いつも拙作をお読みくださりありがとうございます。新作「記憶にありませんが、責任は取りましょう」ですが、珍しく10万字越えで書き終わりまして、「おお、カクヨムコンの条件に達した」と、ちょっと遅い気もしたのですが参加することにしました。早々のフォロー並びにこの段階でのお★様、感謝感謝です。以下、本文と何の関係もない短編ですが、よろしかったらお読みください。感謝の気持ちを込めて。
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『私は最初から見抜いていましたの』
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グランリュミエール学院の講堂に、日差しが差し込んでいた。
春の入学式。
貴族の子弟がずらりと並ぶその場は、高価な香水の香りに満ちていた。
その中で、ただ一人、周囲に溶け込まない影があった。
彼の名は子爵家令息エドガー・クロフォード。
子爵家の嫡男でありながら、髪はぼさぼさ、眼鏡は分厚く、肩をすぼめるような姿勢で立っている。
「あら、なんて、ひどい見栄え」
そうつぶやいたのは、この場で最も注目を集めるレティシア・ヴァンデンベルグである。
輝く銀髪、透き通るような瞳、社交界で“氷の花”と称される伯爵令嬢。彼女の視線は、その冴えない令息に向けられていた。
「地味、無表情、自信の欠片もない立ち方……だけど、顔立ちは悪くない。というより……」
視線がふと、エドガーの眼鏡の奥にある瞳に重なる。くすんだ外見にそぐわず、驚くほど静かで、美しい光を湛えていた。
「おもしろいわ」
レティシアは笑った。
「あの仮面、私が剥いであげましょう」
翌日。学院の中庭にて、レティシアは、長椅子に腰掛けていた。その前に立たされているのが、もちろんエドガーである。
「え、ええと……ご用でしょうか、レティシア嬢……」
「貴方。気づいているのかしら?」
「……はい?」
「誰も話しかけない理由よ」
エドガーは眉をひそめた。だが、否定はしない。代わりに、小さくつぶやく。
「……地味、ということですか? 派手な格好をしても似合いませんし、人前に出るのは得意ではなくて」
「違うわ。似合わないんじゃなくて、“似合わせてない”だけ」
レティシアは勢いよく立ち上がった。
「私があなたを“貴公子”にしてみせるわ。貴方が本来持ってる美しさ、全部、引き出してあげる」
「美しさなど。なんでそこまで……?」
「決まってるでしょ。人を変えるのは、私の趣味なのよ」
にっこりと微笑むレティシアに、エドガーは戸惑いながらも、どこか目を奪われた。
「……分かりました。変えてみてください。僕に……そんな価値があるのなら」
数日後、レティシアはエドガーを自家用の“私室サロン”へ連れて行く。
ドアの向こうに待っていたのは、高級仕立て屋、髪結い、執事見習いたち。エドガーの顔が引きつる。
「……これ、まさか、全部僕の?」
「ええ。徹底的にやるわよ」
最初は嫌がっていたエドガーだが、レティシアの見立ても指導は意外なほど丁寧で、厳しくも温かい。
「背筋! 姿勢! 上を向きなさい、貴方は貴族でしょう!」
「え、えっと、こんな感じで……?」
「満点まであと少し。頑張りなさい、私の“作品”」
エドガーの髪は整えられ、眼鏡は薄いレンズに。服も体格に合わせて仕立て直されていく。
****
「お前がエドガーか?」
昼休みの演習場で声をかけてきたのは、ジュリアン・フェルナーだった。レティシアの幼なじみで、騎士階級出の侯爵家令息。快活で人懐っこい性格から学院でも人気が高い。
エドガーは少し身構えた。彼のような眩しい人物が、自分に興味を持つなどあり得ないと思っていたからだ。
「……はい、子爵家の……エドガー・クロフォードです」
「ああ、やっぱり。レティシアが言ってた“仕立て中の原石”って、お前のことか」
「……っ、彼女、そんなふうに……」
ジュリアンは思いきり笑った。
「気にすんなって! あいつなりに、お前を認めてる証拠だ。あの氷令嬢が興味を持つ人間なんてめったにいないんだぜ?」
そしてジュリアンはエドガーの肩を軽く叩き、こう言った。
「これから剣術の授業あるだろ? 俺が付き合ってやるよ。立ち方から直していこうぜ」
「え……でも、そんな……」
「遠慮すんな」
「……ありがとうございます。ジュリアン様」
「様なんていらねぇって!ジュリアンでいい。な?」
*****
日が傾き始めた放課後、学院のテラス。レティシアは、目の前のエドガーを見ながら、ふと溜息をついた。
ここ数週間、エドガーは“明るく”なっていた。
以前のように俯くこともなく、ジュリアンや周囲の生徒たちとも自然に話すようになっている。
それは喜ばしいはずだった。
けれど、どこか、胸がざわついた。
「私が教えた立ち方、話し方、服の選び方。すっかり身についてるわね」
声をかけると、エドガーは照れたように笑った。
「はい。貴女のおかげです、レティシア嬢。僕、ようやく……人の目を見て話せるようになりました」
その笑顔に、胸がざわめいた。
(……こんな顔、教えてないのに。)
彼は、変わりつつある。そしてその変化の中に、レティシアの知らない“彼自身の魅力”が芽生えていた。
ふと、遠くから声が聞こえた。
「エドガー! 剣術の稽古、付き合えよー!」
「はい!」
ジュリアンの元へ駆けていくエドガーの背に、レティシアは言いようのない感情を抱いた。
嫉妬? 寂しさ?
