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いくひ誌。【2601~2610】

※日々、未来への憧れが色褪せていく、失望との違いに思いを馳せる。


2601:【だめだめだぁ】
ちいちゃいころはバニラアイスとかラーメンが苦手だったのだけれど、さいきんはバニラアイスおいしいし、ラーメンも食べたくなる。バニラアイスは雪見だいふくのバニラ味が好きで、棒アイスでもこの味に似たのを見つけたのでうれしいうれしい。ラーメンは味噌味が好きで、麺はちぢれの太いやつがいい。うどんかってくらいに太くてもよいと思うけどまだそこまで太いのは食べたことない。あ、うどんも好き。なーんにも具が入ってなくてもうどんは薄めた麺つゆさえあればおいしいから胃もたれしないし、おなかいっぱいになるから好き。でも糖尿病になっちゃいそうな気がするからあんまりまいにちは食べないほうがよいのかな、って気もしてるけど、関係ないのかな。よくわからん。去年から紅茶にはまってたけどさすがにちょっと飽きてきたのでひさしぶりにインスタントじゃないコーヒーを淹れて飲んだらおいしかった。おいしいってすばらしいな。楽しいと美味しいに囲まれた暮らしをすごしていきたいな。何かをつくるよりもただただ楽しいと美味しいに囲まれてたらそれだけでいい気がするな。なんで何かをつくりたいと思うのだろ。楽しいからだとは思うけれども、じゃあ楽しくなかったらやらないのかと言われれば、そうだね、やらないな。というわけで、いまは創作楽しくないので、やーめたって、サボっちゃう怠け者のいくひしまんでした。


2602:【損なわれた気持ちになるのは理解できるけれども】
パクリ問題に関してはもうすこし模倣という行為に対して寛容な世のなかになってもよいのではないか、と感じることがすくなくない。訴訟を起こして勝てるくらいのレベルで利益を損なわれ、なおかつオリジナルと勘違いされるくらいの模倣度でないかぎりは(言い換えれば、誰が見ても同じ作者の手による成果物だと判断されないかぎりは)、技法が似ているとか、一部分が酷似しているといった程度の「かぶり」や「真似」であるのなら許容したほうが好ましいのではないか、と考えている。これは一般化できないし、するつもりのない個人的な所感だが、他人においそれと真似される程度の技術は高が知れているし、真似されたくないのならつぎは誰も真似できないようなものをつくればいい、と考えてしまう(もちろん発想や閃き、工夫の価値を低く見積もっているわけではない。むしろ生みだされた技術や成果物そのものよりも発想や閃き、工夫のほうが個人的には価値における比重が大きい)。いっぽうでは、社会的に有用な技術の大半は誰が真似をしても一定の高いレベルで再現可能であるからこそ普及しているわけで(たとえばパンの作り方のように)、それら汎用性の高い技術を生みだしたひとがその手法を独占してしまえば社会の発展を阻害しかねない。もちろん無闇に他人の成果物を真似して、利益だけを吸いあげる所業もまた社会の発展を損なう方向に働きかけるので(つまり、じぶんでつくるよりも他人の成果物をそのまま無断で流用したほうが効率がよいため)、権利を主張することがいけないと言っているわけではない。とはいえ、完璧なオリジナルでなければダメだ、元ネタなんてもってのほかだ、素材がわからないくらいにぐちゃぐちゃに咀嚼したうえでじぶんなりのオリジナルを生みだせ、というのは無茶である(じぶんで目指す分には構わないが、他人に押しつけるべき指針ではないだろう)。創作の分野を委縮させかねない。いくらでも真似をしたらいい。優れた技術はシェアすればいい。そのなかでうまい具合に創作者の利益を保てるような仕組みをつくっていくほうが、長い目で見て創作の分野の発展に貢献するのではないか。パクリはいけないかと言えばそんなことはないだろう。パクれるならパクればいい(パクれるくらいの技量があるならば、の話だが。加えて、それでお金を稼げるか、稼いでよいのか、はまた別の話だ)。そのなかでじぶんなりの創作ができたら御の字だ。そのときは、素晴らしいそれを他者にもシェアをする「懐の豊かさ(二重の意味で)」を持ってほしいと望むところだが、これは個人的な願望でしかないので、じぶんの生みだしたナニカシラをどう使おうが、それは権利保持者たる創作者の自由だ。誰にも渡さない、と独占する選択肢もある。ただそんな人物であれ、数多の創作物からの影響を受け、知らず知らずのうちに模倣をしていることには自覚的であってほしいものだ。自然はけしてオリジナルを主張したりはしない。芸術はでは、どうだろう。(他者の利益を損なう行為を推奨しているわけではありません。誤解なきようにお願いいたします)


