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批評企画の振り返り。

今日、常用している日傘が強風にあおられ、ノの字に曲がってしまいました。
あくまでノの字なので、くの字のようにへし折れてはいません。ただ去年買ったばかりの代物なので控えめに言ってガン萎えです。デザインも気に入っていました。もうしまいです、今年の夏は。

雑に話題を切り替えますが、表題の話。
先日、以下の批評企画に参加しました。今では相互フォロワーである神山さまの批評企画です。


・作品を育てる小説採点室
https://kakuyomu.jp/works/822139838343740447

・私が応募した作品とその講評のURL
https://kakuyomu.jp/works/822139838343740447/episodes/2912051598299761685


講評の中身を除けばわかるかと思いますが、ほとんど褒められているところはありません。

アイデアがあること、下地が整っていること。この2点は明確に美点と呼べそうですが、文章力等の評価は芳しくなく。ただ、こちらはコメントにも寄せた通り、内容は的確そのものだったため納得に値する評価でした。反省点や反論を述べる余地もありません。
唯一、総評の数字に関してのみ質問させていただきましたが、神山さまの近況ノートのやり取りを経てこちらも納得に至りました。

自作品に関する振り返りは以上です。
次にふと気になって、第七回となる本企画で自分がどれくらいのところに位置するのか。つまるところ、応募された作品同士の総評点数を比較してみたのですが、私の作品は『12作品中、6位』でした。

中央値と言えばまだ聞こえはいいですが、競馬の世界だったら掲示板入りを逃している数字です。くわえて言っておくと私よりひとつ上の作品とは0.7点差、反対に後ろの作品とはわずか0.2点差でした。こうしてみると内容はそうですが、数字の上でも振るわない結果だったと思います。

そんな中で一点、特記事項を上げるなら、今回参加された作品の中で1位を獲った作品はまさしく別格と呼べるものでした。

総評点数にして『9.2点』。
後ろの作品とは二倍近い点数差をつけており、作品自体も拝読しましたが書籍化目前と言って差し支えないレベルの内容です。競走馬で言うならおそらくテイエムペラオーやアーモンドアイあたりの実力です。ちなみに私は最近、ウマ娘でアドマイヤグルーヴをお迎えできました。顔がいいです。バリ美人。好き。

それからこちらの作品、企画主である神山さまの言うところによると「企画史上、一番の高得点作品」でもあったのだとか。
そんな作品の次に講評されたのが誰の作品かというと、なんと私の作品です。
ある意味幸運であり不幸でもあったのかもしれませんが、この企画で得たものは予想外に多かったのでギリギリプラスに転じています。

先日投稿したタイトル論に関するやりとりもそうですし、他にもキャッチコピーやあらすじに関する創作論など、今の自分が使いこなせていない武器を認識する、いい機会になりました。

企画についてはあらかた語り尽くしたので、ここからは作品の事や自分の事など。

まず作品。連載中の『この世界の思い出を君に!』ですが、こちらの作品からはいったん距離を置こうと思います。

理由としてはこの作品を描き切るのに、自分の技量や文章力が不足していると感じたからです。思えば三人称一元視点の文体が肌に合ってない。かれこれ一年半ほど本作に向き合い続けてきましたが、どうにもサイズの合わない靴を履かされている感覚が強かったように思います。

一応言っておくと、本作をなかった事にするところまでは考えていません。
ところどころのアイデアには自信がありましたし、生きているうちに続きを書ければなぁぐらいの気持ちでいます。

あとは……批評企画中、講評でよく目にしていた「Show, don't tell(語らずに見せる)」という手法について考えています。

最近は空いた時間を利用して適当な設定を作り、この手法をなぞった文章を書こうとしているのですが、てんで手に馴染みません。
どうしても事実説明が入り込んでしまうし、意識しすぎて全部「Show, don't tell」で書こうとして破綻してしまいます。Show, don't tell、Show, don't tell。お話のバランスや自分の中にある感覚のようなものが、根底から壊死していくような感覚に襲われます。とどのつまり、筆が進みません。Show, don't tell。何故かウィリアム・テルを思い出しました。

意識しすぎてるのが駄目なのかもしれませんし、そもそもの話、文章の基礎力みたいなものが足りないのかもしれません。今まで木刀だけを振るっていた人間がいきなりエクスカリバーを使えるはずがないでしょうし。Show, don't tell……そろそろ窒息しそうです。

