恋愛って、気持ちの問題やと思ってた。
好きになった人に尽くしたい、喜ばせたい──その気持ちが純粋やと信じてた。
でも、気づいたら「お金」が気持ちの重さを測る道具になってた。
最初は、ただ会うだけで楽しかった。
カフェで話す時間、手をつなぐ瞬間、それだけで心が満たされてたのに、
いつからか、ディナーの店選びに悩み、プレゼントの値段で自分の価値を確かめるようになってた。
相手の笑顔が見たいんじゃなくて、「これだけしてる自分」を見てほしかったんやと思う。
財布の紐が緩むたびに、心の距離も近づいた気がしてた。
でもそれは錯覚やった。
お金をかけるたびに、相手を「手に入れた」ような錯覚に陥る。
実際は、心なんてひとつも掴めてないのに。
特に、付き合いが深くなると、「ここまでしてきたのに」という気持ちが出てくる。
愛情よりも、投資の回収を望むような感情。
恋がだんだん“取引”みたいになっていく。
それに気づいたとき、自分が一番怖くなった。
本当に好きなら、相手が何をしても、何を持っていても、関係ないはずやのに。
ブランドバッグを買ってあげることよりも、コンビニのコーヒー片手に笑い合える時間の方が、ずっと尊いことに後から気づいた。
でも、その頃にはもう遅かった。
お金をかけすぎた分、引き返せなくなってた。
高級レストラン、ホテル、誕生日プレゼント──
「次はもっと喜ばせたい」って思うたび、支出が増え、気づけば“愛”よりも“執着”が勝ってた。
彼女が少しでも冷たくしたり、返信が遅れたりすると、「これだけ尽くしたのに」って心の中で不満が湧く。
本来なら相手を信じるべきところを、“支払った分だけ愛されたい”という気持ちに変わってしまった。
それって、本当の愛やない。
ただの「見返りを求める不安」や。
恋愛で背伸びするのは簡単やけど、その背伸びを続けるのはしんどい。
お金だけやなく、気持ちの面でも無理してると、
ある日、ふっと糸が切れたように全部どうでもよくなる瞬間がくる。
「自分に見合った恋」をするって、地味に大事やと思う。
無理して相手に合わせたり、見栄を張ったりしても、
結局どこかで“素の自分”に戻る。
そのときに受け入れられへん関係なら、最初から長くは続かない。
ほんまに合う人って、奢らなくても、ブランドを贈らなくても、
一緒におるだけで楽しい。
ラーメンでも居酒屋でも、「今日これうまいな」って笑える。
そういう時間を大切にできる人が、
結局最後まで隣に残るんやと思う。
昔の俺は、「愛されるには努力とお金が必要や」と思ってた。
でも今は、「無理せんこと」が一番の愛情やと思う。
自分をすり減らしてまで与える恋は、いつか必ず壊れる。
お金で繋がった関係ほど、壊れるときはあっけない。
恋は、積み上げるものやなく、重ねるもの。
“何をしたか”よりも、“どう一緒にいたか”が大事なんや。
お金をかけすぎた恋は、
まるで砂の城みたいに、波が来た瞬間に一瞬で崩れる。
けど、その崩れ方を見て初めて、
「俺は何を求めてたんやろう」って気づく。
背伸びした恋は、たしかに一時的には華やかで眩しい。
でも、無理して得た愛は、結局“自分を置き去り”にする。
本当に幸せな恋って、等身大でいられることやと思う。
お金じゃなく、安心で繋がれる関係を築ける人と出会えたら、
それがいちばんの財産になる。