色々考えて考えて、壊れた心の奥にあった結論の話。僕の物語。
無粋だが、この短い物語の結論だけ言おう。僕は何度死んでも、書こうと思う。
僕は、どうしようもない人間だ。人間失格と言うのは野暮で気障だけれど、太宰のアレが実話ベースだったのであれば、僕は半失格といった所だろうか。
女遊びはせずとも、所帯は持たずとも、酒に溺れ、薬を飲んで倒れ、暴れ、妬み、憎み、死のうとしたのだから、半失格か。
とはいえ、そんなことはどうでもいいのだ。どうせ生きていくのだから、どうでもいいのだ。
重要なのは、これからの話。
何度でもやり直せるというのが本当かどうかは分からない。でも何度でもやり直しているわけではないように思える。
何度も殺され、その度に這い上がるというようなイメージが強い。
自分が携わって来た音楽について、辞めるタイミングが数度あった。
その時に言われた言葉達も、とてもではないが筆舌に尽くしがたい言葉達だったのを良く覚えている。
それでも僕は今、多少でも音楽を続けている。続けようとしているし、自我にかけられた呪いに続けさせられている。
だからきっと、執筆行為もそうなのだろうと思う。
頑張ってみようか、ではなくいい加減立ち上がるしかない。
去年の傷が癒えたから? そんなわけがない。
自分の精神状態が良くなったから? そんなわけがない。
だけれども、やるしかない。だって、僕ら創作する人間は、何度でも辞めたいと泣いて、それでも辞められずに筆を、楽器を手に取る人間なのだから。
だから、改めて自分を振り返って語ろう。
過度な卑下な自傷行為は同じ傷を持つ人を痛めてしまうかもしれない。
だけれどそれらは言葉の上で他人にも当てはまったとしても、厳密には似て非なる物で、細かな価値観によって個々人に存在している物だと思う。
僕は僕を卑下するけれど、貴方の事ではない、間違いなく僕は僕について、悪意を持って攻撃した人間以外と倫理観の壊れた不正者以外に悪意を持たない。
それに、僕は僕の作品に自信や価値を殆ど見いだせないから『読んでくれてありがとう』と思う反面『どうして僕の作品を読んでくれるのだろう?』という気持ちがとても大きい、それは変えられない事実だ。
コンテスト等の当落についても、とりあえずタグ付けをしてみたり、記念受験をするだけで、自分自身は通るだなんて思って書いていない。
だからこそ一次を通過したとしても二次ではどうせ捨てられるだろうという自己肯定感の低さの元で執筆をしている。
大成するというなら大喜びだが、自分にその可能性を抱く程、自分はまともな物書きではない。
だからこそ、コンテスト関係の通過は、嬉しい気持ちがあれど、同じくらい悲しい気持ちもある。
それに、たまたまなんて評された事が未だに忘れられなく、一次を通過出来るのは『その程度』だと刷り込まれている。
自己肯定感が低いのだ。正直その感情を拭う事も出来ない。
だからこそ、自分に於いては偶然だと思ってしまうのも変えられない事実。
そうして、一次くらいは通せという言葉、通って然るべきだという言葉は、自分への強い戒めだ。
書いて望むのなら、掴み取らねばならないという戒め。だからこそ一次程度と称する。何年も二次にたどり着けないのだから、いい加減一次についてくらい、通過点でいなければいけないと、自分自身は思う。
だけれども、だけれどもだ、だからといって他の頑張っている人の一次通過は花を送る程喜ばしい事だと思っている。
僕は努力の人間ではない。それでたまたま一次が通る事があるだけだ。逆に言えばだからこそ二次が通らない。
きっと、他の頑張っている人達は、その人の弛まぬ努力で掴み取った物のはずだから、素晴らしいものだ。
だけれど、僕は執筆活動に於いて、ほぼ努力をしていない。
筆が動くままに書く怠惰な作家だ。
それでも受け入れてくれるのなら読めばいいと思う。受け入れられないから読まれない。それだけだと思う。
