こんにちは。
どこで返信すればいいか分からず、また、あなたの作品やノートでご迷惑をかけたくなかったため、こちらで失礼いたします。
まずは、レビューを書いてくださったお気持ちに感謝します。ですが、そのレビューは削除させていただきました。申し訳ありません。
というのも、そのレビューには、私の作品とはまったく異なる価値観や背景が前提として含まれており、それを読んだ第三者に誤解を与えてしまう内容だったからです。
お気持ちは嬉しいのですが、削除という判断をさせていただきました。
実は以前から感じていたことなのですが、私としゃもこさんの間には、『音に、音はない』という作品に対する認識にかなりのズレがあるように思います。
① この作品は恋愛小説です。
二人が互いに救われていく「恋愛の物語」であり、いじめのドキュメンタリーではありません。
これは小説です。そして、青春小説においては学校の設定が現実と異なることは珍しくありません。なぜ、なぜ、現実の学校名や実際のケースをこの物語に当てはめようとされるのでしょうか?
② 私がこの小説を書こうと思ったきっかけは、「誰かの状況や気持ちを、自分の偏見や色眼鏡で決めつけてほしくない」という思いからです。
ですが、しゃもこさんがこの作品を読む際には、ご自身の教師としてのご経験や時代背景のフィルターを強く通して読まれていると感じてきました。
A. 「先生は必ず言葉によるいじめを止める」という前提ですが、現実には止めない先生もいます。
そして中には、いじめの中心にいる先生もいるのです。
しゃもこさんがそうでないことは分かっていますが、だからといって、存在しないとは限りません。
実際、第7話のコメント欄には、「何もしない先生」に悩んだ方の声が多く寄せられました。
B. 「いじめの方を頑張るか?」とも書かれていましたが:
これはドキュメンタリーではありません。
殴る蹴るだけがいじめではありません。
ネット上の誹謗中傷も証拠が残るため加害者にとってもリスクがあります。
背後に隠れる加害者ばかりではありません。
長期間にわたる言葉の暴力は、非常に残酷なものです。
C. 主人公に対して「バランスの悪い女性」と書かれていましたが、
——私は、この言葉に強く違和感を覚えました。心が脆くても、それは決して軽んじられるべきことではありません。
D. 「難関校に合格するような生徒は、精神的にも強いはずだ」という価値観も、教師の立場や時代背景に基づいたものであり、私は必ずしもそうだとは思いません。
進学校の生徒=心が強い、とは限りません。私はトップ校ばかりに在籍してきましたが、心が弱い仲間も多くいました。
また、カクヨムで出会った東大出身の3名の方も、誰一人として「精神的に強い」とは限りませんでした。
実際に、彼らもカウンセリングを受けており、自分の悩みと向き合っています。
それは、しゃもこさんのお嬢さんの同級生にも当てはまるのではないでしょうか?
それに、私は実際に自ら命を絶ってしまった人のことも知っています。だからこそ、私はみんなが前を向いて歩いていけるようにと願って、この作品を書いています。
「難関校に行く人はメンタルが強くて当然」なんていう考え方は、どうしても受け入れられません。私は、そういう人たちのことを心から共感しています。
E. 地域や時代が異なれば、環境も異なります。
そして、たとえ同じ環境であっても、人によって感じ方や受け止め方は全く違います。
私はこの作品を通して、「それぞれの感情には尊重されるべき価値がある」というメッセージを届けたいと思っています。
ですので、誰かの価値観だけで他人を断じてほしくありません。
F. 「少しの言葉で崩れる人は、論理が足りない」というご意見には、納得できません。
そもそも、なぜ教師や同級生は、他者を言葉で攻撃する権利があるのでしょうか?
なぜ保護者の訴えや助けの声は、無視されてしまうのでしょうか?
どんな出来事の裏にも、個々の背景や事情があります。
G. 私はこの点について以前もご説明しました。第7話にも書きました:
先生が動かないのは、ただ見て見ぬふりをしているわけではない。
中には、最初から加害の中心にいる先生もいる。
そして、加害者も被害者も「優秀」とされ、難関校に進む可能性のある生徒だった——
それこそが、ある意味での残酷さであり、だから先生は「見て見ぬふり」をする。
クラスから有名校への合格者を出すことが、最優先されるから。
「進学校」とあえて書いたのも、そうした背景を込めてのことでした。
H、私は既に、色んなところで作品内で丁寧に説明したつもりでした。そして、登場人物たちは私の実体験ではありませんが、身近な人々から着想を得ている部分もあります。
例えば、私の作品の男性主人公には、現実にモデルとなった人がいます。物語が進むにつれて、「どうして彼がこんなに辛い過去を持っているのか」と疑問に思う読者も出てくるかもしれません。でも、現実の彼は、私が書いた以上にもっと過酷な状況を生きてきました。
それでも彼は、自分の力で歩き続け、妥協することなく、ちゃんと光の射す場所まで辿り着いたんです。
彼らはみんな、迷いながらも、苦しみながらも、それでも成長してきた人たちです。
だからこそ、彼らのことをあのように言われるのは、私はとても悲しく思います。
その人たちを傷つけるような印象を与えるレビューを、私は残しておきたくありませんでした。
長くなってしまい申し訳ありません。
最後に、あなたの思いやご経験を否定する気はありません。ただ、この作品にはこの作品なりの想いと背景があり、それを尊重していただきたいという気持ちから、こうしてお伝えしました。