理屈の上では使えた方がいい手法なのでしょうが、頭の中にいるイマジナリーだいこんがそろそろ好きなように書かせろと叫んでいます。根菜のくせにわがままが過ぎる。が、心根は偽れません。

駄文もほどほどに、今はラブコメが書きたいです。

14件のコメント

  • ご参加くださいましてありがとうございます。

    諸々のやり取りなど、わたし自身も勉強になることが多く、とても楽しかったです。そちらも重ねて御礼申し上げます。

    さて、お悩みの「Show, don't tell」についてですが、これはもう「書く」しかない、といった感じでしょうか……。
    あるいは、自分の好きな文章表現を見つける、というのもひとつの手かもしれません。

    極端な例で言えば俳句でしょうか。あちらは「余白」が非常に重要な表現なので、読者に想起させることを強く意識した文芸だと思います。

    ただ、小説の場合は字数にも比較的余裕がありますので、やはり大切なのは「使い分け」なのだと思います。
    見せたい場面では描写を濃くする。逆に、流しても問題ない部分はさらりと流す。
    そういった緩急があることで、読者としても読み疲れしにくくなるように感じます。

    たとえるなら、「カメラを寄せて書く」のか、「俯瞰して書く」のか、といった違いでしょうか。

    細かく見せたい場面では寄せて書く。逆に全体の流れを見せたい場面では、少し引いて書く。
    それだけでも、文章の印象はかなり変わってくると思います。

    ですので、無理にすべてを「Show, don't tell」で書こうとしなくても大丈夫です。
    必要な場面で寄せて見せる。その取捨選択自体が、書き手の個性になるのだと思います。
  • 「Show, don't tell」は私も課題ですねぇ……。
    私はどうも機能的な文体になりやすく、説明寄りの表現が多くなってしまいます。
    だいこん様の苦悩も、まるで我がことのように感じます。

    ですが神山さまも仰っておられるように「書く」しかないですよね。
    そして「無理に全てを『Show, don't tell』にしなくても良い」も正しいと思います。
    自分に合った、自分だけの魅力ある文体を完成させていきたいものですね。

    あと、点数はあまり気になさらない方が良いですよ。
    私の批評も点数をつけていますが、どうしても「批評者の主観」は混じりますし好みなども出てしまいます(なるべくそうならないようには心掛けてますが)
    同じ作品でも、(誤解を受ける可能性もありますが)「読んだ時の気分によって見え方が変わる」という可能性すらあります。

    まぁ9.2点は、そういった「主観」「好み」などのブレを考慮しても破格の高得点ですがw
    それに神山さまの批評内容を見れば、その点数における信頼性も高いとは思いますがねw

    最後にですが……。

    >根菜のくせに~

    www
    でも、根菜は良いですよ。煮物はもちろん、生だって美味しいですし、栄養も高いものばかりです。
    中でも根菜といえば、大根は代表を名乗っても良いと思います!w
  • 神山さま

    コメントありがとうございます。

    私が何回もお礼を言っているせいで神山さまにも同じことをさせているように感じ、ここ最近はなんだか申し訳なさが勝ってきました。でもやり取りが楽しかったのは同じくです。ありがとうございます。

    「Show, don't tell」の話ですが、無理にすべてをこの手法で書かなくても大丈夫と言っていただけて若干肩の荷が下りました。

    私宛ての講評にもありましたが、自分の文体を見直してみると事実確認に寄っているというか。おっしゃるところの「余白」や想像の余地がもう一歩というところで、根本的に読者を信頼していないという点を再確認していました。
    「こう書いてもわからないだろうな」という懸念に負けて、説明が多くなる。「委ねる」ができない。よくない癖なので直したいのですが、人を信じるのがそもそも難しいです。

    ちょっぴり話がそれてしまいましたが、教えてもらった書き方のコツなどは自分の文章と見比べながら参考にしてみます。今までの自分まで壊さないよう気を付けます。
  • 三鞘ボルコムさま

    コメントありがとうございます。
    難しいですよね。私も理解のしやすさと情緒・余白を天秤にかけた時のバランスのとり方がまだ掴めません。こればっかりは本当に書くしかないですね。

