本日の更新で【その翡翠き彷徨い】が100話になりました。
一話目安15000字~30000字あたりを「心がけているので」、
100話で総文字数1,402,202 字。
丁度140万字も越えました。
個人的に私が書く意欲があるので、書く意欲があれば書けるのどんなに長かろうか書けるのは当然だと思っているため、特別な達成感などはなく、いつも通りの平常心でしかないのですが、こういう「きっかけ」でもなければ私はいつも平常心でしかなく、もしかしたら話が完結するまで永遠に平常心でしかない可能性があるので、折角ですからね、きっかけがあれば話すよう心掛けたいと思います。
今回の更新 第100話【星を追う少年】で、
冒頭メリクの回想が出て来ます。
これは全く100話に対して偶然でしかないのですが、99話でメリクが瀕死になったので、死の際でメリクが見た夢に関わるものが描かれています。
私は昨日も偶然【プロの創作は結局自分の考え、想い、それを物語に託して<他人に伝える目的>がある。例え自分を100%描けてもこの「他人に伝える」という観点が欠落している人や軽視している人の作品は読む価値があるところまで昇華されてない】
というような話をしました。
完全趣味で例え誰にも読まれなくていい、評価もされなくていい、仕事にするつもりも全くないという人には関わってない世界の話ですので、そういう方はこの先のこと読まないで下さって結構です。
私もそういう人に対して全然話してないので。
……さて。
ちょっと長編軍団選抜の話になるかもしれません。
というのは私の中で「短編」と「長編」では、描くニュアンスが異なるかなと思っているからです。
短編というのは「万物の刹那的な美しさ、鮮やかさ、一瞬の意味や価値、そういうものを描き出したり、見つめたり、いいなと思って味わってみる」ことに描き方として適しているかなと思っています。
言わば、短編は【雷鳴の美】。
一瞬を強く、残照のように鮮やかに描き出せている短編に出会えた時私は「いいな」と感じているからです。
短編にはだから、設定とかあまり関係ありません。
大事なのは自分(作者)として「何に目を向けるか」という部分なのかと。
書き続けることが大事なのではなく、
色んなものに興味を持ったり、
見つめたものに意味を見い出したり……
いちいち立ち止まって考えること。
私も一時「短編は直感が重要」と考えていたこともありますが、今は少し捉え方変わって来ています。
もしかしたら短編は直感で描かれているように見えても、ずーーーーーーーーーーーっとそのことについて考えて来て、魅せられてきて、気になって来て、ある日思い付きのように「そうだ、一回書いてみよう」と、その点は直感や衝動で書き上げたものが素晴らしいものになるのかな、という気がしています。
直感だけで書いた短編は、そんなに良くなかったり面白くないもの多く、ノリ的なものも多いのだなということが分かって来たのだと思います。
私は生粋の長編書きなので、短編をあまり好みません。
しかしカクヨムのような場所で素人の作品でも短編を数で読むようになり、段々と「上手い短編」と「上手くない短編」。この境界線が自分の中で捉えられて来たのだと思います。
今まではほぼ見てなかったので、短編の見方が分からなかったんですよ……。読み方が。
読んでもいいものも悪いものも「ふーん」で終わって「さぁ次行くか」になってたのですが、少しずつ自分なりの短編の読み方が分かって来た気がします。
読み方が分かって来たというのは「いいものと悪いものの見分けがつくようになって来た」ということなのですよね。
私が今思うのは、優れた短編というものはやはり、内容においてハッとするようなものを書いています。或いは、捉えられている。
下手な短編は文章だけです。
作者の思想や考えなどはなく、雑談に近い。
勿論そういうレベルの短編があっていいと思います。
短編の多くが自分の書きたいように書いているので、長編より遥かに「他人に読んでもらおう」という意識が欠けている傾向があります。これはいい意味でも悪い意味でも。
【別に読んでもらわなくてもいいや】感は、
絶対に遥かに短編の方が強く感じます。
勿論、中にはこういう人ばかりではなく、きちんと思想を持って、他人に伝えたいと願って、書かれてる作品がある。
そういう形式を取り、
実力を以って書かれているものは、
私はやはり読んでいて「この人感性が優れているな」と感じて、
好きな長編(短編ではない作品)を書く作者と同じ領域で全然語れるものを持っていると思います。
そんなのが自分なりの【短編】の理想。
さて、本題はそっちではないです。
【長編】。私の主戦場です。
短編の魅力が【雷鳴の美】なら、
長編の魅力はなんなのか?
