「彼方先輩♡」
甘い声と甘い匂い。
小柄な体をぴとりとくっつけて、私の名前が呼ばれる。
「どうしたの?あと離れてね」
体を避けると、その子は「あはは♡」と楽しそうに笑った。
別にかわいい女の子に先輩と呼ばれて、多少なりとも慕われるのは、悪い気はしない。
だけど距離の近さとか触れる柔らかさとかそういうのはちょっと困る……
1番困るのは、私の大切な親友の機嫌が悪くなってしまうことだ。
「おはよう。彼方」
「あ、お、おはよう……寧々……」
寧々の声が聞こえてきて少しドキマギしながらもほっとして振り返る。
「あ、雪村先輩もおはようございます♡」
「……おはよ。今日も近いね……」
「えー♡普通ですよ♡それにしても今日もちっこいですね雪村先輩♡」
後輩ちゃんの言葉に、両手をあげてオオアリクイの威嚇ポーズをする寧々。
「ふしゃー!」
「わー♡雪村先輩が怒った〜♡♡♡こわ〜い♡♡♡」
さりげなく私の腕に抱きついてくる後輩ちゃんに、寧々は対抗して空いている方の腕に抱きついてくる。
……なにこの状況。
通りがかった人にくすくす笑われながら、両腕にくっついた子たちを見る。
寧々はちょっぴり不機嫌そうだけど、後輩ちゃんは非常に楽しそうだ。
「あんまり揶揄うのやめてね」
「はーい♡」
後輩ちゃんがそう言って離れていき、腕に寧々がくっついたままの私にスマホを向ける。
________カシャリ、とシャッター音が鳴って私はまたかとため息をついた。
「ふふっ♡今日も推したちの写真撮れました♡♡♡」
「……何度も言うけど、誰かに見せるのはやめてね」
「もちろんですよ♡♡♡これはあとで見返してニコニコする用です。あ、先輩たちにも後で写真送っておきますね〜♡♡♡」
「……もらっとく」
「ふふふ♡♡♡ではではわたしはこれで〜♡♡♡」
笑顔で楽しそうに駆けていく後輩ちゃん。
写真、映像作成同好会という同好会に所属している彼女は、好きな被写体を写真に収めるのが大好きらしい。
その好きな被写体に最初に選ばれたのが私で、その次はその様子にやきもきする寧々。
だから彼女は敢えて寧々にちょっかいを掛けているみたいだ。
むーっと頬を膨らませた寧々を見ながら、今日のご機嫌取りは何にしようかと思考を始めた。
◆◆◆
「あ」
「あ」
12月のオタクの祭典ことコミックな市場の映像がテレビで流れる。
大学生の頃は時々行ってたけど、仕事を始めてからは一度も行けずにツイートンで眺めるぐらいしかしなかったイベントだ。
そんなイベントの特集が朝のテレビで軽く触れられている。
綺麗な二人組の女性のコスプレイヤーさんと、その周りで動き回る見慣れた顔。
カメラを片手に、ニコニコ笑顔を浮かべる彼女は紛れもなく後輩ちゃんだった。
『お二人の専属なんですか?』
『はい♡すごく素敵なおふたりの専属カメラマンとして撮らせていただいてます♡♡♡』
スタジオらしき場所で撮られた長身のお姉さんに小柄なお姉さんが抱きついている写真がテレビに表示される。
その写真にどこか既視感を覚えてしまったのは、小柄なお姉さんの表情が大学時代の寧々とそっくりに見えたからだ。
「またちょっかい掛けてる……」
「あはは……」
もう疎遠になってしまった後輩は、どうやら楽しくやっているらしい。
少し安心しているとスマホの通知が鳴る。
差出人は今まさに見ていた顔で、おそるおそるメッセージを確認した。
『またいつか先輩たちのこと撮りにいきますね♡♡♡』
寧々と一緒にそのメッセージを見て、顔を見合わせる。
底の知れない後輩ちゃんにゾッとしながらも、わたしはオオアリクイのスタンプを送った。