じない。ベーズ変換でわざわざ解析範囲を指定しなければ、言語がどこにあるのかすら分からない者が大半のはずだ。木目と言語の差異などあってなきがごとくだ。言語は、他者と情報を共有するための道具だった。いまでは、ベーズがその役割を担っている。ゆえに僕以外では言語を扱える人類はない、とくどいようだけれど繰りかえしておく。というのも、僕以外に言語を介せる者がいない事実は、(つづきはこちら:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054917414577)
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参照:いくひ誌。【2141~2150】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054890452293