私はよく長編の魅力を【時間における万物の変容を描けること】と言っています。
つまり、「変容」を書かなければ長編の魅力を描けていないのです。
でもこれはもう最低限のハードルですね。
長編を書いてても「この主人公全然成長(変化)しねえな……」と100話過ぎても思うような作品は、私の中では価値が無いのです。
長編を書いている人は、
長編を書かない人、書けない人にとっては、信じられないことをしているようです。
私には理解出来ない世界観なのですが、物語とかではなくとも、「文章を書けない」ひとってこの世にはいるのです。
例えば職場の人に書くメモとかでも。
「これこれこういうことが起こったので、こうしておきました。
休日明けまで会えないので、一応メモに書いておきますね😊」
と、緊急性はないけれど(緊急性があれば電話で話しておる)しかししっかりメモには書いておいた方がいいというようなこと、ありますね。
私はこういうメモも「すげぇ分かりやすい✨ありがとう✨」と言ってもらえるほどサラッと書けます。むしろ書くの大好きです。相手が出来るだけ分かりやすいように、しかも読みやすいように端的に短く、そういう文章でメモを書いてあげようーと書くのが好きで、得意なのです。
物語でも何でもないですけど、そういう文章も私は書ける。
壊滅的にこういうメモが書けない人がいるんですよ……!! この世には!!
驚きます。
文章すっごい下手!! 字も下手! 何があったか辛うじて分かるがお前文書くのさては「キライ」やろ!! って一発で分かる人!!
「文書くの苦手ですか?😊💦」ってさりげなく聞いてみると、
なんかちょっと恥ずかしそうにニコッとしながら「ハイ……」と答えてくれますが、
いや何が苦手でキライなんだよ!!!
あったことを報告するだけだろ!?
素敵な設定で魅力的な文章書けって言ってるわけじゃない、こういういつもと違うことが起こったので、皆が把握しておけるように休みの方のために事実を書いておくだけだろ!? 滅茶苦茶簡単じゃん!!!!!!!
魅力的なセリフで最後決めろ!! とか言ってない!
「お疲れ様です~」で始めて事実を述べ、「よろしくお願いします」で締めるだけだろ!!
何が難しいねん!!!!!!
って長編主戦場の百万字艦隊総司令軍の私は思うのですが、
本当にいるんですよ!! こういう人!!
全く文を書く習慣がなく、
書けない。
「いや何があったか言葉で説明してくれ」
って頼むと説明してくれるんですよ。
頷きます。
「うん。分かった。じゃあ今の言葉を文章として書いてメモにしておいてくれ」
って頼むと
「書けません~~~~~~~どういう風に書いたらいいですか? 助けて……😭💦」
って言って来るんですよ!!
いやお前今説明出来ただろ!!! それをそのまま文章にして書けよ!!
それでいいんだよ!!
ばかか!! 馬鹿かお前は!!! 可愛い馬鹿か!!!
なんで言葉では言えたことが文に出来へんねん!!
いや分かるよ!? 「私への熱い想いを手紙にしたためよ」とか命じたら「ちょっとなんて書けばいいか分かりません……」ってなるのは分かるよ!! ちゃうやん!!
お前の考えとかお前の気持ちとか一切要らへんねん!!
今日あったことだけ書けよ!!!😇
お前ちょっと可愛いからぶっ飛ばさなかったけど私にとって可愛くない奴だったらぶっ飛ばしてたぞ!!! って本当にいるんですこういう人。
こういう人にしてみれば「小説で長編で百万字書く」なんてそら神の如きことをしてる……!! って思うだろうな!! そらそうだ!! そんなレベルの奴にとっては信じられへんわ!!
ってこれは分かるんですよ。
しかし我々は分類ではアマチュアだろうと素人だろうと小説家です。
書くのが仕事! 使命!!