受け入れてもらうべきなのだろうと思ったのならば、その時に、自分が勝手に変えるだけで、誰に言われて変えるものでもない。規律や規則を教えてもらう事は嬉しくても。
少なくとも、自分のスタイルに口を出す権限は誰にもないし、僕もまた人のスタイルに口を出す権限は無い。
それが12月にあった出来事、自分の中では凄く大きな傷になった。約半年、まともに筆を取れないくらいに。
絶対に、許す事は出来ないと思うし、今でもその人が怖い。
ただ、もう僕はその人を見下す事が出来ている。スタイルに口を出す事もしない。
ただ、単純に見下している。承認欲求だけを求めて、読者に媚び続けて、トレンドの量産に落ちたあの人を、僕は小説家とは、決して呼ばない。
ただの、本当にただの金目的の筆使いだ。データを集めて、流行りに乗っかって小銭を稼ごうとしているだけで、実際の所、創作を好まない人間だと、知っているし見下せる。
あの人が好きなのは創作ではなく、ちやほやされる事だ。きっとあの人のそれは、小説じゃあなくてもいい。
何でも良かったんだと思う。何でも良くて、たまたまデータと流行りを読み解けばちやほやされる事に気づいたから、要は大量のテンプレートを作り続けたのだろう。
事実、そのテンプレートを使わずに書いたであろうその人の作品は、まるで読めたものではなかった。伸びなかったようだったからすぐに消したようだが、交友関係があった頃ですら悲しく思った。
だからこそ、自分とは立っている場所が違う。僕はもう、そんなあの人を見下している。
だからこそ、だからこそ、そんな自分よりずっとずっと下で、承認欲求と金の為にデータと流行を頼りに書き続けている人間の戯言に、いつまで惑わされているのだろうかと思った。
勿論、その人以外を見下すわけじゃあない。
それはそれで一つのスタイル。だけれど僕のスタイルに自ら対立して文句を沢山言い残して消え、後からずっと監視しているなんて言う、どうかしている人はちゃんと見下そうと思う。
僕は、僕の創作は、一人で良い。
何となく読む千人、一万人じゃなくて、心に刺さる一人だけで良い。
だからその一人の為に書けば良い。
その一人は自分であるし、もしかしたら二人目がいて、貴方かもしれない。
どうなるかは知らない、貴方が多ければそれは不思議だけれど嬉しいだろう。
だけれど僕は僕の為に書いている。
壊されたものは直らない、決して、決して直らない。
だけれども、壊せない物があったという話。
それと、不正をして人をかき集めている人が心の底から大嫌いだ。
厳罰が当たって欲しいと思うけれど、このネット小説界隈じゃどうにもそれが許されるらしい。うんざりする話だと思うけれど、その人もまた、心の底から見下している。名前は言わない。だけれど知っているはずだ。
最後に、此処まで読んだ人ならば良いだろうと思う。とりあえずではあるけれどTwitterのアカウントを作った。
ただ、この名前では作りたくないから、好きで、以前関わりのあった少数の作家だけをフォローしている。
下手なキャラクターを演じて、何となしに使っているだけだが、もしそのアカウントが自分だと気づいたらもう一度関わり合って欲しいと思うし、こんな自分に嫌気がさしたなら、ブロックでもして欲しいと思っている。
人間関係も、もう少数でいい。ナーナーな関係は一切必要ないと思っている。
他の人の、この小説界隈の人増やしの常識は理解しているし、納得もしているが、僕は少数でいい。
傷つけ合う事無く、話せば分かり合える程度の自我を持ち、切磋琢磨出来る、ほんの数人いれば良い。
ただ、こんな僕を見限る人間は多いだろう。気付かない人も多いだろう。
本記事と同様の事をなろうにも記載しようと思う。
もしもこんな半人間失格の自分であっても、ちゃんと血の通った繋がりを求めてくれる人がいて、別名義を使っている僕が分からないのならば、メッセージで一報をくれると嬉しい。