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いくひ誌。【2561~2570】

※日々、ひとの真似をして生きている、頭から皮を被る擬態でもあり、お手本をゆびでなぞる模倣でもある。


2561:【シャイなのね】
文体というものが何を示すのかが茫洋としていて掴みどころがなく、それゆえに小説のおもしろさを語るうえであまり使いたくのない単語である反面、どうしても便利なので使ってしまう己が語彙力のなさに呆れつつも、それでも「文体がある」の五文字から匂いたつ意味合いとしては、おおよそその語りであるならばどんな物を語らせてもおもしろいだろう、との予感を抱かせる文面とすればそれらしいように思うのだ。物語にはその物語にあった文体がある、とする言い方とも矛盾してはおらず、おのおのの物語に見合った語り口におのずとおさまっていくだろう、変質していくだろう、さながら川に浮かべた笹船のように、といった塩梅で、たったひとつの物の語りを目(耳)にしただけでも、その変容の具合を否応なく幻視させる文章が文体なるものの内訳であるように感じなくもない。しょうじきなところ、文体が何を示すのかはさっぱり塩味であるが、ああこの文章であんな物語をつむいでもらえたらな、こんな物語をつむいでほしいな、とお代わりをしたくなればもう、それが文体であると言ってもよいのではないか。要するに、好きですとかお気に入り、の言い換えでしかないように思うしだいだ。なかなかどうしてみなさん、婉曲表現が「お好き」ですね。推しだけに。推す気まんまんなんですね。


2562:【ぽんぽんあたたかくしてね】
やあやあ、いくひしさんでござる。おひさしぶりでござるなあ。さいきんいくひしさんはパスタばっかり食べていて、さすがにそろそろほかのも食べたいなってなったからお好み焼きをつくったでござる。で、きょうはちょっとためしにチーズをいれてみたでござる。パスタでもチーズをかけて食べてたのでそうしてみたでござるが、これがまたお好み焼きとあうでござるな。フライパンさんのうえで溶けたチーズがパリパリになって、これはちょっといつもよりたくさんパクパクしてしまったでござる。もうもういくひしさんってばコホコホ咳がとまらないコケコッコーでござる。それは咳トリでござる。伝わらなかった気がするので説明いたしますとでござるけれども、おなかがぽんぽこりんなのはおすもうさんで、おすもうさんは関取と言うでござるから、それと咳をする鳥さんとでかけて、咳トリっていうギャグだったんでござるけれども、ひょっとしてつまらなかったでござるか? まったくぜんぜん伝わらなかったでござるか? それとも伝わったけれどもおもしろくなかったんでござるか? フリでいいのでわらってほしいでござる。ありがとうございますでござる。なんかちょっぴりはずかしくなってしまったので、もうきょうは寝るでござる。いまのやりとりはなかったことにしてほしいでござる。あやとりが得意なのはのび太くんでござる。目を閉じたら秒でぐっすりぐーぐーなのはいくひしさんも同じでござるよ。見ててほら、ぐーぐー、コホコホ、でござる。コホコホなんだか咳がじゃまで寝られないでござる。こうなったら咳トリの出番でござるよ、ぽんぽこりんキミにきめた、でござるー。


