https://kakuyomu.jp/works/16816700427807848148/episodes/16818622173934288072沈没ライフ最新話公開です。今回は服作りの為の布選びと予行演習で雛型を作る話。
◻️スローライフの到達点、江戸時代を語る②◻️
前回は、18世紀における世界で唯一の100万人の人口を抱えた大都市『江戸』の上水道システムについてご紹介しました。江戸中に張り巡らされた地下上水道により、豊富な水資源を使えた江戸では庶民が日常的に入浴できたので衛生的に非常に優れた状態が保たれていました。日本では昔から刺身や寿司で生魚を食する文化がありますが、それができたのは近海で新鮮な魚が獲れたことに加え、衛生基準が高かったことも関係しているのだろうなと思います。手洗いや入浴の習慣がないところで刺身は無理やろ。
今回はもう一つ、衛生を語る上で絶対に欠かせない排泄物の処理について語ります。
中世ヨーロッパの都市では、特に庶民階級は排泄は室内でオマルやバケツにして、それをそのまま家の外に投げ捨てていました。なので道端は排泄物だらけで悪臭が漂い、病気の発生源となり、雨で流れた排泄物がそのまま川に流れ込んで水源を汚染していました。ヨーロッパの川は日本の川のように流れが速くないので汚染はなかなか無くならず、この状況では井戸水も決して安全ではなかったでしょう。水が貴重なので入浴の習慣もなく、体臭を誤魔化すために香水は必須アイテムだったって…………おぇ。公衆衛生学を学んできた身としては正直恐ろしすぎる環境ですね。そら、チフスやぺストが大流行するわけです。
江戸には上水道はありましたが、下水道はありませんでした。では、トイレ事情はどうなっていたのでしょうか? この時代以前から日本では汲み取り式のトイレが一般化していました。戦国時代の城の場合は必要な場所で必要な時に使えるようオマルをメインで使っていたようですが、江戸の町では各家庭ではなく、集合住宅である長屋に共同の便所があり、また町中に公共トイレである便壷が設置されていました。
では、共同便所や便壷が溜まってきたらどう処理していたのでしょうか? 日本では鎌倉時代から人間や動物の排泄物を肥料──下肥《しもごえ》として利用していました。江戸は食料の一大消費地だったので郊外の耕作地で大量の穀物や野菜が生産されており、その為の肥料として下肥は重宝されていました。農家はわざわざお金を出して便所の汲み取りの権利を買っており、農家が払ったお金は長屋の大家の副収入として馬鹿にできない金額だったそうです。
排泄物に価値があるならそこら辺の道端でするよりちゃんと便所でしたいというのが人情。結果的に江戸の町は年寄りから子供まで便所で用を足すのが当たり前になり、衛生的に非常に優れた町になりました。
実際、江戸時代に日本で流行った病気といえば、麻疹《はしか》、脚気《かっけ》、天然痘《てんねんとう》、梅毒《ばいどく》といった衛生状態にあまり関係ない病気が多かったように思います。特に麻疹と脚気は白米食メインでビタミンが不足していた江戸時代だからこそ深刻化した病気ですね。
江戸時代初期は個別の取引だった排泄物の売り買いは江戸時代中期には流通網が整備され、肥舟《こえぶね》と呼ばれる専用のタンカーで水路を運ばれ、大規模な肥だめに集められて発酵させて下肥に加工して各農家に分配されるようになったそうです。……いや、ちょっと凄すぎんか江戸時代。
とまあこんな感じで今回は江戸時代の排泄物の処理のお話でした。ヨーロッパでは処理に困って様々な問題の原因になっていた排泄物が、日本ではお金で買われるほどの価値あるものとして扱われていたわけです。そんな江戸時代、ありとあらゆるものがリサイクルされる究極のエコ社会でした。次回はそんな江戸時代のリサイクルのお話をしたいと思います。