2603:【性格わるいのバレちゃうよ】
ねえねえいくひしさん、もうちょっとでいいからカチンとこない物言いにしてみない? 誰も読んでないからって、読むのがじぶんだけだからって、乱暴な言葉づかいする必要はないんじゃないかなって。気をつけよ? ね?


2604:【文化ごとに芸術の在り方は異なる】
教育(文化)の問題と、芸術(創作)の問題は理想としては切り離して考えていきたい。現実の話としてはこれがなかなかに不可分で、癒着していて、どこから切れ目を入れて筋を通せばいいのかの目星をつけるのだけでもお手上げなのだが。(そこにビジネスの視点が加わるととたんに複雑さが増して、解くべき問題としてすら機能しないで感じられる。ビジネスにした時点でもうそれは芸術ではない、とすればいくぶん考えるのが楽になる。それが正しいという意味ではなくね)(或いは、模倣の是非は芸術の問題として扱うのはそもそも不適切なのかもしれない)


2605:【敬意なしにつくれるものでしょうか】
模倣の是非を、教育(文化)の問題として捉えてみましょう。先人の作品を素材にするにしても、模倣するにしても、参考にするにしても、まずはそこに礼節を以って、敬うことがだいじだ、とする文化を育んだとします。ここで問題となるのが、形式を守ればそれで先人を敬ったことになるのか、という点です。誠意や尊敬などの念は往々にして、それを受け取る(感じる)側が認めなければ「無いもの」として扱われる傾向にあります。しかし相手に伝わるにせよ伝わらないにせよ、当人の胸に湧いている感情があるのならばそれは無視しないほうが好ましい機微と言えるのではないでしょうか。何かを見て心を動かされ、その何かの真似をしたい、じぶんでもつくってみたい、カタチにしたい、と湧きあがった衝動は、形式的で偽り可能な誠意や尊敬の念よりも、より尊重すべき態度に思えます。(また、先人を敬いましょう、と教育することと、芸術を追求することのあいだには、いかほどの因果関係があるのでしょう。先人を敬わなくてもいい、と言っているわけではありません。ただ、考える余地はありそうではないですか、と疑問に思ってはいます。もちろんこれは、芸術と美術の区別もろくに説明できない素人がゆえの戯言ですので、真に受けないように注意してください)


2606:【偏り】
模倣の是非に関して粗く考えてみたところ、どうやらいくひしさんは未熟な側に肩入れをしてしまう傾向にあるみたいです。これが心情からくる甘さなのか、それとも理屈からくる非情さなのかは、いますこし考えを煮詰める余地がありそうです。


2607:【それや!】
わかった。まんちゃん、じぶんが未熟だからって、未熟な側に肩入れしたいだけでしょ。正義の味方は嫌な癖に、未熟の味方はいいんだ? そういうのなんて言うか知ってる? 判官贔屓って言うんだよ。依怙贔屓でもいいけど。


2608:【そんなんじゃないやい】
いっぱい遊べるほうがいいだけ。縛られたくないだけ。


2609:【ネタ】
妄想でしかないが、模倣の是非はビジネスの範疇だ。次点で、経済の影響下で発展を遂げることが可能な文化の範疇と呼べそうだ。おそらく経済が生まれる前には模倣を禁じた歴史はなかったのではないか。むしろ一つのオリジナルを量産(コピー)させる方向に流れが強化されていたと妄想したくなるが、じっさいのところはどうなのだろう。大別できるほど単純な歴史を辿ってきたとは思っていないが。それはそれとして芸術と模倣の関係を辿るだけでも一つの長編小説をつくれそうだ。おもしろそう。


2610:【むつかしい】
浅い考えしか巡らせられない。ちゃんと歴史をお勉強しなきゃだ。というか、歴史ってなんにでもあるのだよなぁ。そんな単純なことにも気づかなかった。あんぽんたん。


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参照:いくひ誌。【1501~1510】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886633113

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