• 異世界ファンタジー
  • エッセイ・ノンフィクション

姉妹ケンカ

下の絵は姉妹ケンカ。
フィオラ=アマオカミとユエリシア=アマオカミの。
プレビュー↓


「スターナイトオンライン」の最新アップデートマップ、「現代地球・極東エリア」は、かつてミハエルが知識としてのみ知っていた、魔法なき世界の喧騒を見事に再現していた。


ミハエルは、自身のアバターである「聖天使猫クラウリト」の、ふかふかとした白い猫耳を無意識に動かした。背中には小さな翼。純白の神官服を纏ったその姿は、この無機質な都市景観の中で、毒々しいほどに浮いている。彼の隣では、セーラー服の襟を正した水鏡冬華が、腰に下げた日本刀の鯉口を親指で軽く押し、周囲を警戒していた。彼女の瞳には、かつて幕末の動乱を駆け抜けた者特有の、鋭利な観察眼が宿っている。


「……ここが、『地球』の再現なのね。懐かしいやらなんのやら」
冬華の声は、雑踏のノイズに掻き消されそうになりながらも、ミハエルの鼓膜に明瞭に届いた。彼女にとって、この過剰なまでの「人工物」の集積は、本能的な嫌悪を催させるものらしい。その背後では、漆黒の重鎧に身を包んだタン塩女帝ことブラックヴァルキリー・カーラが、身の丈を超える長槍を石畳に突き立て、退屈そうに欠伸を噛み殺していた。彼女の黄金の瞳は、街路樹の隙間に設置された自動販売機の、極彩色に光る飲料サンプルを執拗に追っている。


「ミハエル、この世界の食文化は期待できるのだろうな? 魂の導き手たるわたしを、このような無機質な鉄の檻に閉じ込めたのだ。相応の供物がなければ、わたしの槍がこの見せかけの平和を貫くことになるぞ」


「ももももーん! カーラさん、そんなに殺気立たないでくださいませ。見てください、あちらの大きな掲示板! 画面が動いていますわ! あれはきっと、この世界の神々が下界の民に与えた啓示に違いありませんわん。わたくしも、あの光る板の中に、わたくしの『色』を叩き込んでやりたいですわ!」


桃色の十二単を翻し、重力から解き放たれたように宙を舞う桜雪さゆが、巨大な街頭ビジョンを指差してはしゃいでいる。彼女の周囲だけ、季節外れの桜の花びらがポリゴンの欠片となって舞い散っていた。彼女にとって、この仮想世界は巨大な「おままごと」の会場に過ぎない。


ミハエルは、視線を足元の線路へと落とした。彼らが立っているのは、高架上に設置された巨大な駅のプラットフォームだ。規則正しく並んだ黄色い点字ブロック、錆びついた鉄柵、そして遠くから聞こえてくる、規則的な金属の摩擦音。その音は次第に大きくなり、地響きとなって足元を揺らし始めた。


「……さて、この世界の『理』を、少し試させてもらおうか」


ミハエルの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。彼は、駅のホームに設置された「非常通報ボタン」という名のオブジェクトを無視し、線路の直上へと一歩踏み出した。


「ちょっと、ミハエル? 何を考えているの」


冬華の制止も聞かず、ミハエルは空中を歩くようにして、線路の中央へと降り立った。彼の前方からは、銀色の車体に緑色のラインを引いた、十数両編成の鋼鉄の塊――「電車」と呼ばれる輸送兵器が、猛烈な勢いで迫ってきている。それは、魔法による飛行手段を持たないこの世界の住人たちが、大地を縛るために生み出した、機械仕掛けの龍のようにも見えた。


ミハエルは、右手の杖を静かに掲げた。彼の内側で、ゲーム内のステータス値とは無関係な、本物の「公爵」としての意志が凝縮される。


「呪禁道・第七節――『万物の運動を拒絶する』」


彼が放ったのは、単なる攻撃スキルではない。対象の物理的な慣性を否定し、その存在そのものを固定する、空間干渉の術理だ。ミハエルの全身から、青白い燐光が溢れ出し、線路全体を覆い尽くす巨大な障壁を形成した。本来ならば、この一撃で山一つが粉砕され、鋼鉄の列車など紙細工のようにひしゃげるはずだった。


だが。


轟音と共に迫り来る電車の先端が、ミハエルの展開した障壁に接触した瞬間、期待されていた破壊の衝撃は発生しなかった。


銀色の車体は、ミハエルの魔力を、まるでそこには何も存在しないかのように「透過」した。いや、透過ですらない。電車のポリゴンモデルは、ミハエルの障壁と完全に重なり合いながら、一切の減速を見せることなく、彼を飲み込むようにして直進を続けたのだ。


「……何?」


ミハエルの眉が動く。彼は即座に、杖を捨て、握力七十キロを誇るその素手で、目前の車両の連結部を掴もうとした。物理演算が正常に働いているならば、彼の筋力は車両を脱線させ、周囲の建造物を巻き込んで大惨事を引き起こすはずだ。


しかし、彼の指先が鋼鉄の肌に触れた感覚は、空気の抵抗と何ら変わりなかった。ミハエルの腕は、高速で移動する電車の内部を通り抜け、座席に座っている無表情なNPCたちの頭部を、幻影のように通過していった。


「当たって……いないのか?」


ミハエルは呆然と立ち尽くし、自身の身体を通り抜けていく数千トンの鋼鉄を見送った。電車の最後尾が通り過ぎた後、そこには傷一つついていない線路と、静寂だけが残された。システムログには、「DAMAGE:0」の文字すら表示されない。そこにあったのは、否定でも抵抗でもなく、完全なる「無視」だった。


「ぷっ……あはははは!  見た、今の!?  ミハエル、あんた、あんなに格好つけておいて、ただの空気扱いじゃない!  腹筋崩壊しそう、頭病めそうを通り越して、お腹痛いわ!」
 ホームの上で、冬華が膝をついて爆笑していた。彼女の長い黒髪が激しく揺れ、目尻には涙が浮かんでいる。


「半竜、笑いすぎー。でも、確かに今の息子さんのポーズは、まるで『止まってくれないタクシーを呼ぶ不審者』のようじゃん。ももももーん!  芸術的なまでの空振りだわ!」
 桜雪さゆも、扇子で顔を隠しながら、身体を折って笑っている。彼女の周囲の桜吹雪が、笑い声に合わせて激しく舞い踊った。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する