百万字書こうが、
二百万字書こうが、
絶対それだけで自分が「偉い」なんて思わないでおこうと、私はこれはポリシーとして強く持っています。
長編において重要なことは、内容なのです。
「何を書いているか」
「どんな変容を書いているか」
これに尽きます。
私は百万字書こうと内容が無ければ全然自分は偉くないと思っていますが、
上記の二点で非常に優れた水準の作品を百万字書いてる人は、本当に偉いどころか驚異的な人だと思いますので、
誉められていいし、
自分で誇っていいと思っています。
私が自分を誇る理由はこの条件を満たしているからなのです。
百万字艦隊総司令である!! といつも誇っているのは、百万字越えの作品【翡翠】【ジグラート】【花天月地】が、どこに出しても相手が誰だろうと立派に戦える実力がある連中だと信じられる内容だから誇っているのです。
百万字だろうが戦い方も分からんような無力な人間が百万人集まっても何の魅力も戦闘力もありません。
そういうのは私にとって無価値!! なのです。
だから自分の作品は他の長編書きのものと並び立ったとしても立派に戦い抜いてくれる内容だ!!✨と自慢出来る内容だから、こんな作品を書ける人間で本当に嬉しい! 君たちの長になれて光栄だ!✨ という自分の作品への敬意を込めて「総司令官」と自称しているわけです。
「作品で戦える」
というのは、
「読んでもらって、いい感じを与えられる」
ということを指します。
感動かどうかは私には決められませんので「いい感じ」と表現しておきますが、
この話いい感じだなーくらいは与えられるという自負があります。
それは
「自分が長年考えて来た万物に対する思想や価値観」を間違いなく作品に透過出来てるし、
何より自分の作品は長編という長い時間を頂いて、
きちんと「変容」、状況の変容、人間関係の変容、人間心理の変容、そういう【時間における変容】――私が長編で最も重要だ。これを書くのが長編だ、とさえ思ってる部分もきちんと押さえているから、
自負になっているのですね。
百万字も書かせてもらって(読んでもらって)、変わりゆく世界の様子すら書けていない長編とか、本当に私にとっては最下層に分類しますね。
目的の無いオムニバスみたいな描き方してる長編とかがこれです。
旅はしてるけど何がしたいんか分からんとか目的が無いとか、
作者から、作品に対して「何が書きたいんだ?💢」というものが一切見えて来ない作品。
これは、下手なのです!! 長編における!! 何百万字書いてようがこれは全然すごくない!!!
私はそう思っています。
長編小説は内容があってこそ。
時間経過の美を描くという点では、
ガーデニングに似ていて、
時間を掛け、土を耕し、整えて、植えて、植えたものを一つ一つ世話をし、水やりを忘れず、水やりすぎも注意しつつ、天候を気にして、気にかけてやる。
やがて芽吹く。
時間が経てば、気に掛ければ気に掛けるほど、素直に芽は出て、やがて花になる。
ドンドン花になる。
すごく花になる。
時間を掛ければ掛けるほど素敵な庭になっていく。
これぞ長編小説の理想です!!
世話をしないとどんな広大な土地があっても、
素敵な庭にはならない。
「こんな庭に、五年後になっていて欲しい」
というヴィジョンが非常に大切なのです。
そういうものがあるから、そうなるために頑張って行ける。
蔓科の植物が芽出たら「お~伸びて来た そろそろ支柱準備してあげるかぁ🥰」といちいち成長過程を気に掛け、見てなければならない。
すげぇ整備された美しい庭と、
手間かけられてないと分かる庭が一目見て分かるように、
長編小説も「こういう場所に物語は向かっているのだろう」と強く感じられ、期待できるものはずっと楽しめます。素晴らしいです。その過程で見える変容の全てが魅力的です。
「最終的におめーこの話どうしたいんだよ」
と全く50万字越えても100万字越えてもそこが見えて来ない作品は、
駄作なんですよ。
無造作に放置された、美学もヴィジョンも何もない、見る価値のない他人の庭でしかない。
だから長編において最も大事なのは、
【内容】
【時間経過によって起こる変容】
この二つだと私は思っています。
これを高水準で書き続けられる長編小説が最強で、名作ですね。
さて。【翡翠】が100話を超えました。
【翡翠】は一人の魔術師の生涯を描いた話です。
これが【内容】ですね。
至ってシンプル。
シンプル過ぎて、キャラ小説などというものを求めるような人たちには「つまんねーテーマだな」と失笑されるほどの、捻りもない内容です。
次が重要なのですが、
【時間経過によって起こる変容】。
【翡翠】は実は、
こっちがスゴイ✨
この話でメリクは辺境の田舎町に生まれながら、幼い頃から星を見上げて心から楽しむような夢想家な傾向があったことが描かれています。
仲間にそのことでからかわれようと、気にしないほど、子供の頃から自我が強い。
そういう人がある時、
魔術という世界に出会った。
出会わせてくれたのは、辺境の田舎町に暮らしたままだったら、死ぬまで会わないまま死ぬことだってあるような、大国の王子様で、
最高峰の魔術学府を保有する国においても「最も恐るべき」なんて言われちゃうような知識と実力を持った魔術師の人だったわけです。
メリクは当然、心を奪われました。
魂を。
その人の近くに行きたくて、彼は魔術を学び、魔術師になりました。
しかし優れた魔術師になればなるほど、その人は自分を警戒し、敵視するようになってしまうのです。
メリクにとって魔術は命のように大事でしたが、その人が魔術師である自分を警戒して嫌うならば、魔術など捨ててもいいと思いました。
「貴方が望むなら魔術を捨てる」
長い苦しみの末に、初めてメリクはその人に打ち明けたのです。
その人は
「俺にとってお前は無価値だから、魔術を捨てようと持ってようとどうでもいい。
俺の目障りになるならお前などいつでも殺せる。だから好きにしろ」
と言いました。
自分にとって一番大切な魔術を差し出しても、
全然その人にとって自分は価値あるものにすらなれなかったのです。
価値が無いのに愛される存在になんかきっと永遠になれません。
だからメリクは国を出たのです。
愛されなくとも、側にいられるだけで幸せでしたが、
「お前が側にいるだけで気に障る」
と最愛の人に言われたら、そら側を離れるしかありません。
いじけではありませんでした。
愛情なのです。それすら。
メリクはリュティスをこれ以上苦しめない為に、国を出ました。
そこから、メリクの孤独な旅が始まるのです。
そしてその旅はほどなく終わりました。彼の絶望が原因ではなく、世界を襲った未曾有の天災が理由です。
これが第一部。
第一部の終わりが69話。
少しオーバーしていますが、まあ半分くらいです。
さてこれがメリクという人の第一の生。
第二部では第二の生の始まりを描いています。
では100話では一体メリクはどうなっているのか?
