• 歴史・時代・伝奇
  • ホラー

『アガルタのイオリ』第93話 横光利一の『春は馬車に乗って』

今回妖精ルークが「春は馬車に乗って」という魔法を使います。
物体を移動させる魔法ですが、この名前は横光利一の短編『春は馬車に乗って』から拝借しました。

いわゆる病妻ものの私小説です。
横光利一が結核で亡くなった妻を看護した体験が、この作品のベースになっています。

作家である「彼」の妻は結核で余命いくばくもありません。
彼は自宅で懸命に看護しますが、妻は日に日に弱っていきます。

弱るにつれ妻は病人らしいわがままをいうようになります。
「やかましい」
「うるさい」
と夫を罵倒するおとなしかった妻の姿に、十代の自分はショックを受けました。

仕事と看護の日々が続き彼も弱ってきます。
ひどい腹痛に苦しむ妻のお腹を撫でながら、彼は思わず愚痴をこぼします。

「俺もだんだん疲れて来た。もう直ぐ、俺も参るだろう。そうしたら、二人がここで呑気(のんき )に寝転んでいようじゃないか」
すると、彼女は急に静になって、床の下から鳴き出した虫のような憐れな声で呟いた。
「あたし、もうあなたにさんざ我ままを云ったわね。もうあたし、これでいつ死んだっていいわ。あたし満足よ。あなた、もう寝て頂戴な。あたし我慢をしているから」
彼はそう云われると、不覚にも涙が出て来て、撫(な)でてる腹の手を休める気がしなくなった。

初めてこの短編を読んだとき、もっとも感動した場面はここでした。

ある日二人のもとに知人からスイトピーの花が届けられます。

「どこから来たの」
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒(ま)き撒きやって来たのさ」
妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。
そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚(こうこつ)として眼を閉じた。

この悲しいまでに鮮やかなラストシーンがタイトルになっています。
これでこの名編は幕を閉じます。
一時期(今も?)ライトノベルで病気で余命いくばくもないヒロインものが流行りましたが『春は馬車に乗って』はその原点です。
原点にして頂点……は言い過ぎですね。
でも傑作です。
青空文庫にあるので未読の方はぜひ。

『春は馬車に乗って』横光利一
https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/904.html

『アガルタのイオリ』第93話 春は馬車に乗って
https://kakuyomu.jp/works/16818622176421206781/episodes/16818792438870565815

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する