※日々、いちばんしたい希望がもっとも避けたい絶望で、打ち消し合っては何も残らぬ。
2591:【ズレ】
基準がいまではなく死後のひともいる。死んだあとのことを考えていましておくべき作業を優先して行う者の行動原理は、その基準がどこにあるのかを知っている者からすれば解かりやすいほどに自明なのだが、基準がズレていると気づかぬ者には理解の範疇にない行動に映ることだろう。往々にして理解できないとは、視点や基準のズレの無自覚から引き起こる。基礎とはそうした基準のなかの一つと言ってもよいかもしれない。(言い換えれば、基礎の系統が一つとは限らない)
2592:【溜まりすぎているので】
ことしは未完の自作小説を閉じていく年にするので、新しく短編や掌編や長編はつくらないようにします。息抜きの一年にするぞ(いつもやん)。
2593:【ちんぷんかんぷん】
光は真空以外を通ると遅くなる。水のなかに入ると屈折するのはその影響でもあるようだ。疑問なのは、光の遅延は物質の重力に作用されて起こる現象なのか否かだ。言ってしまえば、相対性理論における重力と時空の関係として解釈してよいのか、がよく解からない。単にカーテンに光を照射すると光の進行を阻害されて裏側にでてくる光量が減ることと同じ現象として捉えてよいのか。それとも、それとはべつで、重力変移の影響によって生じる光速の遅延と捉えるほうが正確なのだろうか。或いは、光は電磁波の一種であるから、物質を構成する無数の電子に作用されて遅延が生じるということなのだろうか。これらすべてが影響している可能性もあるし、ほかのメカニズムで光は真空中がもっとも速く、それ以外では遅くなるのかもしれない。ほかにも、光の遅延には二種類ある気がしているのだが、どうなのだろう。上記における光の速度そのものの遅延と、ドップラー効果に代表されるような波長の収縮(や拡張)の二種類があるのではないか。後者の波長の変移の場合は、光速そのものに変化はなくとも生じ得るし、光速が変化しても波長は変わるので、そこのところはどのように区別して扱っているのだろう。音速にしても、密度が高いと音は速く伝わる、と説明している文章を見掛けるけれども、音は密度が低いほうが本来は速く伝わるのではないか(なぜなら音波を邪魔するものが少ないほうが波は伝わりやすいはずだから)。媒質がゼロにならないかぎりは光と同じで、真空にちかいほど波は伝わりやすいはずだ。ただ、密度の低さよりも、体積弾性率の高さ(つまりチカラを加えてもなかなかカタチが変わらない性質――言い換えれば、物質の硬さ)のほうが伝播速度に影響するので、結果として体積弾性率の高い傾向にある「密度の高い物質」のほうが音を速く伝えるだけではないのか。光には音のような媒質が存在しない(とされている)ので、この体積弾性率を考慮する必要がないために、真空中ほど速度が増すのではないか。真偽のほどをいくひしさんは知らないので、真に受けないでほしいところだが、ここで述べたいのは、毎度のことながら本当にいくひしさんには解からないことばかりで、しばらくはいろいろなことに関しての疑問を溜めていく作業に終始して、あまり知識をつまみ食いせずに、基礎から学んでいくようにしたほうがよいのかもしれない、と思いはじめている。台形の面積すら求めるのが怪しいので、ちゃんと算数からお勉強しなきゃだけれども、しなきゃな、と思うとしたくなくなる己があまのじゃくにはほとほと呆れてしまいますな。妄想もたいがいにしたいところだけれども、妄想の余地しかないので、いましばらくは妄想を楽しむよりないのかな、とやはり呆れてしまいますな。(上記の光や音に関する記述は精確ではありません。あやふやな情報を組み合わせた妄想のようなものですので、間違っても正しい知識として憶えないでください)
2594:【濾過装置はスカスカ】
感覚的な話なので、それわかるわー、ってひとはあんまりいないと思うのですけど、文章を並べるときにスラスラいくときはたいがい、あたまのなかの濾過装置とそこを流れる液体の相性がよいときで、こう大小さまざまな石ころが砂利みたいに詰まっていて、そのあいだを液体が流れ落ちていくときに、液体がスルーっと一本のミミズみたいなスライムみたいな線となって流れ落ちてくれるときはスラスラと文章を並べられるのだ。その点、濾過装置の砂利を細かくして、純粋な液体を濾しとろうとすると、液体は線とならずに、ぽつりぽつりと点となって、しずくとなって、砂利と砂利のあいまをぽてんぽてんと点々と、散り散りに落ちていくので、あんまりスラスラとはいかぬのだ。ただ、濾過装置の砂利を細かくすればするほど液体の純度は高くなっていくので、ぽてんぽてんの点々がよくないとはいちがいに言えなくて、濾過装置の砂利が大きければそれだけ不純物が混じったまま落ちていくので、つむがれた文章もそれだけこうしてざっくばらんに曖昧模糊やねん。
