─1939年秋、浜松─
本田宗一郎は弾痕が残る八九式中戦車の側から身体を起こすと、腰に手をやった。
「どうだね」
側で見守っていた将校が声を掛ける。
「修理は終わりました」
「そうか、御苦労。
休憩室はあっちだ、付いてこい」
「どうも──ありゃ何です?」
視線の先の倉庫には、最近出回り始めたTV程の大きさの機械が入り口付近に山と積まれていた。
「ああ、あれは無線用発電機だ。
まだ使えるんだが新しいのが入って要らなくなってな。
近々払下げがあるから気になるなら応募してみると良い」
「はあ」
彼等の預り知らぬ事ではあるが、東北大学やTDKが開発した磁石を採用した発電機の影響が現れていたのだ。
─数日後─
「それで買って来たと」
弟の弁二郎は呆れ顔だった。
宗一郎が興した会社、東海精機は3月にエンジン部品の一つで燃焼室からオイル漏れを防ぐピストンリングを売り出したばかり。
中島飛行機にも販路が出来、内燃機関が存在する限り会社も安泰と考えていた弁二郎にとっては寝耳に水だった。
同席していた専務の宮本才吉も同様らしく、困惑している。
そんな彼等に宗一郎はこうぶち上げた。
「自動車は量産され始めたがトラックばかりでオート三輪もまだまだ高い。
おまけにピストンリングはリケンが先行している。
部品だけでなく誰も手を着けていない動く物が欲しい。
いや、創りたい」
熱弁に溜息を吐いた弁二郎は、
「造るのは良いけどあてはある?
あるなら手伝うけどピストンリングの片手間になるよ」
と怪訝な顔をした。
「自転車に付ける」
宗一郎の言葉は力強い。
車好きが高じて自動車修理業を始め、子供が生まれる前に妻のさちとタンデムで浜名湖を一周していた彼にとって、幼い娘を背負い自転車で買い出しに出かける妻を目にするのは自身の技術や誇りが許せなかったのだ。
「部品の運搬等に役立ちますし、現物も空いた土地もあるので必要なのは組み立てる建物だけで済みますね」
納得した宮本が賛同の声を上げ、自転車補助エンジン──モペッドの開発を開始。
燃料タンクに湯たんぽを勝手に使って小言を貰う等問題もあったが、一ヶ月後に試作車が完成した。
テストドライバーはさちだった。
だが、
「お父さん、見て下さいよこれ。
お気に入りのもんぺが油塗れじゃないですか。
こんなんじゃお金出して買ったお客さんに顔向け出来ませんよ」
「うん、そうだな……」
さちのあまりの剣幕に宗一郎はたじたじとなった。
意見を反映しエンジン配置を変更。
オイルの吹き上がりを抑止。
自転車より10円安い80円で売り出されたが、ガソリンの消費量が少ない為統制下にも拘らず飛ぶように売れた。
年明けには払い下げがピークを迎えたが、宗一郎はより自転車向きのエンジンを開発する事で対応。
これに軍部も注目し百式原動機付自転車として採用した。
マレー作戦成功の一助となり、内地でも徴兵が進んだ男の代わりに女性がヤクルトレディとして活躍する事となる。