彼女の中で、何かがゆっくりと、動き始めていた。
*****
舞踏会の夜。
学院の大広間は光と音楽に包まれ、学院の生徒が華やかに舞っていた。
レティシアはネイビーのドレスを身にまとい、舞踏会の“氷の花”として相応しい存在感を放っていた。
だがその瞳は、ある一人を探していた。
(エドガー、来ると言っていたけれど)
そこへ現れたのは、黒の礼服に身を包んだ一人の青年。姿勢は凛としていて、控えめな微笑の奥に知性と気品が宿っている。
「あの……踊っていただけますか?」
(この声……まさか)
「エドガー?」
レティシアは目を見開いた。彼はすっかり“完成”していた。あの冴えなかった姿は、もうどこにもない。
だがその変化を見て、微かな不安が胸をよぎる。
(……私の手を離れてしまう気がする)
そこへ現れたのが、イザベル・ミラノ侯爵令嬢。
「どちらのご令息かしら?」
イザベルはにっこりと微笑むと、エドガーに手を差し出した。
「一曲いただけるかしら? その優雅なお姿に、どうしても惹かれてしまって……」
レティシアは内心で舌打ちした。彼女は以前、自分にこう言っていた。
「令息ならば最低限の外見くらい整えなきゃ、話にならないわよ。特に、あのエドガーとかいう地味子爵、論外ね。まあ、整えてもたいしたことないと思うけど」
そして今、彼女はその“論外”だった彼にすり寄っている。
(面白い。なら、見せてあげる――誰が本当に彼を知っていたのか)
「イザベル様、その方は、私の舞踏の相手ですわ」
「え?」
イザベルが驚く横で、レティシアは微笑む。
「私は、この方が冴えなかった頃から知っています。この方の本当の美しさは、外見じゃない。努力する姿。それを一番近くで見ていたのは、私ですの」
エドガーは小さく目を見開いた。そして、静かに笑った。
「レティシア嬢。あなたが、僕を変えてくれた。僕も、その瞳を、ずっと見ていました」
「なら、私の気持ちも分かるのではなくて? エドガー」
「はい。きっと、ずっと前から」
エドガーの名前を聞き、驚きの表情をしているイザベルを残し、舞踏の輪の中へ。
人々の視線を浴びながら、レティシアとエドガーは、穏やかで甘やかな旋律に身を任せて踊り続けた。
イザベルは、唖然とした表情で立ち尽くしていた。
舞踏会の後、学院の庭園。月明かりの中、二人だけの静かな時間が流れる。
「……ありがとう、レティシア。僕に自信をくれて。世界がこんなにも明るく見えるなんて、知らなかった」
「ふふ。その笑顔も、私の“作品”よ」
「だけど、もう僕は“あなたの作品”であるだけじゃ、満足できそうにありません」
エドガーは一歩、彼女へ近づいた。
「僕は、あなたに恋をしているんです」
レティシアの頬が染まる。
「……ずるいわ。貴方、いつのまにそんなに口がうまくなったの?」
「レティシアが教えてくれたからですよ」
「教えていないと思うわ」
彼女はくすっと笑い、彼の手にそっと指を絡めた。
「ずっと、私の隣にいてくれる」
「はい。レティシア。あなたが、僕を見つけてくれた」
二人の唇が触れるその瞬間、夜空に柔らかな風が吹いた。
氷の花と、かつての地味な令息は、互いを見つめ合い、もう誰にも揺るがされない愛を確かめ合ったのだった。
*****
ジュリアン・フェルナーは、誰からも好かれる男だった。
社交の場では笑顔を絶やさず、授業では優等生。剣術の稽古では一撃で相手を倒し、女子生徒たちの視線を一身に集める。
学院で「完璧な侯爵令息」として名を馳せる彼は、まさに“理想の貴公子”だった。
だがその完璧さの裏に、自身ですら気づかぬ空虚があった。
「ジュリアン様って、いつも明るくて素敵ですね」
そんな言葉を聞くたび、彼は心のどこかで苦笑する。
(“素敵な仮面”が、よく似合うってだけだ)
