• 異世界ファンタジー
  • 現代ファンタジー

いくひ誌。【381~390】

※幹は根と葉があって育ち、立つことができるが、根と葉はそれぞれ独自に成長可能で、もっとも太く頑丈な幹がじつはもっとも脆弱な事実には着目すべき普遍的な世の理が感じられる。


381:【ぶれなくなってきた】
さいきん、ぶれなくなってきた。ぶれない人間は評価されやすい。安定しているし、認識しやすいからだ。しかし、それを以っていくひしは、ダメになった、と感じる。他人からよく評価されるとはすなわち、他人からして扱いやすいモノ、というレッテルを貼られることだ。利用しやすい、手中におさめやすい、しっくりくる、ジャマにならない。便利だ、と言い換えてもいい。いくひしは、便利な人間にはなりたくない。


382:【ソマリと森の神様】
暮石ヤコさんの漫画「ソマリと森の神様1~3巻」がすき。異形の者たちの生きる世界でゴーレムと女児が人間を探し求める話だけれども、同族を知らない女児がそれでもゴーレムをおとうさんと見做し、頼って、どんどん依存していく姿が、無邪気で無垢でそれゆえに危うく愛おしい。ゴーレムは親としての自覚を得、自我を構築していく過程で、その危うくも愛おしい女児への二律背反に苦しむこととなっていく。たいせつだからこそいつかくる別れに備えなければならない葛藤は、無慈悲ゆえに単なる慈悲よりうつくしい。大いに絆を深め、依存しあい、そして愛が狂気に変わる一歩手前で踏みとどまる間隙の奇跡を、そのかがやきを物語をとおして見せてほしいと望むものである。


383:【プリマックス8巻】
黙って読め。いいから読め。読めばわかる、なんて言わない。言いたくない。でも読め。読みなさい。感想? そんなものはない。カタチにならない想いがある。それを教えてくれる狂ったマンガだ。このさきどんな結末になるのかいっさい予想がつかない物語でここまでおもしろくなるのはアホウの血のしからしむところだ。読め。そして後悔しろ。開いてしまってからでは遅い、後戻りのできない扉ってのはあるんだと知れ。


384:【妄想テレパシー3巻】
NOBELさんのマンガ「妄想テレパシー3巻」を買った。WEBでタダで読めるのになんで買うの、ファンなの?っていくひしをバカにするあなただって、NOBELさんの前作「僕と宇宙人」を読んだらファンでバカになっちゃうでしょ、親ばかならぬファンばかでしょ。もうね、女の子かわいい。青春活劇とみせかけた百合ですよ百合。同じサイトで連載されてる柳田史太さんの「トモちゃんは女の子」の魅力も大半はBLというか百合というか、友情と恋愛の狭間をぶらり一人旅、みたいなそういうのがなんかいいの。WEBでタダで読めるけど、ファンばかをバカにするようなあなたには気軽におすすめはしないかな。だってお気に召すこと間違いなしだし、ご購入まっしぐらでダンダン心惹かれていくというよりかは、急転直下にまっしぐらって感じなので、お目通しの際にはクツを穿いて、お財布もって、書店さんに駆けこむ用意ばんたん病で読むとよいと思う。あ、でも、HEROさんのWEBマンガ「堀さんと宮村くん」が好きな方ならもうすこしゆったりくつろぎながら読まれてもだいじょうぶなはず。すでに何らかのファンばかであるならば、いつだって心に武士の一分ならぬ「スグに一部」の精神が根付いているものだから。覚悟があると余裕が生まれる。余裕は隙を生み、同時にそれが好きを育む。新しい「好き」を、あなたの心の隙間に挟みいれよう。


385:【初見では切ったが、中盤からぐっと良くなる成功例】
Anevo - Waiting on Your Call (feat. Park Avenue)


