かの佐々木徳夫があくなき情熱をもって切り込んだ「フルーツ妖怪」傳承は、彼のフィールドである宮城県に留まらず、そこそこ広い版図を持つらしい。
『孤独のグルメ』が、欲望に弱い井の頭五郎が食欲を満たしていっのっかしら、ごろーぉ で帰るとか、は多分ドラえもんの筋になるでいい筈。夏目房之介大先生の説によれば、例の在日支那人の人を雇ってるをっさんは、瓦とか割れる人で、それを自慢しつつ、料理作ってアレしてゐると、客がぎゃあぎゃあこいて、キレるとアームロックされ、あの瞳のあのセリフが、と言ふのは谷口ジローの十八番。あと豆かんへ必要もないのに無駄に根性入れてをるさうである。ぁー、さういへば『孤独のグルメ』に松重さんと、杏さんがでるのは「また」らしいのだが、『百日紅 Miss Hokusai』(アニメの方)の葛飾北斎と娘以外にあるらしいのだがなぜか「松重豊と杏が親子とか役で共演する作品」を調べるモチベがない。
「対象化されたハイヌウェレ型神話」である可能性。すでにオホゲツヒメの段階で頭にかひこ(蠶)生り(古事記)、『日本書紀』ではウケモチノ神の頭から馬とか生り、といふ非植物系が出てをる。記紀では、照葉樹林文化圏のアレで対朝鮮語圏とか用なので日本書紀の方では朝鮮語によるダジャレが展開する。ぴゃっとみた限り、柿、リンゴ他は栽培植物で、なんぞが「指導」したとかはない。零落したそれでもなさげ。入道坊主の形をしてをっても、かのパレンケのパカル王陛下の玉体のごとき「柿の芽が出る」方向へは行かない。ヤシの実の関係傳承は生首から発芽したヤシの木が人の頭を実らせるとかがある。芽と根の出るところがいい感じでシミュラクラ効果を及ぼすんだけど話されてるところが非日本語文化圏なので、「目から、出た芽はすくすくと育ってをったさうぢゃ」とかに行かない。
ももくりさんねんかきはちねん 梅は酸いとてうんじふねん、らしい。
たんころりん 東北にそこそこ分布する傳承に出る、人を殺す魔道の呪文。ただ話の中ではこれを唱へる狐は逆手を撃った人間により逆襲されるらしい。これの出る傳承を調べ、「ゾルトラーク」との共通項を探して、なんかするとまう一発行ける筈。
大黒は太極なりとする。多聞天と弁才天と大黒天の三神合体像はよく拝まれてゐるが、他打ち出の小づちの原型が大聖歓喜天で、ガネーシャ大明神は十一面観音とペアとされ立って填めてる像がある。オホクニヌシノミコトは、うーん。十一面観音 もと水の神であったが支那で8+3面としてウッド属性とされる。鱗虫系、あを、風とか、具現化を司る。
水木しげる説における「水界の豊穣神」として河童みが認められる「ひょうとく」(ひょっとこのお面で拝まれる)のやうな、でっかい樹の下から出てきた「お大黒(おでえこく)様」が「たんたんころりんたんころりん」と謡ひながらけつから銭を出す傳承がある。ひょうとく~お大黒様は共通して欲深い人により出す器官を傷つけられたためそれが出せなくなる。この辺を何とか。
京都の謎のホモの町エビス。夷だとネコで戎だとタチ(多分「攻/受」ぢゃない筈)
沼正三『家畜人ヤプー』はい。