2563:【望むばかりで益体なし】
好きな創作者さんが傷ついている姿が可視化されやすいいまは時代だ。傷ついていると判れば元気づけたり、相応の対処を講じてあげられる点では必ずしも負の側面ばかりが強化されているわけではないが、たいがいは急にぽんとこれまでの活動を切りあげて、それっきり、といった具合に突如として可視化されて、彼ら彼女らの創作物が好きな側はただただぽっかりと湧いた喪失感と、後の祭り気分を味わうこととなる。絶望を知ることで希望をもらっていたのだとまざまざとつきつけられるわけだが、かといって前以って彼ら彼女らが傷ついていたと知っても、創作物を愛でたり、商品を購入する以外では、彼ら彼女らの成果物を布教するほかに、してあげられることはなく、またすべきではないように思うのだ。おのおのの創作者が望む布教よろしく反応の仕方だってあるだろうし、むつかしいな、とよくよく思う。創作をずっとつづけてほしい、と望むことだって創作者側からしてみればずいぶんとかってで傲慢な望みに映るかもしれない。やめたくてやめるわけではないのだ、と憤る創作者さんだっているだろう。いまさら応援されたって仕方ないんだ、といじけてしまう者もいるかもしれない。ただ、すくなくとも「いまこの時代」ではないかもしれないけれども、創作物を残してさえいれば(そしていまは低コストで後世に成果物をデータで残しやすい時代でもあるから)、いずれ残したそれに救われる者だってでてくるかもしれない。すくなくともいくひしさんは、好きな創作者さんの創作物に日々救われている。救われているからこそ、こうして誰が読んでいるのかもわからない、高確率で誰も読んでいない日誌で悪態を吐くくらいで済んでいる。物理的に赤の他人を損なわずに済んでいる。傷つけずに済んでいる。奪わずに済んでいる。もちろん物理的でなければ(つまり遠距離で間接的で、ときに電波越しに、或いは回り回ってであるならば)無視できないくらいの規模で、多くのひとを損ない、迷惑をかけ、奪い、傷つけているけれども、それでもそこからさきの一線を踏み越えずにいられるのは、社会からの恩恵と、やはり好きな創作者さんの創作物を目にし、手にし、愛でていられるからなのだ。本当にありがたいけれども、それを言葉にして伝えるのには抵抗がある。なんだ、その程度の想いなんだね、と誤解されたくないし、そう思うことで気持ちを伝えないことについても、その程度の想いなんだね、と言われてしまえばそれまでだけれども、だいじな想いだからこそなかなか伝えられないことはあるのだと知っていても損はないのではないか。勘違いされたくないのだ。偽りたくはないのだ。しかし言葉にしてしまったらもう、それはここに、この身体のなかに渦巻いているこれとは違ってしまう。百分の一でも、千分の一でも、一億分の一でも伝えたほうがいい、伝えたい、と欲する気持ちも理解できるけれども、そうした想いを告げられても煩わしいと感じるひとだってもちろんいるだろうし、やっぱり自己満足で相手のひとに直接言葉をぶつけるのは、なんだか死角から石を投擲するようで忍びない。なんにせよ、創作者でありつづけることがしあわせだとは限らないし、当人が本当に傷ついているのかもはたからでは判らない。案外、創作の日々から遠のいてスッキリしているかもしれない。真実がどうであれ、彼ら彼女らの創作物にいくひしさんが救われていた過去は変わらないし、これからもそれら創作物はどこかで誰かへと影響を及ぼしつづける。もちろん誰かに何も及ぼさずとも構わないが、いくひしさんの好きな創作者さんには、せめてインターネット上からじぶんの創作物のデータを消すのだけは思い留まってほしいと我がままに、せつに、傲慢に、いっぽうてきに、なんの対価もなく都合よく思う、本日のいくひしさんなのであった。


2564:【おまえなぁ】
己の弱さを誰にも手を差し伸べない理由に使ってんじゃねぇぞいくひし。


2565:【どっちでもよくない?】
なんなのその手を差し伸べるって。どんだけ思いあがってんの。そのまま打ちあがってお月さまにでも転校したら。誰よりつよさにこだわってんのあんたじゃん。


2566:【おまえがそれを言う?】
あーあー、やめてください、やめてください。それ以上、幼稚なケンカをするのはやめてください。不平を鳴らすなとは申しませんが、せめて暴言を使わずに、相手の考えも尊重して、謙虚にまいりましょう。ね? そっちのほうが楽しい日々をすごせると思いますよ。言われるほうも、言うほうも。


2567:【ああそっか】
いくひしさんはやっぱりじぶんの感情とか気持ちがいちばんだいじで、だからこそ、そうした感情や気持ちをだいじに思えるようになる契機をくれる創作物のことが好きなのだ。創作物が好きなのではなく、それを受動することで生まれるじぶんの感情や気持ちが好きなのだ。理屈にしてもそうだ。理屈そのものが好きなのではなく、それを使って得られるじぶんの感情の起伏、もうすこし直截に言えば、納得や発見を得た際の感情の揺らぎが好きなのだ。揺らいでいたいのだ。じぶんがいちばんたいせつだから、じぶんの気持ちを誰かに伝えようとすることに抵抗があるのかもしれない。じぶんの外側にだすことに臆病になってしまうのかもしれない。