貴族でありながら、母は平民出。父方の親族には「混血」などと陰で囁かれ、誰よりも“貴族らしく”あろうと努めてきた。
──そして今日も、何事もなかったかのように、彼は微笑んでいた。
「さて。そろそろ“原石の騎士”に稽古を付けに行くとするか」
ジュリアンは、気怠げに剣を肩に担ぎながら、訓練場の片隅へ歩き出した。そこには、いつも通り不器用に木剣を振るう、一人の男の姿があった。
「エドガー、今日もみっちりやるぞ!」
エドガー・クロフォード――あの令嬢レティシアが“改造”した子爵家の令息だ。
だがジュリアンは知っていた。この男が、口数は少ないが、誰よりも真剣に“自分の足”で立とうとしていることを。
稽古の途中、エドガーが木剣を地面に落とした。汗が額から流れ、肩が上下している。
「おいおい、前にも言っただろ。相手の足運びを見て、先に回避しろって」
「……分かってます。でも、思ったより体が……」
「考えすぎなんだよ、お前は。肩に力入りすぎて、足がついてきてねぇ」
ジュリアンは彼の剣を拾い、無造作に渡した。
「ありがとう、ジュリアン。君がいたから……僕はここまで来られた」
「礼なんていらねぇよ。友達だろ、俺たち」
そう言って笑う彼の横顔に、エドガーは“仮面ではない本物の笑み”を見た気がした。
その夜。
寮の裏庭で、ジュリアンは一人、剣を振っていた。
「……やっぱり俺は、まだ怖いのかもしれねぇな」
静かな夜風にまぎれて、ぽつりと漏れた言葉。
ふと、レティシアとの記憶が蘇る。
「ジュリアン、あなたって……いつも楽しそうに見えるけど、時々、すごく冷たい目をするのね」
彼女だけは、仮面の裏に気づいていた。
だがその目が今、エドガーを見ている。
(俺じゃないんだって、分かってたさ。最初から……)
「お前、ひとりで振ってるとき、すげぇ顔してるな」
声に振り返ると、そこには同室のベルンが立っていた。
「おいおい、盗み聞きか?」
「剣が泣いてたぞ。だから来んだ」
「生意気になったなぁ、お前も」
ベルンは木剣を抜き、構えた。
「本気でやり合いましょう、ジュリアン」
ジュリアンは小さく目を見開き、そして笑った。
「いいぜ。遠慮なしだ」
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春の終わり、学院の中庭。白い藤の花が揺れる午後。
ジュリアンは一人、木陰に佇んでいた。そこへ、淡い紫のドレスを纏ったレティシアが現れる。
「久しぶりね、ジュリアン」
「おう、お前が名前で呼んでくれるなんて、珍しいな」
レティシアはふと笑い、花びらを一枚、手に取った。
「エドガーのこと、感謝してるわ。貴方がいたから、エドガーは……前を向けた」
「気にすんな」
そう言うと、彼女は少し笑って踵を返した。
(……分かってる。レティシアはエドガーを見てる)
だが不思議と、胸は痛まなかった。
むしろエドガーが選ばれたことが、どこか納得できていた。
*****
学期末の決闘試合。エドガーは準決勝へと進み、次なる相手は剣術貴族の若き俊英。
「俺の弟が、下級子爵の坊っちゃんに負けるわけないだろう」
相手の兄がそう嘲るのを、ジュリアンは傍で聞いていた。
(ここが“本番”だな、エドガー)
そして試合当日。観客が見守る中、エドガーの動きは今までと違った。
軽やかに、そして、美しかった。
「見ろよ、あれが“努力の結晶”ってやつだ」
ジュリアンは誰に言うわけでもなく呟く。
全ての教え、訓練、言葉、汗が剣に宿っていた。決着の瞬間。エドガーは勝った。会場が沸く。
観客の歓声の中、ジュリアンはぽつりと呟いた。
「もう大丈夫だな。エドガー、お前はもう“作られた貴公子”じゃねぇ。立派な“本物の男”だよ」
エドガーに駆け寄るレティシアを見て、ジュリアンは微笑んだ。
END