386:【安全と問題点】
安全とは何か。個々人で思うところは様々だろう。そのなかでも個人的には、「許容できる危険とそうでない危険が明確に線引きされた状態」が安全だと思っている。すなわち、安全と呼ばれている環境にも危険は溢れている。車の運転ひとつとっても、本当に安全な環境に身を置きたいならば車になど乗らずに家に引きこもっていればよい。しかし現代社会で生活するうえではそうも言っていられない。だから交通ルールという規律をもうけ、そのなかで車の運転という危険を受け入れている。危ない運転と危ないが命の危機からは程遠い運転との線引きが、交通ルールによってなされるわけである。また、何かを解決しようとするとき、そこには改善よりさきに問題がある。しかし往々にして問題が引き起きてから対処しては遅いのが世の常である。問題が起きる前にその対策をしておきたい。とすると重要になってくるのが大きな問題になるまえの予兆、兆候としての問題点の発見にある。個人的に、仕事というのは世の中に二種類あると思っている。ひとつは問題が起きたときにその被害を最小限に留め、防ぐこと。そこには対策も含まれる。そしてもうひとつは、問題が起きる前から問題点を発見し、早期に対策を講じることである。おおむね組織から評価されるのは前者である。しかし本当に大事なのは後者の、問題点を発見し、大きな問題となる前に対処することである。では問題点とは何か。これは、理想と現実のギャップである。製造業で譬えよう。図案を理想とするならば、それによってできあがった商品が現実ということになる。品質はこの場合、安全の別名であり、規格と呼べば端的だ。規格内の商品は品質が保証され、安全だと評価できる。しかし、たとえ規格内であっても、完全に図案と合致しているわけではない。できあがったものによってムラがある。そのムラを失くし、できるだけ図案どおりにつくることが付加価値を高めることに繋がる。規格内ギリギリのものより、より図案にちかい商品のほうが品質が高いのは言うまでもない。また、一つ一つの部品が規格内ギリギリであれば、できあがった商品の品質がトータルでマイナスになることはそう低くない確率ででてくる。しかし、図案はそこまでの想定をしていない。すべての部品が製造過程で規格内ギリギリであることを前提にした図案があるだろうか。そこまでを見越した不完全な図案を設計者がつくるだろうか。規格内であろうと、理想とちがう部位があるならば、それを失くす努力はすべきである。商品の付加価値をあげるとは本質的にはそういうことである。そして、安全についても同じことが言える。理想を追求してばかりはいられない。しかし、理想と現実のギャップは常に把握し、問題点を詳らかにしておくほうがよい。ときには理想のほうを見直さなければならない局面にも遭遇する。すべての部品が規格内ギリギリであってもトータルの結果が揺るぎないものになるように理想の修正を試みるのだ。その見極めをするためにも、日ごろから身を置いている環境がどれほど安全なのか、理想から外れているのかを注視しておくとよい。我々は、我々が思うよりもずっと理想から程遠い理想を抱いている。


387:【みょーん】
あたまがわちゃわちゃする。ほんとうのじぶんってなんだろう。ほんとうじゃないじぶんってあるの?


388:【吾輩はばかである】
初めましての相手と接するとき、いくひしは基本的に本来のじぶんよりも格段にばかに見られるように振る舞う。もともとばかなのだけれども、もっとばかに観測されるような言動をする。なぜか。ばかをまえにし、そのばかに合わせられるかどうかは、その相手の持つ人間力を試すのにはたいへん都合の良い基準となるからである。何かが欠けている者のまえに立つとき、その相手の欠けているところを補おうとするのか、それとも自業自得だと突き離し、なんら対策をとらずに、欠けたところがさらに強調されるような接し方をするのか、は、その者の持つ柔軟性を評価するのに役立つ基準である。もっとも、ばかを相手にしない、というのがもっとも理に適った選択ではある。しかし、ばかと鋏は使いようである。


389:【それって……】
「――しかし、ばかと鋏は使いようである」「え、なにそれ。ただ性格わるいだけじゃん、いやなやつなだけじゃん、え、え? 相手を試すって何様のつもりなの、ばかのフリしてるだけって、じゃあ頭よくて性格のいいひとのフリしてみせてよ、できるの? できないでしょ? なに偉そうに言ってるの、性格わるいだけじゃん、ばかじゃん」


390:【ばかーーー!!!】
正しいからって何を言ってもいいわけじゃないよ! 的を射るどころかあなたが射ったの心臓だから! 瀕死だから! もっとやんわりして! 

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する