2569:【努力が足りんね】
去年は日のノルマを千文字にしていたので、ことしはその半分の五百文字にしています。どんどん半分にしていこうと思います。はやく文芸から足を洗いたいのです。おやまあ、誤解のある言い方になってしまったかもしれませんので付け足しておきますと、文芸、好きですよ。大好きです。ただ、そんな大好きな文芸よりも好きなものが見つかったらそっちのほうがよいじゃありませんか。どんどん好きなものを増やして、日々を「楽しい」で埋め尽くしていきたいと思っています。楽しく日々を過ごすのが目的であって、その手段は問いません、文芸にしがみつくのは手段と目的が逆転してしまって、これはいくひしさんにとっては好ましくない事態となります。したがって、文芸にかける時間を増やすよりも、もっとほかに楽しいことやものはないかな、といろいろと試して、探すほうに時間をかけたほうが道理に適っている気がします。ただ、いくひしさんはいちど「これ!」と思ったものに固執しがちな性質ですから、斟酌せずに言えば依存体質でございまして、こうしてもっと周囲に目を配っていきましょうね、もっとほかに何か「楽しい」がないかを探していきましょうね、とじぶんに言い聞かせていかないことには、どんどん視野が狭くなって、楽しいはずの「何か」が苦しいの原因になってしまったり、身動きがとれなくなっていたり、そのことに無自覚になってしまったりするので、やっぱりこうしてもっとほかの楽しいにも目を向けていきましょうよ、と言い聞かせていかないことには、目的を達成できないのです。はやく文芸よりも楽しいものに出会えるとよいですね。日々のいくひしさんにはこれからもがんばってほしいと思います。役割を終えた本日のいくひしさんでした。


2569:【無知でかなしい】
小学六年生までのあいだに習うことの大部分をいくひしさんはぼろぼろとりこぼしてしまっているので、端的に憶えておらず、習得していないので、なんとか生きているあいだに網羅できるくらいにはお勉強をしていきたいな、と思うのだ。謙遜でも自虐でもなんでもなく、本当に本当にいくひしさんはあんぽんたんなのだ。これは事実なので誤魔化しようがない。都道府県名を漢字ですべて書けないし、たぶん控えめに言って半分も書けないだけでなく、口で言うだけでも一苦労だ。算数にしても鶴亀算ですら、あっぷあっぷというか、ふつうに解けなさそうだし、もはや社会の授業で何を習ったのかすら思いだせない。歴史上の人物とか何をしてどうして亡くなったのかもほとんど知らない。織田信長は殺されたの? 自害したの? どっち? こんなレベルだ。なんかこうして並べていると無知を自慢しているみたいになっちゃうけど、そうじゃなくて本当に教養というかもはやこれは常識の範疇なのだろうけれど、知らないことが恥ずかしいので、いまがんばって歴史の本を読んでいます。えっと、戦国時代? 1600年くらいの日本での、キリスト教徒への弾圧というか迫害というか、虐殺というか、拷問ざんまいの文章を読んで、うーひどいよひどいよって思いながら、えーっ天草四朗時貞って実在したのーっ!ってびっくりしている。アマテラスなんちゃらってひとみたいに伝説上の人物かと思ってた。あれ、アマテラスなんちゃらのひとは実存したのかな。よくわからなくなってきちゃった。なってきちゃったっていうかわからないからお勉強しなきゃなんだけど。もうぜんぜん読んでいても、あたまに入ってこない。よっしゃ読んだぞ、と思っても百分の一も憶えられない。固有名詞が全然だめだ。何年に何があったとかの記述が憶えた矢先から抜けていく。それもう憶えてすらいないんじゃないの、ってじぶんでじぶんにつっこんじゃうよね。ちゃんとノートに書いて憶えなきゃだ。読んで、ふんふん、ってだけじゃダメみたいなので、ちゃんと文字を書くぞ。字、とてもうんと汚いので、それもちゃんときれいな文字で書けるようになりたい。なるぞ。


2570:【恥ずかしいのは目を背けているから】
無知が恥ずかしいのではなく、無知を自覚していてなおそれでもいいじゃんいいじゃん、とじぶんの無知から目を背け、学ぼうとしない姿勢を十何年も貫いてきてしまった過去のじぶんが恥ずかしいのだ。無知そのものは恥ずかしくないよ。ただ、知らなくたっていいじゃん、あんぽんたんでもいさぎよし、とするじぶんの無知の放置が、その性根がなんだかあんまりかっこよくないのかなって。あんぽんたんでもよいけれど、あんぽんたんならあんぽんたんなりにすこしでもかっこよくありたいよね。ダサくてもダサいなりに、じぶんの好きなダサいがよいなあ。


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参照:いくひ誌。【121~130】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881501669

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