「何かを創作する」という行為にはとてつもない熱量が必要なわけで。
創作に励む方であれば、きっと誰もがその動力源となる感情をお持ちだと思うんです。
ずっと昔に新紀元社さんから出版させていただいた『椅子を作る人』、あれの動力源は「好き」そのものでした。
クラシックの美しい旋律と、凄惨な殺人事件。
高度な精神活動を営む端整な男が抱えた狂気。
歪みを秘めたバディの奇妙な友情。
当時、読者の方から「まるで性癖の煮凝りのよう」との評をいただきましたが(笑)、まさしく『椅子』は私の性癖そのものでしたから、書き上げるにも大して苦労はありませんでした。
一方、現在連載中の『骨董屋あらため』。
こちらの動力源は「怒り」です。
主人公・蛇川は私の怒りを具現化したようなキャラクターでして。
内側から発露する怒り、つまりフラストレーションが高まれば高まるほど輝いてくれるので、(傍迷惑な話ですが)私が苛立っている時ほどサラサラと筆が進むわけです。
しかし、近頃は少々「怒り」が足りない。
幸か不幸か、フラストレーションの種は日々供給されるのですが、
最近はそれを全てピアノ練習にぶつけていると申しますか、練習曲に生命力そのものが吸い取られてしまって怒りを発露できないと申しますか……とにかくうまく書けずにおります。
目下練習中のベートーヴェン『月光 第三楽章』、これをもう少し自分のものにできるといいのですが!
その前はショパンの『幻想即興曲』に熱を上げていたのですが、『月光』の修得にはまだまだ時間がかかりそう。
とはいえ、『骨董屋』は私の中では愛着もある大切な作品ですし、感想やレビュー、リアクションにはいつも大いに勇気をいただいております!
多趣味なうえに飽き性という困った性質のため、更新にお時間をいただくこともあるかと思いますが、
これからもまったりとお付き合いいただけますと幸いです。