    点数はそうですね。
    気にしなかったら幸せになれそうな気がするのですが、テストの答案用紙を渡されて点数を気にしなかった事が今まで無いので、悟りが開けたら出来そうです。もう仏になるしかない。

    あと、野菜の大根は美味しいですよね。個人的におでんに入ってる時のこいつが最強格の具材に化けるので好きです。安いし、美味しいし。
    もう旬を過ぎましたが、コンビニのおでん買う時は絶対に大根入れてます。うまい。
  • いえいえ、申し訳ないとか思わないで下さい(笑)
    やり取りを楽しくやらせて頂いております。

    >「委ねる」ができない。
    >よくない癖なので直したいのですが、人を信じるのがそもそも難しいです。

    ここについては、そうですね。
    描写って、結局「頭の中で成立してるか」ではなく、「他人の頭に再生されるか」なので、自分一人では検証しきれないんですよね。

    私の場合は、そういった環境にいたのが幸運でした。
    その中で何となく、「相手が欲しい情報とのバランス感覚」を養えた気がします。

    折角、三鞘さまもいらっしゃいますし、お邪魔でなければもう少しだけ踏み込んだ話をすると。

    たとえば、
    ―――――――
    彼は黙って煙草を揉み消した。
    ―――――――
    だけで、
    「苛立ってるのかな」
    「諦めたのかな」
    「会話を切り上げたいのかな」
    みたいな感情を、読者は勝手に拾います。そこを怖がって、
    ―――――――
    彼は苛立っていた。もう話す気はなかった。諦めもあった。
    ―――――――
    まで書くと、逆に読者が参加する余地がなくなってしまう。
    ただ、これは「説明しすぎるのが悪」って単純な話でもなくて、たぶん根っこには、おっしゃる通り「人を信じるのが難しい」があるんだと思います。

    読者を信じるというのは、結局は「自分の意図と完全一致じゃなくてもいい」「多少ズレても成立する」と受け入れることなのかもしれません。なので、「説明を削る技術」というより、「ズレを許容する胆力」に近い気がします。

    だから無理に「読者を信じよう!」とするより、
    「全部は伝わらなくていい」「でも、刺さる人には刺さる」
    くらいの感覚の方が、結果的に描写は自然になるのかもしれません。
  • どうもこんばんわ、テイエムオペラオーと誕生日だけ同じなカワナカジマケイです。ウマ娘はやりませんケド、リアルの競馬の方で好きな馬です^^ライバルだったナリタトップロード・メイショウドトウ含め。

     今回のノート、すごーく批評を真摯に受け止められて必死で考えられているのが伝わってくる内容でした。そこがだいこん様の良いところなのだと思いますが……でももしかしたら、ですけど。考えることが先行して書くことを上手く楽しめてなくなっていないですか?

     執筆に関してはそこまで考えませんが歌に関しては私、その昔「もっと上手く歌えるようにならなきゃ」を意識しすぎて歌うのが苦痛という所まで行った事が何度かあります。

     そういうのって今思えば、正しくは「上手さが伝わる様にしなきゃ」なんですけどねw

     そういう試行錯誤も大事ですが……根本は本人が楽しんでいる事、その楽しさ・ワクワクする感じが受け手にも伝わってくる事、そういう事があった上での、伝え方の試行だと思うのです。考えすぎてドツボに嵌ってしまうと、自分の発しているものが全部面白くない、取るに足らないものに思えてしまって楽しめないと思うのです。

     全然そこまで深刻じゃなければ余計な言葉ではありましたが……「Don't think,Feel」です。ブルース・リーではなくベスト・キッドの方……考えすぎるより頭空っぽにして感覚に任せろ、と言うヤツですよ。私は少しぐらいはちゃんと考えた方が良いんですけどねw
  • 神山さま

    返信ありがとうございます。
    お返事が順番通りではなく恐縮ですが、頂いたたとえを元に、自分の中でもいくつかそれらしい一文が浮かんできました。以下に3つほど列記しますが、

