応募原稿が落ち着いてきたので、、!
今回はそろそろ、AIと創作について何か書いてみようと思いました。
何か書けよ! って思われていたかも。(自意識過剰w)
僕の場合はAI活用について、少バズ記事など色々投稿しており、AI推進論者の側面があります。
一方で、自然に想像しうる、AIと人間の関係性の歪みというものも、予感しています。
そこでいくらか、このあたりの、AI創作と人間みたいなことを書いてみたいと思います。
▼聖域と茶の湯の法則
例えば茶道というものがあります。
静かな空気の中で、作法を学んだ人がお茶をたてて、お客様に供する。
――これが、味が同じであっても、ドリンクバーからじゃーっと出て、「結構なお手前で」なんとことにはなりません。
なぜなら、『人間が心を砕いで茶を淹れた』という、一種の観念に価値があるからです。
いわんや創作においでも、この『茶の湯の法則』が働くと思うのです。
物理的限界のある人間が関わったアートとして捉えると、この人間性の聖域、というものに価値が出てくるのかもしれません。
一方で、『生活を豊かにする穴埋め』としてのAI利用は、消費者目線では抵抗が少ないかもしれません。
わざわざコンサートに行くなら、『茶の湯の法則』しかり、人間が演奏した音楽を聴きたいものです。
一方でカフェのちょっとしたBGMとかなら、僕はAIでも構わないと思います。
観念の問題でしょうが、アートとして意識的に触れるものと、生活の隙間を埋める背景的な素材では、意義が違います。
そんないわば『穴埋め』をAIが担うなら、悪くはないと思います。
(無論そこにも秩序は要ると思いますので、別で述べます)
という感じで、感覚的、観念的な側面から、創作の人間性、拠人性について触れてみました。