2595:【あ”ー】
じぶんのつくった小説を読んでおもしろいと思えたらもっといっぱいつくれるんだろうな。小説つくるのは、つくり終えたときにいつももっかいつくりたいなってなるからたぶん楽しいはずなんだけど、じぶんの小説読んでもあんまおもしろいとは思わんのだよな。拙すぎる。もっとツルツルしててほしい。ガチガチでデコボコでザラザラしてる。なめらーかで、つややかーで、するする読めるのがいいな。ぐんぐん読めるのもよい。すーっと沈んでいくのもいいぞ。でもじぶんのはなんだろうな、こう、表面がざらざらしてて、通路が狭くて、歩くといちいち服が引っかかってじゃかぁしいわってなる感じあるから、どうにかしてほしい。しろ。はい。
2596:【想像と妄想】
想像と妄想の違いは、論理と飛躍の違いと言ってもよいかもしれない。たとえば物体はさまざまな原子によってできている、といった考え方を知ったとする。じゃあその原子を構成するものはなんだろう、原子だって物質にとっての原子のようなものの組み合わせでできているのではないか、と考えることが想像だ。つまり、前提条件を踏まえて、さらにそのさきはどうなっているのか、と考えるのが想像と言えそうだ。反して妄想は、物体が原子によってできていると知ったとしても、それはわかったけれどもそれはそれとして、ひょっとしたら物体ってすべて同じもので、違っているのはそこに宿る魂――念――情報――であって、本当はぜんぶ粘土みたいなもので、風みたいなもので、情報を与えてやればどんなものでもその情報に沿ったカタチや性質を帯びるんじゃないの、と考えるのが妄想と言えそうだ。前提条件をよこちょに置いて、まったく異なる考え方を採用してみる。妄想とは飛躍のなせる業と言えるのではないか。ということは、見方を変えれば、妄想は脈絡の断絶と呼べるのかも分からない。思考の筋道をいったんぶつぎりにして、再スタートをする。その点、想像はある程度の方向性の揺らぎはあるにしても、進化の系統樹のように、或いは線路のように、思考の道筋はすべてどこかと繋がっていると言えそうだ。そうは言っても妄想が飛躍であり、思考の断絶である以上は、崖や谷のように、こちらとあちらを司る別々の思考の基盤――足場が不可欠だ。妄想はそれ単体で成立することはできず、必ずどこかしらに想像の余地を残していると考えられる。もうすこし言えば、妄想ですら、その妄想を基盤として筋道をつけて考えていけばそれは必然的に想像を帯びていくと言えるだろう。妄想にしろ想像にしろ、どちらも相互に補完し、促し合い、広がる余地を育んでいく。
2597:【どこもかしこもずぶずぶですね】
政治とはつまるところ人間関係だ。仮に、じぶんたちに都合のよい人間関係を築くことを政治としてくくるとすれば、世のなかのすくなからずの組織問題というものは、あらゆる解決策を通じて副次的に人間関係を強化しようとする「手段と政治」の抱き合わせ商法が、単純な物事を複雑にしている根本的な瑕疵となっていると言えるのではないか。手段の是非と、その手段を通じて組織の権威の拡大を図ろうとすることの是非は本来であれば別々に評価分析すべきだろう。ここを同一視してしまうから、いろいろとこじれるのではないか、と浅い所感を覚えてしまうくらいに、みな、組織(グループ、派閥、繋がり)というものに縛られすぎに思える。垣根ばかりをいたずらに分厚くして、いったい何をしたいのだろうね。(組織に属することがわるいと言っているわけではない)
2598:【案外むつかしい】
自己批判くらいじぶんでできるようになりたいな。
2599:【やさしいひとが多いので】
まんちゃんはほんとーに棚上げが上手ね。じぶんだけは許されると思ってるんだから。
2600:【やばいやばい】
そういうことではないと思う。自虐や皮肉を自己批判と勘違いしているのならそれはそれでヤバない?
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参照:いくひ誌。【1211~1220】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054885430688