    ―――――――

    1.彼は胸を張って歩き出した。
    読者に想起される感情:前向きな姿勢、将来への希望

    2.彼は雨の中、傘も差さずに濡れていた。
    読者に想起される感情:悲しみ、投げやりな様子、放心状態

    3.彼は無言でゴミ箱を蹴り飛ばした。
    読者に想起される感情:怒り、苛立ち

    ―――――――

    上記のような文が「語らずに見せる」文章、という事で合ってます……でしょうか?
    3に限っては『通話を終えた後も、上司の甲高い声が頭から離れない。』という前の文も思いつきましたが、これは説明に含まれないでしょうか? おそらく修飾するのみにとどまっているとは思うのですが……

    反例のほうは、気を抜くとまだ全然使っちゃいそうな気配はあります。人(=読者)を信じるというハードルがやっぱりまだ高いと感じていますし。

    ただ「ズレを許容する胆力」と言われると不思議と腑に落ちました。ものすごい大雑把ですが要は「ビビるな」というふうに解釈したので、信じるのは難しくても怯えない姿勢は目指せそうです。全部は伝わらなくてもいい、でも刺さる人には刺さる。これは本当にそう思います。

    神山さまは創作村で活動していた(?)とエッセイで見かけましたが、たぶんおだやかな環境ではなかったですよね。
    そこで「相手が欲しい情報とのバランス感覚」が養われたと考えると、今さらですが結構叩き上げの印象が湧いてきました。神山さまご自身の感覚や、執筆スキルの話です。

    私は自分との対話(というとちょっと大げさですが)がほとんどだったので、どんな人であれ、筆致を見せられる相手がいるのは大きそうだなと思った次第です。
  • 川中島ケイさま

    コメントありがとうございます。
    オペラオーと誕生日が同じと聞けて「凄い!」と声に出てしまいました。素人目線ですが、経歴やら実力のスター性が凄い競走馬だと思います。私はカツラギエースと誕生日が一緒です。

    それで書く事が楽しめなくなっていないかという懸念についてですが、おっしゃる通りで実を言うと、一年くらい前からずっとこんな感じです。最近は和らいできたけれど、また少しひどくなってきたかなという感じで。

    歌のたとえはいくらかですが共感できます。
    私の場合はギターのFコードが押さえられない、みたいな感覚に近いですが、でも今より少し上手くなろうとすると辛さも顔を出すというか。楽しむっていうところからは遠ざかっちゃいますよね。

    考えることが多いとなおさらで「自分の作品って本当に面白いのか?」、「自分にこのお話が書き切れるのか?」みたいな思考になったりも普通にします。
    「上手さが伝わる様にしなきゃ」というところまでは陥っていませんでしたが、手ごたえがないような感覚もありました。

    けど、それでも筆は止めずにやってます。
    アイデアだけは妙に出てきますし、この点だけは「感覚に身を任せろ」が出来ているのかもしれません。いや、自分で言うのもなんですが。
  • こんにちは。
    なんだか自分のことのように感じてしまって、コメントさせていただけたら、と。

    私も「つい説明っぽくなりがち」という悩みを抱えていまして。
    以前、だいこん様とお話した時にも少し触れたのですが、その原因は「頭の中の映像をそのまま文字に起こそうとしている」からなのかな、と思っています。

    映像って、見えているものを書かないと伝わらない。
    でも読者はテレビを“見る”ことだけじゃなくて、“体感する”ことかもしれないな、と最近感じています。
    だから、語らずに見せる、つまり五感が大切なのではないかな、と。

    なので私は最近、「今この瞬間の自分を実況する」みたいな練習をしています。
    例えば今なら、
    『カチカチと単調な音が響く。震える指は止まらず、画面の上に文字だけが積み重なっていく。』
    みたいな感じです(笑)
    「めちゃくちゃビビりながらコメントを書いてる」という説明を、そのまま言わずに出せないかなぁ、ってw
    そういう感覚や身体の揺れが、キャラクターにも読者にも繋がっていく。そして余白も生むんじゃないかなと思っています。

    とはいえ、神山様の足元にも及ばない未熟者なので。
    こんな考えた方もありますよ、という一例として、少しでも気持ちが軽くなっていただければ嬉しいです。
  • こちらこそ、丁寧なお返事ありがとうございます。

