いや、世界一複雑な日本語であるからこそ、伝わりにくいって面もあるんですよね
パターン(読み)が沢山ある分、どれ??ってなっちゃう(p_-)
なので、私は個人的にコメントやノートでは絵文字を多用するようにしてます( ^^) _旦~~
年寄り臭いって、思われてもね(´ω`*)
「なんでやねん、お前、しばいたろか」
も
「なんでやねん!(# ゚Д゚)お前しばいたろか( `ー´)ノ」
なのか
「なんでやねんwwお前、しばいたろかぁ(●´ω`●)」
なのか、文章だけでは伝わらず、絵文字が無いと読み手次第な所ありますよね💧
読み手のテンションが落ちている時は、どんな言葉でもネガティブに聞こえますし、場合によってはポジティブですら嫌味に聞こえる。
ゆとり教育、なんてのも最近では見直されているようですが、複雑な言語形式をしている分、読みに関してはゆとればゆとるほど摩擦が生じている気がします。
特に、今更新している
『エロティッカ・セヴン』
~大坂・七墓廻り~
https://kakuyomu.jp/works/16818622173879430379
では、大阪が舞台なので色々と文化レベルで調べていくと、強い言葉に愛があったりし、他の県民では「ツッコミ」という文化の馴染みがなく誤解されがちなような気がします(-_-;)
盛り上げるための「ツッコミ」が、誤解されSNSでの炎上にまで発展しがち、ですね(;^_^A
昔、お笑いという文化がまだまだ定着していない時代、舞台では「笑い屋」を雇っていたり、TVでは笑い声のSEを多用していたのは
「ここで笑うんだよ」
という「教え」も主旨の一貫としていたようです。
笑いの価値観も千差万別のように、教養も人それぞれ
そして、如何せんINTPの私には理解しがたいのですが、気分と感情に支配されがちな人も少なくなく、一般的基準ではなく主観的感情判断にて物事の全てを自分なりに解釈してしまう人も多いんですね(^▽^;)
現代では本屋さんが激減している、と言われていますが世界的に見て日本はまだまだ本屋さんが圧倒的に多いそうです。
都会の大きな駅前には必ず本屋さんが一つはありますよね
海外では一つの町に一店舗あるかどうかぐらいの割合だそうで、本を読む、活字文化はまだまだ日本が強いです
しかし、冒頭に述べたように「受け取り手」の問題ってのが、本の世界だけでなく全てのエンタメにおいてゆとってはいけない気がします。
分かりやすさが重視されがちな今の風潮は、ちょっと某国のスパイ活動な気がします( ´艸`)
はい、ここ笑う所ですよぉwww
「小説」といのは読んで字の如く小な説です。
「大説」とは神話や伝記、からの宗教的経典や政治的なイデオロギーが含まれた物を指すと、私は認識してます。政治家が掲げるような本についてあーだこーだと言うべきであり、エンタメについてはひとつの考え方として受け取るべきなのが元々の存在意義なんです。
一個人が妄想する、ちょっとした説を楽しむ。
それこそが小説の醍醐味でしょう(●´ω`●)
某、有名ディベート人
ひろ〇きさんが言っていました
あの国民的アニメ・サ〇エさん
ですらクレームは入るんだそうです。幸せな家庭を見せつけられて不快だ、とか。
じゃあもう、どうしようもないですよね💧
これが逆・言論統制と言ってもいいレベルですよね💧
まぁ、恐らく陰謀、なんでしょうけれどそうじゃなかったとすればこういった「読み手」「受け取り手」問題として小説界隈が最後の砦だと思ってます。
現在だからこそ、ホラーならこういうのが怖いんだよと
恋愛ならばこれが純愛、これが不純だよと
正義感、友情、道徳、そして現実
これらの「読み方」「受け取り方」をまだまだ教える時代ではないか、と思います。
…ってか、多分それが永遠に続くだけであり、ゆとり教育のように「もうこの辺でいいよね?」なんてのは、時代が続く限りないんじゃないでしょうか
スポーツの世界、例えばフィギアスケート
回転やジャンプのテクニカルが重要視されすぎてしまい、人体の活動限界を迎え選手生命が短命になるような世界であれば、ある程度でブレーキは掛ける必要があります
モデル界隈の痩せすぎ問題、とかね
日本人の運動能力が素晴らしい所以は「骨」にありますが、それでも限界はあいますから。
書き手、作り手としての創意工夫は当然ですが、配慮が行き過ぎると全体的な衰退へと発展し、全員が共倒れになり兼ねない。
そう
なんの権限もない矮小な私は、勝手にそんなことを悩み暇してますwww
だったらちゃんと更新しろやボケと、誰か言ってやって下さい( ´艸`)www