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まだまだ人称と視点の問題

 ここのところ、人称と視点の問題について考えているのですが。
 某人気企画主さんの某紹介企画の連載で、一人称から三人称への切り替えについて触れてたので、応援コメで毒吐いてしまいました(テヘ)
 小説の書き方が適当で何でもありになってる現状は、ここでヨムヨムしていてわかっては来ました。もはや方法論だけでは説明しきれない手法が当たり前になってしまってる。それは「手法」として認めて良い物なのか? 本当に必要で使っているのか。
 新しい技法はどうして生まれるのか? それは基本の力を身に着けたうえで、既存のものの限界を知ったうえで、それでも上へ上へと目指すから編み出されるものではないのか。
 そう前提を置いたうえで、問題としたいことを上げていきます。



(1)同一作品内での人称の切り替え。一人称→三人称。

 これは既に二十年以上前、ティーン向けの文庫レーベル(ライトノベルとは敢えて言わない)でも何人かのプロ作家さんがやっちゃってました。
 傾向として、主人公の一人称でライトに始まった物語がどんどん重くなっていき、登場人物の数も増えて一人称視点ではさばき切れなくなったから、それ故の苦渋の選択っていうのが見えました。長編ゆえの見通しの甘さがあったのではないかと思われる。止むをえず、ですね。物語をまとめるためには仕方なかったのかなと。苦慮の末の選択であるなら仕方ないかな、読者により楽しんでもらうための選択ならありだと思えます。
〈三人称〉なんてト書きが入ってるのは、苦渋の選択だったのだな、と思えたりします。

 そうではなくて、構成の段階から人称の切り替えを取り込むのはどうなのだろう? 読んでてどう思いますか?
 私ははっきりと混乱します。主人公の一人称視点の物語を読むからには、当然主人公の気持ちに寄り添って読むわけです。それなのに突然主人公の視点から切り離されてしまったら。おいてけぼり感満載です。集中力が途切れてしまいます。その危険を冒してまで書き手が人称の切り替えを用いる理由が分かりません。
 どうしても別視点による展開を一人称作品中に取り入れたいのであれば、完結した後に補完的に番外編をやるか、あるいは幕間として差し込めば良いのではと思うのです。


(2)一人称多視点(……ていうか、「三人称神視点」とか誰がこういうネーミングをしたんでしょう? さもこんな技法があるかのように名前をつけたりしたから当然になってしまったのではないかとも思えます)

 すみません。一人称多視点というやつですね。

 これは、リレー形式で主人公がバトンタッチして物語が進行していくのはありだと思います。その人物にしかわからない情報が次々に開示されていく。とてもスリリングです。
 恋愛ものについて例を挙げれば、氷室冴子の連作『なぎさボーイ』『多恵子ガール』『北里マドンナ』は素晴らしかった。
 古くは『嵐が丘』も一人称多視点てことになるのかな? 語り手の交代とまた聞きでの語りですね。おそろしく近代的な作品だったのですね。

 ……そうではなくて。特に恋愛もので見かけるのですが、男女の一人称視点が交互に入れ替わるの。あれのメリットっていったい何なのですか? 二人も三人もの一人称視点をころころ入れ替える。だったら三人称じゃダメなのですか?

 別ノートで人称の長所短所について油布さんがまとめてくれました。拝借します。(油布さん(Han Luさんも)事後承諾ですみません)

 一人称の利点は、徹底的な感情移入と自己同一化、作者の心と作品の一体化、読者の感情移入が容易なこと。欠点は使えるカットが限定されること。そしてこうも云われてました。
「視点だけでなく、価値観がひとつに安定すること。例えば主人公が見守るキャラクターが必然的に変化し、成長していくこと。それをブレない視線で身近に、温かい視線で描けるのが一人称小説の利点でもあります。」

 三人称については、
「三人称小説の利点は、すべてのカットを描ききれることです。主人公以外の人物の視点が必要条件の小説なら、そのスタイルで書くべきです。
 欠点は感情移入する作品に仕上げるのが難しいことです。しかし、これは絶望的な欠点ではありません。恐ろしく困難ですが、そのような作品を書くことは可能です。」

 そしてまとめ
「結局両方とも著しい欠点と利点があって、欠点を克服することは不可能ではないとしても恐ろしく困難。それが実情であると思います。
 だから題材によって、その利点を最大限に生かす手法を選ぶ。手法を選択した場合、欠点を克服するように最大限の努力をする。それが必要であると個人的には思っています。」

 私も同意見です。自分の表現したいことに合わせて手法を選ぶ、そして最大限に努力する。それが前提です。

 一人称多視点というものを安易に使ってやしませんか? 長所を寄せ集めたもののように思いますか? 確かな力量のある作家であるなら、それぞれの長所を最大限に活かしてものすごい傑作を生み出すかもしれません。
 そうでなければ、それは裏を返せば短所の寄せ集めです。一人称の感情移入というメリットを多視点というバラツキでダメにしてませんか? 人称や視点の問題ちゃんと考えてますか?