    例文、かなり良いと思いました。
    ちゃんと「感情を説明せず、動作や状況で見せる」が出来ていますし、読者側としても自然に感情が立ち上がります。特に、
    ―――――――
    彼は雨の中、傘も差さずに濡れていた。
    ―――――――
    ここは良かったように思います。
    「悲しかった」とは書いていないのに、「普通なら傘を差すはずなのに差していない」という不自然さだけで、読者が勝手に感情を補完し始めるので。
    あと、3の『通話を終えた後も、上司の甲高い声が頭から離れない。』についてですが、これは説明というより、「感情へ向かう導線を敷いている」に近い気がします。
    「彼は怒っていた」と感情ラベルを貼るのではなく「通話後も残響している甲高い」という「耳障りな表現」が頭から離れないという感覚情報でストレスや苛立ちを伝えているので、むしろかなり自然な補強だと思います。

    なので、「説明しない=情報を減らす」ではなくて、
    『感情ラベルを減らして、感覚や状況を置く』みたいな感覚なのかな、と。

    ここで重要なのは、「ラベルを書くこと自体は悪ではない」という点ですね。
    たとえばテンポ重視の場面や、誤読されると困る転換点では、
    ―――――――
    彼は怒っていた。
    ―――――――
    と置いた方が強いことも普通にあります。
    なので実際には、
    ・全部説明する
    ・全部委ねる
    の二択じゃなくて、「どこを読者に預けて、どこは固定するか」の設計の話になっていくと思います。

    >「ビビるな」というふうに解釈したので、

    かなり本質だと思います。
    「これで伝わらなかったらどうしよう」「説明不足では?」みたいな不安を抱えたまま、それでも一回出してみる、という側面が大きい気がしていて。
    なので、「信じ切る」より、「怯え過ぎない」の方が、創作の実感としては近いのかもしれません。

    >叩き上げの印象

    ……まあ、穏やかではなかったですね(笑)
    罵詈雑言飛びましたし、どうすれば面白くなるかだけを追い求めていたので、それこそ深夜遅くまで熱い議論が繰り返されました。ただ、その環境のおかげで、かなり鍛えられたと思います。

    >筆致を見せられる相手がいるのは大きそうだなと思った次第です。

    おっしゃる通りです。
    加えて、相手の作品を読んだからには「どこが面白かったのか、どこが面白くなかったのか」を言語化していったのも良かったように思います。批評企画もそうですが「相手に余す事なく、自分が感じた事を伝えるよう書く」という点では、語彙力とかそういったものも養われたのかなぁとも。

    あと、川中島さまのご指摘にあった「楽しめなくなっていないか部分」について、少しだけ。
    個人的には、創作って少し筋トレに近いと思っていて。筋肉って、負荷が掛かるから肥大するじゃないですか。創作も同じで、「苦しい」「上手くいかない」「届かない」が見えてきた時って、実は感覚そのものは育っている最中だったりするように思います。

    もちろん、無理をし過ぎると壊れるので加減は必要なんですが。
    だから、今しんどさがあるのも、単純に悪い事ばかりではない気がしています。

    それに、何だかんだで筆が止まっていないのは強いです。
    アイデアが出続けているというのは、創作そのものへの熱まで消えてはいない、という事でもあると思うので。
  • 綾野あやさま

    コメントありがとうございます。近況ノートで会話するのはこのあいだ開催した批評企画以来、でしたよね。またお話できてうれしいです。

    そして綾野あやさまも同じ悩みを抱えているという事で、やっぱりこの部分って、誰しもが不安に感じるところなんだなと再確認しました。
    いただいたコメントからの引用になりますが、

    >映像って、見えているものを書かないと伝わらない。
    >でも読者はテレビを“見る”ことだけじゃなくて、“体感する”ことかもしれないな、と最近感じています。

    この部分は私もそう感じていて、五感が大切という点まで含めてまったく同意見です。読書中の臨場感の源泉って、五感に訴えかける、刺激するようなイメージの描写が主だと思いますし。なのでおっしゃっていた事の繰り返しになりますが、それこそがまさしく「語らず見せる」手法にあたるのだろうなと。

    それから「今この瞬間の自分を実況する」練習方法、すごく面白そうだなと思いました。

    つまりは自分に思い切りカメラを向けるという事ですし、一人称というか、主観描写の能力が鍛えられそうです。
    あと例に出して頂いた、『カチカチと単調な音が響く。震える指は止まらず、画面の上に文字だけが積み重なっていく。』という文章、今の自分にも当てはまり過ぎていて思わず笑ってしまいました(笑)。身に覚えがあり過ぎます。

