Xの#(ハッシュタグ)で「勉強のため皆さんの作品を読ませていただきたいです!」というものが流れてきました。
Xの執筆界隈ではそれほど珍しいことでもないのですが、ふと我に返ってきちんと読むと、これは酷いですね。
沢山の本を読むことは別にいいんです。
実際、それで能力があがったと豪語するカクヨム作家は意外と多いので。
ですが「皆さんの作品を」て……何?
「皆さんのお勧めの作品を」なら理解できますが、素人が素人の作品を読んで何か学べる箇所があるのなら、その時間を紙でも電子でもいいので、とっくにデビューしている作家の、一番売れた作品を読む時間に使うのが道理というか近道ではないか? ということです。
まさか、「無料で読めるものを利用して勉強したい」だとしたら、酷いを通り越して可哀そうな話ですね。
という視点と、「独学しないのだなこの人は」という話にもなります。
「ならば私の作品を読んでみて」というリプが80件くらい付いてましたが、1割が勉強になったとしても8作品。
10万字越えの作品だったら読むのに2時間強なので、16時間も「素性も知らない素人作家の作品」を読むことに……。
千歩譲って「皆さんの一番の自信作を読ませてください」なら理解できます。
「自信作で面白い筈だから読んでみて」なら私は読みに行くのですが、そこで何かを学ぼう、なんて姿勢では望みません。
娯楽作品をさあ読むぞ、という完全読者モードです。
で、結果として得るものがあった、というのが今月か先月末辺りからの近況です。
さすがに異論はないと思うのですが、あればコメント欄にでも書いてみて下さい。
あ、感情論ならコメントはいらないです。
実は学べるのです系の話なら興味はありますけど。
ふと思ったのですが、この話「クオーラ」でのやり取りに似てますね。
その界隈の素人が質問し、詳しいと自負する人達が、やたらと長くて、それでいて的外れな疲れる回答をする、という形。
「勉強したい」人は、そう宣言せずにしているものです。
宣言してない人が「勉強したいので」と言うのは、「今年はダイエットする」と毎年言っている方と同じですね。
仮に身近にそういう方がいたら、「そうなんですね、ははは」と返せば誰も損をしないのでお勧めしておきます。