皆さま今晩は。
本日は「幕末勘違い令嬢走る!」についての史実的な事(?)を書いてみたいと思います。
何より、幕末にはまだ「令嬢」なる言葉は本当は生まれていなかったので「史実」も何もないのですが……
土方歳三に「婚約者」はいたのか?
史実的には、正式な婚約には至らなかったものの、歳三数え17〜24歳ぐらいの間に「どうだ?」と勧められた事がある相手はいたようです。
土方歳三の奉公については、巷説では、まず数え九歳の時に奉公に出されたものの、トラブルですぐに帰ってきてしまい、数え十七歳ぐらいの時に再び奉公に出たものの、今度は女性問題を起こしやはりすぐに辞めてしまった事になっています。
しかし実際の歳三は石田寺に残っていた「宗門別人別帖」によると、数え十四歳から数え二十四歳までは石田村に居らず、約十年間何処かで真面目に奉公していたようです。
歳三の奉公は、貧しさと言うより、末っ子だった彼の大人になった時の身の振り方を親族が考えたゆえの事だったようです。
(現代的に考えると実業学校に通わされたようなもの)
奉公先の説としては
・上野松坂屋の支店である太物商(木綿の着物を扱う店)の大伝馬町・亀店
(松坂屋の公式HPには土方歳三が勤めていた事があると書いてあります)
・内藤新宿の遠縁の店
・松坂屋支店大伝馬町亀店に三年ほど奉公したあと、内藤新宿の遠縁の店に移った可能性もあります。
そして、この店(三味線を扱っていたとも言われる)の跡取り娘に「お琴さん」と言う女性が居て、しかし一説によると、この「お琴さん」は歳三よりも十歳ぐらい年下だったとのこと。
更にこの縁談?が持ち上りかけた時の「お琴さん」の年齢は、数え七歳から十四歳位の、つまりまだ「子供」と言って良い年だったので、縁談が持ち上りかけたと言っても、歳三とお琴さんに恋愛にも似た感情があったとは、考えにくいです。
実際、慶応三年秋、江戸及び多摩に隊士募集のため帰った時に、歳三はこの「お琴さん」と普通に再会し、歓迎を受けたような記録が残っています。
(歳三の甥、佐藤俊宣の記述)
「内藤新宿の店」の跡取り娘だった「お琴さん」が歳三に恋をしてしまい、独身のままずっと待っていた可能性はやはり低いと思います。
恐らく慶応三年に歳三が訪ねた際の「お琴さん」は、年齢を考えても既に婿を取り、家の跡を継ぐなどして、わだかまりもなく、だからこそ歳三も気兼ねなく縁者である内藤新宿の彼女の家を訪ねることができたのだと思われます。
ただし、新選組を扱った創作(大河ドラマや新作能『土方歳三』など)では、「お琴さん」は歳三と男女の関係となったり、恋焦がれずっと歳三を待ち続けた…等のストーリーとなっていることが多いです。