    私は行き詰まるとよく、ひらがなを一文字打ち込む→バックデリート→また同じひらがなを打ち込んでバックデリート……の動作を高速で繰り返すので、傍から見てるとだいぶ落ち着きがないように思います。手はすごく動かしてるのに、画面も頭も真っ白なんですよね。ほしいのは余白なのに(笑)

    未熟者だなんてとんでもありません。
    こうして意見を交換できる機会もあまりないと思うので、少なくとも私は助かりました。言い方が適切かわかりませんが、身近な感覚に気付けた気がします。
  • 神山さま

    返信ありがとうございます。的外れな文ではなかったようで、ほっとしました(笑)

    ピックアップして頂いた『彼は雨の中、傘も差さずに濡れていた。』という例文は、自分でもちゃんとした手ごたえを感じました。神山さまが出してくれた例文が良かったからかもしれませんが、「語らずに見せる」ってこれなのかなと。
    3の例文についての解説もありがとうございます。感情の導線を敷いているという指摘に思わず膝を叩きました。納得です、ぱっとひらめいた一文でしたがこの感覚は忘れないようにします。

    あと頂いたコメントからの引用になりますが、

    >ここで重要なのは、「ラベルを書くこと自体は悪ではない」という点ですね。
    >たとえばテンポ重視の場面や、誤読されると困る転換点では~

    ふと思ったのですがこのケースの最たる例って、走れメロスの『メロスは激怒した。』みたいな一文、書き方の事でしょうか? 違っていたらすみません。

    ただ仮にそうだとすると、後の説明も腑に落ちるような気がしました。
    あの書き出しからメロスの掘り下げが始まりますし、逆に妹の結婚式のシーンなんかは割と説明気味というか、流し気味だったような記憶がありますし……たしかに全部説明するor全部委ねるかの完全二択ではないですね。「どこを読者に預けて、どこは固定するか」、この設計の輪郭がちょっと見えてきた気がします。

    >「ビビるな」という解釈

    話を聞いてるとなおさら「信じる」より、「怯え過ぎない」の方が自分に近いような気がしてきました。

    >叩き上げの印象

    言い方はよくないかもしれませんが、いろいろな意味で納得しました(笑)
    持論の説得力や指摘の正確さ、具体性など、すべてこの経験に紐づいているのだなという気がします。

    >楽しめなくなっていないかの部分

    筋トレの例えはたしかにと思いました。
    筋肉を鍛えるために運動したり、食事を変えたりといった事はすぐに出来ますが、肝心の筋肉が発達するまでは時間や労力がかかりますもんね。
    たぶん物書きもそれと一緒で、インプットはすぐに行えてもアウトプット、というよりかは自分の手に馴染むまで時間がかかるのだろうなと思いました。

    今こうして話している間は、辛さや苦しさみたいなものが軽くなったように感じます。ただまた書く事に向かい始めると、しんどさが顔を出すこともあると思います。

    完全に前向きになるのが性格上、難しいですが、今までとはまた少し違った視点がもてた気がします。まだいろいろ試してみますね。
  • 『走れメロス』の例えは、かなり近いと思います。
    ―――――――
    メロスは激怒した。
    ―――――――
    って、ものすごく有名な書き出しですが、あれって最初に「怒り」を固定しているんですよね。
    あそこで太宰は、「メロスがどういう感情状態なのか」をまず読者に渡している。なので、読者はその後の行動や言動を「激怒した男」として読む。逆に、ずっとあのテンションで全部を細かく説明しているわけではなくて、場面によってはかなり流しているし、読者側に預けている部分も多い。

    なので、おっしゃる通り、「全部説明する or 全部委ねる」ではなく、
    「どこを固定して、どこを読者に預けるか」の設計なんだと思います。
    たぶん、ここが見え始めると、「説明しちゃ駄目なんだ」という極端さから少し抜けられる気がします。

    お気持ちが少しでも軽くなったならば何よりです。
  • 神山さま

    丁寧な返信ありがとうございます。
    設計面への理解が曖昧だった自分にとって、この点はかなり大きい気付きでした。解説もわかりやすく本当に頭があがりません。精進します。
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