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いくひ誌。【391~400】

※日々の暮らしが「私」を上書きし、そして過去の「私」を消し去っていく、埋もれるでもなく、薄れるでもなく、消え去っていく過去の「私」はいったい何のために生きていたのだろう、あすの「私」は何を思い、きょうの私を振り返っては、同じ哀しみを抱いてくれるだろうか。


391:【PC】
スマホを持っていない。だのでさいきんのWEBサイトがどんどんスマホ向けになっていくたびに時代に取り残されていく感を味わう。いまの時代、時代の加速度を感じるのは容易ではない。人類史に類をみないほど時代が加速しているいまにあって、渦中に身を置いている者ほどその加速度を実感できない傾向にある。時代の流れにも相対性理論は適応されるようである。いくひしはこれからどんどん時代に取り残され、そして時代の加速度をその身が引き裂かれんばかりの痛痒を覚えながら覚えるのだろう。じつにぜいたくな痺れである。


392:【実力】
何かを成功させるためには人間関係がよくないといけない。そういう言説がある。現実の一側面を言い当ててはいるだろう。パトロンがいなくては創作者は生きていけない、何かを創りつづけてはいけない。しかしそんなのは創作そのものには関係ない。人間関係がだいじ? お金がだいじ、という言葉とさして変わらない気がするのはきっと気のせいではない。お金はだいじだ。しかし、あれば作品の質があがるかというと、そうというほどでもない。本質を誤魔化す言いわけに他者を使うのはいかがなものか。


393:【いかんでしょ】
組織がまちがった判断をしたときに、それ間違ってますよ、と一個人が唱えてもどうにもならない。天網恢恢疎にして漏らさず。その判断をしたからには、「もしも」が起きたときの覚悟ができているということなのだろう(できているのか?)。責任逃れか、或いはミスによる損益をカバーするだけの資本的体力が組織にないか、最悪の場合、認識できていない規模で恒常的に同様の失態を重ねていたか、それを公にしたくないがために問題ないとする判断をくだしたのか、いずれによせ、組織は組織を生かすためにまちがった判断をくだすことが多くある。そうした組織の間違った判断の悪影響を受けるのは従業員ではなく、往々にして市場の顧客たちである。組織の愚かさのツケを、客が知らぬ間に支払わされている構図が蔓延している。じつに嘆かわしいことである。


394:【五十嵐大介】
五十嵐大介さんの漫画「ディザインズ1~2巻」が色気ありすぎる。環世界、環世界なんだよ、そうなんだよ。いくひしがずっと言いたかったことがなんともあっさりと描かれていて、言葉を尽くすことなくずばりそのものの核心を突くというか、あーもう、いくひしはこれからどうすればいいんじゃろ。やることなくなっちゃった。えへへ。


395:【ネオンサイレン・アンバ―】
おげれつたなかさんのマンガ「ネオンサイレン・アンバー」がきゅんきゅんする! ギャル男とバーテンのBLだけれども、こう書くとなんかこう、イメージからして敬遠したくなるきもち、わかるなぁ。でもね、予想外にってゆったら偏見の山盛りを抑えきれないのだけれども純愛なんですよこれがまたね。さいきん良質な純愛を見てないなーって方、それから本気すぎるがゆえにすれ違う純愛あるあるにモドカシきゅんきゅうしちゃう方におすすめです。濡れ場もあるよ!


396:【あの娘にキスと白百合を】
缶乃さんのマンガ「あの娘にキスと白百合を~6巻~」を読んだ。うひょー。もうね、うひょー、の感情しか湧かない。うひょー、うひょー、うひょひょー。ぼくもそこに混ぜてもらってもいいですか? あ、ダメっすか? すんませーん。うひょー。


397:【D坂の美少年】
西尾維新さんの小説「D坂の美少年」を読みました。うおー! うおー! いくひしはかんどうした! さいごの演説にかんどうした! 語り部である瞳島眉美の小憎たらしい愛らしさも相まって、巻を重ねるごとに愛着が増していく物語だよぉ~、でもなんだか新キャラ「沃野禁止郎」がいくひしの本質にちかく感じていたたまれない気持ちだよぉ~。ちかく、漫画版もご購入しますよぉ~、決定事項だよぉ~。


398:【俳優・亀岡拓次】
戌井昭人さんの小説「俳優・亀岡拓次」がほんわかする。つっこみのない笑いのお手本にしたい小説で、思わず噴きだし、そしてほっこりしてしまう、なんだかあたたかーい物語である。最初は主人公の魅力がまったくわからなくて、それは人を見かけだけで判断するいくひしのよくないところの顕れでもあり、しかし読み進めていくうちにどんどん俳優・亀岡拓次が好きになっていく、あーそうだよなぁ、いくひし、おっさん萌えやったわぁ、みたいなね、しみじみ認めざるを得なくなる、そんなほんわかした作品です、んにょにょ~ん!


399:【ほんとかな?】
必要としてくれているひとのもとへ「それはここにある」と伝えるにはどうしたらよいのか。まず認識すべきは、必要としているひとが必ずしも「それ」を探し求めているとは限らない点だ。ゆえに宣伝が必要とされる。しかし、見逃されがちなのは、必要としているひと自身が、何を必要としているのかにとんと無自覚であることが往々にしてありふれている点だ。宣伝したところでそれを目にしておきながら、手を伸ばしてもらえない、という悲劇は比較的よく観測される。それはたとえば、弱者にとってこそ役に立つ制度が、弱者にはまったく利用されずに、強者にとっての体のよい餌場になっている現実であったりする。宣伝は飽くまでスポットライトのようなものであり、本質はむしろ、弱者に弱者であると自覚させることであり、また、悪意を悪意と認めさせることにある。欲が煩悩であるかぎり、何かを求めることの本質は、弱さと悪意にある。


400:【弱音】
努力できない時間が哀しい。成長しようとすることすらできない。無為な時間の経過が、見えない縄を首に巻きつづけている。ただ刻々と死にちかづいていく時間を得るために金を得る生き方にいったいどんな意味があるのだろう、それを生きていると呼びたくはない。(日々定時あがり週休二日保障、職場から自室まで二十分以内)

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