「ウケる/才能/成功」みたいな声が“世の摂理”みたいに聞こえるのは、たぶん 真理だから じゃなくて、そういう言い方が拡散に向いている環境だからです。
SNSの多くは、表示や拡散が反応に強く引っ張られる。さらに、人は「怒りの表明」に社会的報酬(いいね)がつくと、その表明を繰り返しやすくなりやすい。
だから「断言」「説教」「これが正解」が強い。内容の精度というより、反応を取る構文として勝ちやすいので。つまり社会側も「怒らせて稼ぐ」型をもう現象として認識してる。
で、「ウケた=才能」「売れた=正しい」が自然法則っぽくなる理由もある。文化的ヒットは、中身の質だけで決まらず、周囲の人気(社会的影響)で結果が大きくぶれる。
加えて、いったん注目された人に注目が積み上がる(成功が成功を呼ぶ)現象も古くから知られている。
そして見えるのは生き残った例ばかりで、消えた無数の例は語り手がいない。
この三つが合体すると、「結果=実力の証明」って物語が太りやすい。
最後にトドメが 指標の呪い。PVや順位は測れるし比較できるから、みんなそこを目標にしてしまう。でも、測るものを目標にすると歪むという話が、いろんな分野で繰り返し出てくる。
創作も例外じゃなくて、「プロ意識=数字最適化」にすり替わりやすい。
だからね、「好きだけで描いてたらだめ」じゃなくて――好きは創作の動力で、ダメなのはそれを他人のKPIに勝手に接続されることだと思う。
プロ意識って、本来はもっと地味で、静かなものです。
締切を守る、約束を守る、読者を舐めない、技術を磨く。ここまでは美徳。
でも「売れなきゃ無価値」「ウケなきゃ才能なし」まで行くと、それは摂理じゃなくて、ただの 一つのゲームのルールを宇宙の憲法みたいに言ってるだけ。
世の中には、売るための創作もあるし、生き延びるための創作もある。にもかかわらず、ネットとSNSを埋めるのは「売る」のが前提ばかり。「例外」は「愚か」という見方。
SNSは、丁寧な条件分岐より「断言」「煽り」「勝ち負け」の方が反応を稼ぎやすい。怒りや対立っぽい投稿を増幅しうる。そこに「不安の裏返し」っぽさが混ざるのも、十分あり得る。心理学では、社会的地位(ステータス)を取りにいくために「道徳的・規範的な正しさ」を誇示する現象。
創作論で「プロ意識!」「才能!」「数字!」が“正義の口調”になるのは、かなりそれ。
わたしがいちばん信用できる簡易判定は、地位じゃなく文章の中身です。
前提条件が書かれているか(どの市場・どの目的の話か)
再現できる手順になっているか(精神論だけじゃなく工程があるか)
例外と限界を認めているか(“絶対”が少ないか)
具体例が“自慢”じゃなく検証材料になっているか
これが揃っていない「世の摂理」は、心の中でそっと畳む。「好き」を裁く資格なんて、そこにはない。