どうも、ひっちゃんです。
昨日の更新で、拙作『あなたの目になる ~未来が見えなかったただの優等生の私が、盲目の歌姫にそう誓うまで~』が完結いたしました。
https://kakuyomu.jp/works/2912051604374267336
本作は自分なりにいろいろな想いを詰め込んで執筆しておりましたので、その辺りを少し語らせていただきたいなと思います。
記事の特性上、物語のネタバレを含みます。ご了承ください。
まず、執筆の動機は『第2回あなたの”好き”が読みたい 百合小説コンテスト』の告知からでした。
こちらには第1回も参加しておりまして、まぁ箸にも棒にもかからなかったわけなんですけれども。一応百合専門で書いてる字書きの端くれとして、やはり今回も参加したいなと。
そして、考えたわけです。
「せっかく出すんなら、少しでも誰かの目にとまる作品にしたい」
第1回の時は、『読書好きな陰キャ系女子と、図書室に住み着いている自称幽霊の少女の百合作品』を投稿しました。
これはこれでもちろん自信を持って送り出しました。結果は伴わなかったしそれほどPV等の数字も伸びませんでしたが、間違いなく私の『好き』を詰め込んだ作品です。
ただ、今回はもっと、何かこう、自分にしか書けないものを書きたかった。他作品との差別化ができるポイントが欲しかったんですね。
そこで目をつけたのが、私の特性である『視覚障害』でした。
私は中途視覚障害者で、重度弱視です。
高校生までは病気と知らず健常者として過ごし、高校2年の頃に診断を受けてからは同じ視覚障害のコミュニティの中で暮らしてきました。
今はぼんやりとしたシルエットくらいが視認できる程度の視力で、文字は読めず、この文章も音声読み上げによるフィードバックをうけながら書いています。
そんな自分の体験や、周囲の同胞から見聞きした経験談をベースに物語を作れないかと、そういう方向で構想を進めた訳です。
この手の話って敬遠されがちだと思うんですが、差別を助長するようなものでないのなら全然扱っていいんじゃないかというのが個人的な意見です。
そういう意味でも、当事者である私が実際に扱うことが一つ、意味のあることなんじゃないかと考えました。
構想する上で、絶対にぶれさせないと決めた点が2つあります。
1つは、『障害を“かわいそう”だと表現しない』こと。そして、『安直に“直さない”』ことです。
私は障害を持って生まれましたが、そのことを悲観したことはありません。もちろん不便なことは山ほどありますが、それを嘆くくらいなら今の自分の状態でどうやって生きていくのかを考えた方が、よっぽど建設的だと思うからです。
これは私自身がどこかドライに物事を捉えているのもあるかもしれませんが、少なくとも私の周りでは障害に恨み節を繰り返すような人はいませんでした。
私の友人には、見えなくても支援機器を駆使してゲームをプレイする強者や、夢を諦めずに突き進んだ末、声優として活動している者もいます。そういった友人達を、そして私自身を、ひとくくりに『かわいそう』だなんて思って欲しくない。
だから今作では、見えていないことを重く書きすぎないように意識しました。そして、見えていない側が見えている側を救うという、一般論からすれば思い切り逆行する方向に物語を組み立てています。
私自身、自分より見えていない友人に助けられたことが何度もあります。見えていないことが、イコール被保護者として扱われなければならない、なんてことにはつながりません。
なので、特に心のふれあいの部分では、真白と奏はあくまでも対等以上に描きました。そうあるべきだし、そうあって欲しいという、私の願望も多分に含まれています。
そしてもう一つ。
本作をお読みいただいた方においては、主人公の真白が医者を目指して勉強していることから、この時点でヒロインである奏の目を治す展開を想像されたかもしれません。
しかし、作中で真白はその道を否定します。これは構想初期から決めていた展開で、むしろそのために医者を目指しているという設定にしました。
真白が奏の目を治し、自分の目で世界を見られるようになる。それもきっと、紛うことなきハッピーエンドだと思います。ですが、現実はそう甘くはありません。
