5月24日 00:28
明日は大会だしもう寝よう。
そう思って、ベットにダイブ。
今日は沢山企画に参加してくれた人がいたから、どんな作品から読んでいこうかな〜。
それがどうしても気になり、カクヨムを開いた時である。
ふと、ある作品が目に止まった。
それは、星350ほどの作品で、作者は過去に星を万単位で記録した実績があるほどの作者だった。
星350なんて、私からすればとんでもない数の星だ。もう10個くらい分けてもらっても許されるレベル。
だが、その作品は50話で打ち切られていた。この界隈では通称、「エタる」というものらしい。
これを見て、一つ思ったことがあるので書かせて頂きたい。
エタるって何!?作品が上手くいかなかったからって、簡単にその作品を捨てれるものなの!?
納得のいく形まで仕上げてから終わるのが、あくまでも小説じゃないの!?
んんー。少し熱くなりすぎました。
エタる、という発想を微塵も抱いたことのない私からしてみれば、とんでもない行為だな、と思い今回はこのノートを書きました。
自分が書いた作品を自分が一番に愛してあげられなかったら、それは作品が可哀想です。
たとえ誰にも読まれなかった小説だとしても、自分だけは愛してあげてほしい。そう思いました。
でも、一度万バズのようなものを経験されている、一流の作者様からしたら、そんなものどうでもいいのでしょうか。
売れた作品だけを愛して、売れなかった作品は見捨てられる。そんなものなのでしょうか。
ちょっと悲しいです。
自分にも、今執筆を中断している作品があります。でも、その作品は誰よりも好きだし、今後も今の作品を書き切ったら続きを書くつもりです。
それが、たとえ何年後になろうとも。
なんせ、その作品を世に出したいが為に、『正義の本質はデスゲームにて』という壮大な前日譚が生まれたのですから。
私の第一作目はその作品です。視点も三人称視点が主軸で、なのにそれを上手く活かしきれていないし、文も稚拙で見るに耐えない。
そんな作品でも、僕は誰よりもこの作品を愛しています。誰よりもこの作品が大好きです。
そして、誰よりもこの作品を楽しむ一番の読者であり、誰よりもこの作品のことを分かっている唯一の執筆者でもあります。
それでも、一流の作者からしたら、こんなものはゴミ同然なのでしょうか。
売れる為に、多少の見切りは必要だと思います。趣味で書くか、仕事で書くか。その違いもあると思います。
だとしてもエタるという行為だけは、私には理解できませんでした。
一応、恥晒しにはなりますが例の作品を数話だけ公開しているので、良ければ見てみて下さい。
いや、正直見ないで欲しいです。正デスとのレベルの違いが顕著過ぎて死にたくなります。
『その職、秘匿につき』
https://kakuyomu.jp/works/822139845188556008 いつになるかは分かりませんが、この作品も改稿に改稿を重ねて、とんでもない大作に仕上げてみせます。
その為に『正義の本質はデスゲームにて』があるのですから。
ここで得られた知識を糧にして、とにかく良い作品に仕上げていくつもりです。
それが、たとえ何年後になろうとも。
......あ、もちろん正デスも大好きですよ!!
ここまで読んでくださりありがとうございました。良かったら私の代表作である、『正義の本質はデスゲームにて』の方もどうぞ。
『正義の本質はデスゲームにて』
https://kakuyomu.jp/works/29120515957055884225月24日 00:43 ー完ー
これ書くの楽しすぎて時間一瞬で過ぎた。