一歳半の甥と触れ合うたびに様々なことに気付かされます。
まだ思うように言葉を話せない小さな子供は、たまに何もないところをじっと見たり、指さして大人に何かを教えようとしてきます。ともすれば、まるで見えない存在が子供には見えているような……というのは、ドラマやアニメなどでよくある表現ですね。
実際はどうか分かりませんが、これって、ただ大人がそこに何もないと思ってるだけで、子供にとってはただ「世界がある」だけなのではないか。
「白い壁がある」とか「窓から外が見える」とか「木が生えてる」みたいな、目に映る世界がただ見えているだけで、物事の見え方が大人と違う可能性があるんじゃないか。見えた世界の捉え方が大人と違うだけなのではないか、と思うようになりました。
甥は、一生懸命「あ!」と外をしきりに指さしていたけど、特に何もなくて「なんだなんだ?」と、私と義妹(甥のお母さん)は首を傾げました。
大人は特別な動きや目立つものに注視し、特に何の変哲もないと「何もない」と認識しがちです。
でも、もしかしたら、そのまま目に見えたものを伝えるだけで良かったのかもしれない……と、後になって気づきました。
窓ガラスから見える木が揺れていたり、雲の隙間から太陽がピカッと見えたり、それとも、ただ庭に草が生えているのを教えてくれたのかもしれないです。
次に会う時は、私も「何か特別なものでも見つけた?」という認識は取っ払って、ただそこにあって見えたものをそのまま口に出そうと思いました。「お外に木がいっぱいだね」とか「光がキラキラ眩しいね」とか、見えたものそのままを言ってみようかなと思います。甥にとっての正解ではないとしても、見えた世界を互いに共有できるかなと。
本当に、甥と会うたびに色んなこと考えさせられ、新たな視点が増えていきます。
これが、子育ての尊さのひとつなのかもしれません。