ザルツブルクからフランツに宛てて送られた、
1826年3月5日のニッセンの手紙です。
https://digibib.mozarteum.at/mobri/BriefeundDokumente/content/pageview/1941603この手紙は、
彼が亡くなる わずか19日前 に書かれたものです。
コンスタンツェの再婚相手であったニッセンが、義理の息子フランツをいかに信用していたか分かる手紙で、両者の関係性が良好だったことを伺わせます。
内容は驚くほど厳粛で、
そして静かに“別れの影”を帯びています。
ニッセンは、自分の死期を悟りながら、
フランツにこう告げています。
この手紙は最も重要な書類として保管せよ
私が生きている間は絶対に公表してはならない
しかし、私の死後、必要とあれば公表してよい
その判断は君に任せる
私の遺言書の所在も君に伝えておく
つまり、
家の名誉と歴史を守る役目を、フランツひとりに託している のです。
義理の父が、遠く離れた息子にここまで信頼を寄せる──
これは、フランツがすでに“父の影に怯える少年”ではなく、
責任を負える大人の男になっていたという証でもあります。
また、この手紙には下記一節もあり、ニッセンのコンスタンツェへの愛情を強く感じさせます。
私が生きている間は、母には絶対に知らせてはならない。
彼女は、私の死を連想させることに耐えられないのだ。
私もまた、彼女との別れを想像するだけで胸が締めつけられる。
この手紙には「宣言書」(失われており内容不明)についての言及があり、その取扱いについてフランツに託しているのですが、この宣言書の内容は、コンスタンツェの名誉を守るための内容だったのではないか?例えば楽譜を勝手に売りさばいた等というのは噂に過ぎず、出版交渉の窓口は自分(ニッセン)だといったことが書いてあったと推測する専門家もいるそうです。
フランツを成熟した大人と見込んで遺言のような手紙をしたためたのですね。