読んでくれている皆様、ありがとうございます。
お盆ですね。ゆえにゆっくりし過ぎてこんな時間に。
さて、今日もSNSで話材のお話について
作品内で()をどう使うのかという話なんですが、その中でも今回は一人称小説での使い方という話です。
例えば、三人称小説で()を心情を書くときに使うというのは結構多く見られますね。私も、昔このやり方は試してみたことがあるのですが、なんだか個人的に三人称の空気感を壊すなと思ったので、やめました。もちろんこれは、作風によるところかと思います。
ただ、一人称に限って言えば、そもそも心情による文面なのですから、()にする必要ないでしょ。とは思いますね。てか、違うの?
一人称で()を使うのは補足時だと私は思います。
例:ヒロイン(少なくとも人物だろう)が、誤作動って時点で著しく感性がおかしいだろうし、そもそもヒロインの処女膜と俺の脳髄に何らかの相関関係があったと仮定しても、因果関係は皆無だ。
みたいな感じです。これは自作からの抜粋ですが、一人称で()を使うとしたらこういうくらいでしょう。
で、これが話題になったのはとある書籍が切っ掛けでして。
なんと、地の文一人称なのに()で他者の心情が描写されるんですね。
……え? なら、三人称で書くべきでは?
と、私は思いましたが、これを高く評価するプロもいらっしゃって。
私は読書って、まず没入感を切らさないことが重要だと思っています。これは、自分が読んでいての話ですけど、その世界に没入している時に、我に返るのは最悪なんですよ。
すると、例えば一人称は他人の主観を追体験しているわけで、その最中に相手の心情が聞こえてきたら……いや、我に返りますよね? あり得ないですし。
私はその作品を読んでないですし、もしかして主人公の特殊能力で他人の気持ちが完全に聞こえるとかだったら確かにその()の使い方は良いと思います。
ただ、どうにも普通に現代ドラマ系だったんですよね……。
通常の一人称の魅力は、まず根底に主人公の主観に縛られて視界が狭まる魅力があると思います。それを手放すなら、必ずしも一人称にこだわらないほうが良いとも思います。
もちろん、ものにはよりますが。
皆さんは、どう思いますか?
