今書いているのが、平安時代くらいをモデルにしていまして。この頃の戦いの華といえば、やはり一騎打ちな訳です。
これは鎌倉時代後期くらいまで続くという話なのですが、ぶっちゃけ孫子兵法なんか読んで兵法を学んだ私にとっては、こんな非効率な話あるんかな?と思うわけです。
ほんで考察してみました。
どうも、坂上田村麻呂の蝦夷征伐くらいには弓が凄いという事は広まっていたようです。
そして、馬も、この辺くらいから普及が始まっている。
で、ここらか地方の人たちが武装組織を作って自衛するわけですが、よその国と違うのは、何しろ規模が小さい。
最初は村の若い衆の集団同士の抗争からスタートしているので、多分数十人規模だったと思われます。
で、できた最適解。
馬に乗って、高速移動しながら、強力な弓でアウトレンジから攻撃。
馬も貴重、弓や馬を修練するのも大変なので、そんな事できる奴村に一人いるか居ないかになる。
当然、そういう人はリーダーになりやすく、しばらくするとリーダーなら弓馬の技が優れてないとダメとなる。
結果的に一騎当千の化け物みたいな奴同士、
おらが村の英雄が一騎打ちで戦って勝負つけるのが1番早くて、効率が良い
と、こういう流れだったのかな、と思ったわけです。
当然、兵の大半はその土地の農民ですから、遠くまで行って他を征服するなんて考えがピンとこない。
頼朝も、京都に出兵するのに難儀しています。
そんな状態じゃ
強いリーダーじゃ無いと、部下もついてこないので、一騎打ちして名を上げないと、武士団も維持できなくなる、
源平の頃は彼の集合体で戦争やってたという事になります。
うーん。
日本人って人口少ないせいか、一騎当千みたいなのを育てがる風潮があると思ってましたが、もしかしてそれって昔からなのかな?
と思ってしまいました