『虚数解のレプリカ』を更新しました。
9話
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https://kakuyomu.jp/works/822139841061028936/episodes/822139841065792668いつも応援ありがとうございます。
ゆっくりではありますが、筆は進んでいます。むしろ、推敲に時間がかかってる感じです。
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創作村あれこれ②
創作村では、定期的にお題をモチーフにした即興のコンペのようなものが開かれていた。一時間以内にそのお題に沿った小説を書き上げ、後から皆で投票し、講評し合う。村の中では、それが当たり前の営みだった。
そこでは日夜、闘いが繰り広げられていた。ただただ作品を良くしたいがために――と言えば聞こえはいいが、実態は、いかに自分の作品が優れているかを示すためのアピール合戦でもあった。
それが成立していたのは、投稿時点では自分の作品がどれなのか分からない、という不透明さがあったからだ。もっとも、最終的には各自が自作を名乗るのだから、どこか滑稽な前提でもあったのだが。
さて、我々の創作村には、モノ書きだけでなく絵師もいた。絵師たちにも、同じルールに基づいたコンペのような催しがあったのだが、その光景は、我々が知るそれとは、どこか趣を異にしていた。
絵とは、視覚的イメージに依拠した表現だ。小説のように読んで理解するのではなく、見て判断される。
「絵は究極の理屈だ」と、かつて誰かが滔々と語っていた。その言葉だけが、妙に脳裏に残っている。理屈の上で描かれた絵、というものも、なるほど存在するのだろう。言われてみれば、色の塗り方や線のタッチには、確かに一定の法則性が見て取れる。
だが、結局のところ、本物は理屈を超えた先にある。有体に言えば、絵とは、自分の欲望を直截に曝け出し、その場で理解を得られる表現だ。
絵師界隈には叱られそうだが、少なくとも言葉を弄する必要がない。極めて記号的で、実にわかりやすい。
なので、絵師コンペとは即ち――自分の性癖暴露大会だった……!
当然、自分の描いた子が一番である。彼ら彼女らは、自分のフェチや理想をそのまま形にした存在で、他人の言葉で順位が入れ替わるような代物ではない。
そこにあるのは、自分の理想を投影した究極の作品だ。押し付け合いというより、最早、殴り合いへと発展していったのである。
当然の帰結として、世の中には、なかなか理解されない表現も生まれる。ギリギリの線を踏み越え、ドン引きされることもあるだろう。それでも彼ら彼女らは描き続ける。己の欲望を満たすために……。
だが、これは創作全般に言えることではないだろうか。
媒介は何であれ、好きなものを描く。これこそが、創作の醍醐味でもあるのではないだろうか。
どっかの輸入商のおっさんも言っていたではないか。
「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独りで、静かで、豊かで」と。
故に、迷わずに進め。
ルールの上でならば、それは許される。
大いに性癖を投影し、暴露してもいい。そして、愛していい。
余談ではあるが、絵師コンペの殴り合いの場で、「で、お前はどっちがエロいと思う!?」と問いかけられ、その場に立ち会わされた私は、実に複雑な心境だった。
大小がすべてではない。小さくとも大きくとも、そこには夢が詰まっている。
そのことだけは、ここに暴露しておきたい。