メリクは、
第一の生では会わなかった
ラムセスという魔術師に出会います。
この人こそ「魔術は自分の天の使命で、命」と人生を捧げて生きているような人です。
メリクが魔術を習ったのも、魔術師になったのも、愛の為でした。
実は、魔術自体がどうであれ、ある意味どうでもよかったのです。
しかしラムセスに出会い、メリクは魔術というものの、描く世界観の奥深さと豊かさを初めて知ったのです。
ラムセスは魔術の魅力をメリクに教えてくれました。
魔術自体に、今度は第二の生でメリクは惹かれて行ったのです。
そう思えるようになったメリクは、
第89話【魔眼】で、第一の生で何とか避けたまま人生を終えることが出来た、
リュティスとの魔術対決に巻き込まれます。
メリクは第一の生で「リュティスに愛してもらえるなら、命や魔術などどうでもいい」と考えた人でした。
しかし魔術師ラムセスとの出会いで、魔術の魅力に触れ、魔術師としての探求の本能に目覚め、価値観がすでにこの時、変容していました。
リュティスが自分を「目障りだから殺す」と襲い掛かって来た時。
メリクは【魔術で身を守る】という行動を起こします。
第一の生だったら、リュティスの魔術を受けてただ死んでいたはずの人が、愛情ゆえに魔術を撃ち返したり、反撃したりはしなかったが、「自分の身を守った」。
これは第一の生のメリクとは明らかに価値観が変わってきていることを示しています。
つまりリュティスの前に一対一で立ったとしても、
「自分という存在にも価値がある」
と思うことが出来るようになっている。
リュティスに憎まれようと命を狙われようと、もはやメリクは「貴方がそれを望むなら」とは言わなくなりました。望まなくなったのです。
自分にもこれからの時を生きる権利と価値があると、100話ではメリクはそこまで考え方が変容しています。
愛する人に命じられたら命さえ容易く差し出そうとしていた人が、
100話では自分の命をしっかりと自分で守ろうとしている。
死んでいたものが、
死ななくなっている。
こんなに強力な変容を描き切っているのが【その翡翠き彷徨い】です。
自信持って言えますね!
ある魔術師の人生を描くって確かにすげー地味で捻りのないテーマだけどな!!
だが描かれてる変容はものすげーぞ!!!✨✨
分かったか!!!🥰
では140万字、100話なんぞ全然凄くない
単なる一つの通過地点だと心の底から思っている私はあっさり続きを書くのに取り掛かります✨
変容を描ける長編は最高だ!✨
だから自分が本当に素晴らしい長編書いてるって思う人は
「100話達成しました! 見てね!」じゃなくて
「100話達成しました! この100話で主人公はこういう感じからこういう風にまで変容しております! 見てね!」と書けばいい。
前者は全然大したことない可能性が全然ある。
でも後者はそこ書いてくれたら「へ~ 100話の間にある役者に憧れて一生懸命演劇学校に通ってた女の子が100話では賞取って有名女優になって、今ではその役者と不倫関係になってるのか~ この不倫関係がどのようなニュアンスで行われてるのか興味あるなあ。単なる捻りの無い肉体関係でしかないのか。それとも同業同士で実力を認め合ってどうしても触れたいっていう必死さゆえのものか? 気になるから見てみようかな~」
ってなるじゃない。
カクヨム前者ものすごい多いねん。判別つかへん。
もっと近況ノートで後者のようにちゃんとアピールしてくれへんかといつも思う
100話も書いて主人公がどんな風に大きく変化して来てるかを書けないような作品私的に全然大したこと書いて無いねん
そういう作品だって分かったら最初から全く読まないんだから、やっぱり自分の作品は「こういう所がいいよ!」ってちゃんと自分でアピールして書いてくれる人の方が私は余程読み手に誠実で好感持てるけどな
あと絶対こっちの方が実力者。