様々な医療技術が発達し、治験も行われていると聞きます。それでも問題は山積みであり、真白が奏に光を与えるまでにどれほどの時間が必要なのかは見当も付かない、というのが実情です。
もちろん、フィクションにそういったリアリティをどこまで求めるのか、という論点もあります。ですが本作においては、終始『見えないからこそ見える世界がある』ことをテーマとしており、治療する展開はテーマにそぐいません。
何より、私は「もし見えるようになるとしたら目を治すか」という問いかけをしたときの、全盲の友人の言葉が忘れられないのです。
「直さないかな。もう今のまま、ずっと生きてきたし」
正直、意外でした。
私自身は、もし治せるのなら治したい。見えていた頃に戻って、また様々なコンテンツを楽しみたい。でも、その友人はそうじゃなかった。
様々な要因があるのだと思います。私は中途視覚障害で重度弱視、友人は先天性視覚障害で全盲。視力に問題を抱えているという共通項はあれど、見てきた世界は全然違う。望む者が違うのだって当然の話です。
だからこそ、そういった違いを描きたい。治すだけが全部じゃなくて、ありのままで生きていくハッピーエンドを描きたい。そんな思いの元、本作が生まれたのです。
長々と書き連ねてしまいましたが、おかげさまで構想やテーマについては概ね語り尽くせたかなと思います。あとは、ちょっとした描写についての小話を。
作中、奏は足音で真白の心を見透かします。これはかなりファンタジーですが、全部がフィクションというわけでもありません。
実際、誰が歩いてきたかまでは私にも当てられます。足音って結構、特徴がでるんですよね。この人は靴底をこするみたいに歩いてるなとか、この人はすごい地面を踏みしめてるなとか。
気にしなければ気にならないことだと思うので、是非一度耳を澄ませてみてください。
それから、真白に急に手を引かれて驚くシーン。これもあるあるで、親切な方が誘導しようとしてやりがちなやつです。
このときの真白は手を引いていましたが、白杖を持たれるケースもあります。これ、結構怖いんです。
私たちは杖で周囲を確認しているわけで、つまりは杖が目の代わりなんですね。これをつかんで誘導されると、目隠しされて歩いてるのと同じ状態なわけです。
もし困っていそうな方に遭遇したら、まずは声をかけて、補助を必要とされていたらそっと肘か肩を持たせてあげてください。それこそ本編中で奏が言っているとおりですね。
あとは、真白が奏の部屋に入るシーン。散らかってるのはともかく、靴下とかパンツが部屋の隅っこに落ちてるっていうやつ、これもありがちです。
特に衣類とかの布系のものは音が小さいので、何かの弾みに落っことしちゃうと気づけないんですよね。私も洗濯するときにうっかり靴下を落としてしまって、「なんか足りないような……?」と思いつつも長いこと気づけなかったことが何度かあります。
まぁ、奏の場合は本人が大雑把っていうのも大きいかもしれません。整理整頓の得手不得手に視力はあんまり関係ないです。
気づけばずいぶんと長文になってしまいました。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
正直なところ、ここまで1作品に強い想いを持って書き上げたのは初めてかもしれません。障害を扱う以上、生半可な気持ちでは書けないなと思っていましたし、自分自身を投影した箇所も多いのでさもありなん、というところですが。
だからこそ、本作が少しでも多くの方に届くと嬉しいです。もしここまでお読みいただいた中でまだ本編が未読という酔狂な肩がいらっしゃったら、是非本編もお読みください。
また、★や本文付きレビューなども目にとまるきっかけになります。応援いただけると助かります。そこまでいかなくても、ちょっとした感想を応援コメントでいただけるだけで大変励みになるので、是非あなたの言葉で後押しください。
では、また別の作品でお目にかかれることを願って、締めのご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました!