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あれから19年。

あれから19年 ― なくならない飲酒運転の現実

2006年8月25日深夜、福岡市・海の中道大橋で起きた痛ましい事故は、今なお多くの人の記憶に深く刻まれています。

市職員の男性が酒を飲んで車を運転し、前を走っていた一家の車に追突。その衝撃で車は橋の欄干を突き破り、海へと転落しました。車内には両親と3人の子どもたちが乗っており、幼い命3つが一瞬にして奪われました。

事故後、加害者の男性は救助を試みるどころか、現場から逃走。警察に通報もせず、救急車を呼ぶこともせず、アルコール検査を免れようと大量の水を飲むなど、責任を徹底的に放棄しました。その悪質性は社会に大きな衝撃を与え、「飲酒運転は絶対に許されない」という認識を広げるきっかけとなりました。

それでも消えない飲酒運転

あの事故から19年。厳罰化や啓発活動が繰り返されてきたにもかかわらず、飲酒運転による事故は今も後を絶ちません。
「少しの距離だから」「自分は酒に強いから」「酔っていないつもりだから」――そんな安易な自己判断でハンドルを握り、多くの命が奪われ続けています。

飲酒運転をしても「自分だけは大丈夫」と思い込む心理。しかし現実には、反応速度は著しく低下し、危険予測能力も鈍ります。事故を起こす確率は格段に高まり、その代償は取り返しのつかないものとなるのです。

なぜ「未然防止の仕組み」が進まないのか

ここで改めて問われるのが、国や自動車メーカーの責任です。
すでに海外では、アルコール検知器によって飲酒状態ではエンジンがかからない仕組みが導入されています。日本でも一部の業務用車両や社用車での活用例はありますが、一般の自家用車への義務化は進んでいません。

「モラルに頼る」だけでは限界があることは、過去の悲惨な事故が証明しています。飲酒運転の根絶には、技術による強制的な抑止が不可欠ではないでしょうか。

被害者を二度と出さないために

飲酒運転は「加害者の人生」だけでなく、「何の罪もない被害者とその家族の未来」をも一瞬で奪います。
防ぐ方法があるのに、それを導入しないのは社会の怠慢とも言えます。

アルコール検知機能付き車両の義務化

厳罰化とその確実な適用

学校や職場での継続的な啓発活動

この三本柱を社会全体で進めていかなければ、また同じ悲劇が繰り返されてしまいます。

あの夜、海に沈んだ子どもたちの無念を思えば、「飲酒運転は絶対にしない・させない」社会をつくることこそ、私たちに課せられた責任だと言えるでしょう。


さて、今日のちょっと昔の写真。今日は2012年5月に写した仁保駅を通過するキハ187系特急スーパーおき新山口行。山口線も高速化して、山口線の宮野以北の活性化を実施してほしいんですけどねぇ。山口県は金を出す気はないようで。

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