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創作村あれこれ③

冬の一大イベントといえば、クリスマスを連想するだろう。あの奇怪な真っ赤な衣装に身をまとった白髭の親父が、赤鼻のトナカイを酷使してプレゼントを運ぶというイベントだ。「暗い夜道はピカピカのお前の鼻は役に立つ」と言われたトナカイ氏は、どう思ったのか。私ならば、「お前の禿げ頭はピカピカだから役に立つと言われて、嬉しいと思うか?」と問い返したと思う。

さて、残念ながらクリスチャンでもなければ、だいたい仕事に追われている身でもあり、良い思い出はほとんどない。悪い思い出といえば、交通量が増えて渋滞が発生し、その弊害を実感させられることだろうか。あとは、妙に浮き足立ったカップルを目にして、呪詛でも唱えたくなる気分が湧き上がることもあるが、それはさておく。

どちらかといえば、コミックマーケット――通称コミケの思い出のほうが先に巡る。冬の祭典であるそれは、オタクたちの異様な熱気と、むせ返るような人いきれが会場中を埋め尽くしていた。
私も類に漏れず参加していたわけだが、どちらかというと、強制的に参加させられていたという記憶のほうが強い。寄稿をしたこともあるが、基本的には売り子として手伝っていた。

踊る阿呆に見る阿呆、という言葉通り、祭り特有の高揚感は確かにあったが、売り子側になるとどうにも感じ方が違う。今で例えるなら、カクヨムに作品を投稿したときの気持ちに近いだろうか。売れなければ赤字になる分、ある意味こちらのほうが切実ではあるが、ともかく高尚な趣味であることには変わりはないように思う。

ところで、諸兄は同人誌と聞いて、どのようなイメージを抱くだろうか。おそらく、大半は漫画やイラストを思い浮かべるはずだ。実際、多くはそれに類するもので、文字――しかも小説となると、やはり売れない。

手伝っていた友人の最初の作品は、売上がゼロだった。売れることを想定して書かれたあとがきのもの悲しさといえば、筆舌に尽くしがたい。哀愁漂うその背中に、声を掛けることもできず、缶ビールのアルコールの苦みが、今も舌に残っている。

売れないことは、市場的に言えば失敗だろう。だが、彼は止めなかった。それは自身の愛の表現であり、同時にしっかりと「形に残した」という充足感と満足感を与えていたのだと思う。
数々の作品に触れてきた身として、「エター」は悪であると考える。もちろん、さまざまな理由があったことは想像に難くないが、それでも作品として形にしてほしいと、勝手ながら切に願うのだ。

筆を止めるなかれ。
心が折れることもあろう。読者がゼロで、「何のために書いているのかわからなくなる」こともあろう。

しかしながら、なけなしの給料から出版し、売上ゼロという形になった作品も、確かに存在していたのだ。それと比較して、今の自分の作品はどうだろうか。魂を削っているだろうか。剥き出しの情熱を注いでいるだろうか。誰にも読まれなかった彼のあとがきを読みながら、そんなことを思う。

今は時間的な制約もあり、参加しているわけではない。しかし、SNSなどで情報を見るたびに、頑張れと心の底からエールを送っている。

2件のコメント

  • 個人的意見ですが、「魂を削っている」「情熱を注いでいる」などは「小説の良し悪しには関係ない」と思っておりますね。
    いくら時間と労力をつぎ込もうと面白くない作品となってしまうこともありますし、逆もあります。

    しかし、これもまた個人的にはですが「魂を削るほどの情熱を注ぎこむ作家」は好きですね。応援したくなります。
    私のフォロワー様の中にも、実力足らずながらも努力しておられる方は沢山いらっしゃいますが、ヒマができると作品を覗きに行ったりしちゃいますねぇ。(そのヒマがほとんどないのですがw)
  • 三鞘ボルコムさま

    >「魂を削っている」「情熱を注いでいる」
    仰る通りで、そこに面白さは必ずしも比例しないのですよね。
    インディーズで歌っていた歌手と、メジャーデビュー後とで印象が変わる、という感覚に近い気がします。

    >「魂を削るほどの情熱を注ぎこむ作家」
    ですねー。私もつい応援したくなります。だから、講評したりしているのかも、しれませんw
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