• 創作論・評論
  • 現代ドラマ

創作村あれこれ⑫


諸君は、二次創作を書く側だろうか? 書かない側だろうか?

遥か昔、ある男と「二次創作する作品と、そうではない作品」について語り合ったことがあった。

二次創作において、「感動したかどうか」と「それを書くかどうか」は一致しない。
このズレは、二次創作を長く続けた者ほど、はっきりと自覚している。

まず前提として、題材に選ばれる作品はいずれも、一定以上「愛している」作品である。
愛のない作品は、そもそも二次創作の候補にすら上がらない。
したがって、「書かなかった」という事実は、熱量や評価の低さを意味しない。

では、何が「書く/書かない」を分けるのか。

決定的なのは、作品に存在する余白の性質である。
重要なのは、余白があるかどうかではなく、その余白をどう扱うべきだと感じるかだ。

たとえば「CLANNAD」の余白は、「言語化されることを待っている余白」である。選ばれなかった可能性、語られなかった時間、未確定の感情が読者に委ねられ、読後に感情の一部が未処理のまま残る。
そのとき二次創作は、補足ではなく、解釈の表明として成立する。

一方、「雲のむこう、約束の場所」の余白は異なる。
沈黙や曖昧さそのものが主題と結びついており、余白はすでに完成形である。
そこに言葉を足すことは、補完ではなく侵入になる。
書かないという判断は、自制ではなく理解の結果だ。

この整理だけでは説明しきれないのが、「ひぐらしのなく頃に」だ。

「ひぐらし」には、事実として余白が多い。
心理描写、論理構造、世界観の説明など、未処理の部分は枚挙にいとまがない。にもかかわらず、ひぐらしは同人・商業の両面で二次創作が非常に盛んだった。この事実は無視できない。

ここで重要なのは、「二次創作が盛んだった理由」である。

ひぐらしは、世界観やキャラクターを『素材』として切り出しやすい作品だった。日常パートの再配置、狂気の増幅、パロディ化、別ジャンルへの転用など、キャラや設定を部品として扱う創作との相性が極めて良かった。

一方で、ひぐらしの余白の多くは、「解釈を委ねる余白」というより、「未処理のまま投げ出された空白」に近い。
読者は意味づけの権利を与えられるというより、後始末の負担を感じさせられる。
その結果、「これは自分が言葉を引き受けるべき領域ではない」と判断する書き手も、確実に存在した。

さらに、作者である竜騎士07が明確に二次創作を歓迎していた点も、この感覚に影響している。
本来、二次創作は許可によって生まれるものではない。
衝動として内側から立ち上がり、言葉を奪い取るようにして成立する行為だ。

「どうぞ二次創作してください」という姿勢は、文化的には開かれている。
だが書き手によっては、創作を衝動から依頼へと変質させてしまう。余白は挑戦ではなく委任となり、書くことは解釈ではなく補修に見える。
そのとき、感動はあっても、自分の言葉として書く必然性は失われる。

余談だが、ひぐらし最盛期には、この作品を解剖・解体しようとする「謎解き」サイトが乱立した。

結果としては――まあ、その努力の多くが水泡に帰したわけだが。
当時の管理人たちは、今も元気だろうか。

閑話休題。

この構図を、TYPE-MOON作品に当てはめると差異はさらに明確になる。

「Fate」は、設定そのものが二次創作向きに設計されている。
聖杯戦争という再利用可能なフォーマット、サーヴァントという引用前提の存在、複数ルート構造。世界観は増殖することを前提としており、二次創作は自然拡張として正当化される。

一方、「月姫」は扱いが難しい。
感情と世界観が密着しているため、少し触れただけで「月姫ではなくなる」危険がある。それでも月姫が二次創作され、実際に書かれてきたのは、設定ではなく感情の余白が読者側に強く残るからだ。作者の視線でしか語れないはずの感情が、読者の内部にも滞留してしまう。
その未処理の感情が、「書く資格」を発生させる。

以上を総合すると、二次創作における「書く/書かない」を分ける基準は、かなりはっきりしてくる。

それは、二次創作が盛んだったかどうかでも、余白の量でもない。
その余白が、読者に『意味を引き受ける資格』を与えているかどうか。
そして、書く行為が、敬意になるか、肩代わりになるか。

だから、愛しているから書かない作品があり、面白かったからといって書かない作品もある。

この選別は、二次創作を長く続けた者ほど無意識に、しかし厳密に行っている。
それは創作放棄ではなく、作品との距離を正しく測った結果なのだと思う。

もちろん、「流行ってるから書きます!」という人もいた。
彼はそれを「おかず」と呼んだ。毎日食べれば飽きる――なるほど、である。

それはそれで、市場的にみると正解なのかもしれない。

6件のコメント


  •  私は二次創作したいな、と思いながら、私の筆力じゃ無理だなとが書かない側ですね。

     例えばゲームにしろなんにしろ、惚れ込む作品って神山さんの言う余白が巧みなんですよねー。
  • 千古不易さま

    今振り返ると、「友達作り」や「仲間作り」にもなったのかな、と思います。何と言いますか、コミュニケーションツールの側面もあったかもしれないです。
    同行の士というか、今でいうならば推し活してるもの同士が仲良くなるみたいな?

    >余白が巧み
    仰る通り。これはそうだと思います。
    でも、その余白を納得できるかどうかで、心に炎が巻き上がって「いや、ちゃう! 俺のヒロインはこうなんや!」みたいに衝動に任せるがままに築き上げたのかなー、とか。これを「愛」と呼んでいるのかもしれません。

    言ってみればラブレターを書いてたんです。
    あるいは、その子を思って作詞・作曲していたのかも。
  • 私は二次創作を書いたことはありません。
    というか、小説を書き始めたのが3年前ですので……w

    ただ、子供の頃から私の周りには腐女子がいましたので(しかも複数人w)、マンガの同人誌には馴染みがありましたね。(一度だけ、売り子をしたこともw)

    少し話は変わってしまうのですが、本記事を読んで『魍魎戦記MA〇ARA』という作品を思い出しました。(神山さまなら、ご存知ではないかとw)
    あれは「公式の海賊本」という衝撃的な販売戦略をしていましたね。(あれも二次創作? いやしかし公認……w)
  • 三鞘ボルコムさま

    >腐女子
    彼女らの愛もまた特殊でしたね……。しかも、売り子経験もあるとは。貴重な経験ですよw

    >『魍魎戦記MA〇ARA』
    懐かしいw全部で108編とか普通は50年連載規模でしたからね。二次創作前提というか、メディアミックス展開なのも納得です。
  • 長年ここで活動はしているけど、二次創作はやったことはなかったですね💦

    というか、僕の場合は、ここでの活動は完全に気晴らしなので、皆さんのようにコアな小説オタクではないです😅

    それとは関係はないんだけど、ドラクエの小説を書こうと考えた時はあって運営さんに聞くとダメだと🙅‍♀️やはり、名誉毀損に該当するみたいです😭『ダイの大冒険』や『ロトの紋章』を模した小説を書いてみたかったですね。
  • 鴉さま

    二次創作だと同人誌が最初に浮かびますが、コスプレだったりグッズだったりといったりしている方もいらっしゃいますしね。今で言うと「推し活」の近いでしょうか。

    >ドラクエの小説
    運営的にはダメというしかない、というのが本音なところではないかとも思います。
    というのも、二次創作はあくまでも公式が「お目こぼししている」ものという認識があるので。あくまでも設定やキャラクターを勝手にお借りしている立場でしかないといいますか、そんな感じですね。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する