 特にweb小説においては読者に優しく、読みやすくということがしきりに叫ばれてます。それって文章の簡略化や空白を開けるのだけが焦点ですか? 文章をやさしくやさしくって主張する人は多いけど、人称や視点について触れてる人は、私が知る限りほんの一握りです。
 読者が混乱せずに作品の世界にのめり込むには、視点の問題は大事じゃないですか。なのに何故議論されないのか。難しいからじゃないですか? 文章の簡略化ばかりに終始して視点の問題は置き去りにする。それは書き手の都合じゃないですか?

 私だってホントは触れたくない問題です。面倒ですもん。頭が痛くなる。だけど、活字文化の衰退の原因が書き手の怠慢にもあるのなら、きちんと考える必要があります。
 文章や視点の問題をクリアして、より読まれやすく、それでいてクオリティは落とさないエンターテイメント作品を作り上げる。そのためにみんなで考えたいです。

 どうか、皆さんの意見をお聞かせ下さい。

62件のコメント

  •  実験的に「女はそれを我慢できない」で男女の視点交互で書いてみようと考えてみたのだけど……男視点のあまりのクズっぷりにこの私が書く勇気が出ないっ(蒼白)
     うん。やっぱさ、描かない方が良いことだって多々あるわけですよ。想像の余地は残すべきですよ。すべて書く必要なんかないわけですよねえ。

     ちなみに「おくることば」でも考えてみましたが……サスペンスでした。あ、何なら「インモラル」で課長の心中語を入れて(by kobuupapaさま)……18禁になります。公開できねえっ。

     なんということでしょう。実験できる自作がなーい。

    「青陵学院シリーズ」主人公の一人称にしてみるとか? 群像劇じゃなくなるー。
     ……意味があってその人称になってるのだなあ。私は人称の選択には悩まないですが。話を思いついた時点で人称も決まってます。
  • 遠藤さんのとこのコメント見ました~
    お言葉実にきつい・・・。恋愛ものには確かによくあります。わたしもいちおうは三人称だけど男女の視点を交互に入れ替えて書く作品があります。そういうときは、こっちのキャラが秘密にしたいことをあっちのキャラは知らないで問いただす等、行き違いシチュエーションが多いですね。
  • 軒下瑞燕さま

     おひさしぶりです。コメントありがとうございます。

     そうなのですよね。一人称を用いる人が多いと思います。ラノベが一人称ありきなようなので、当然のように一人称を採用するのかもしれません。一人称こそ難しいと私も思います。

    >どういった書き方が自分に合うのか、と、熟慮する余裕がないのかもしれません。

     分かりますよー。分かりますけど。熟慮もしないで、でも小説は書きたいっておかしくないですか? 考えないで小説って書けますか? もうそこからして私は若い人の感覚は理解できないってことなのかも。
     趣向を凝らす作り手に対して受け手が理解できないっていうのも文学史の中で多々あることです。その果てが文字文化の衰退であるならどうにもならないのでしょうか?

     ただ、私も希望的観測として、回帰現象なり何なりが起きるのではないかと思ってはいます。まさかまさかこのままの状態がいつまでも続くとは思えないので。
  • 上原 友里さま

     コメントありがとうございます。
     いやはや、お恥ずかしい。遠藤さんが良い感じにのらくらとフォローしてくれると思ったので。
     キツイ物言いででも問題提起したかったのです。

     男女視点、三人称なら良いのですよ。三人称なら。行き違いや愛情の錯綜こそ恋愛の醍醐味。そこを描きたくて趣向をこらすわけでしょう?
     私が読んだ限りの一人称多視点の作品だと、作者が楽をしたうえで「どうよ!」とドヤ顔でネタ晴らしされてるようにしか思えなかったのですよ。女の子の一人称視点でスタートするなら、最後の最後で男の子の視点に移って実はこうだったっ! って感動が欲しいのですけど。どうですか?
     一人称の交互で感情移入して楽しめますか? 上手な作者さんなら問題ないのかな?
  •  もちろんありだと思います。それぞれの記述者の証言の積み重ねのリレー形式ですよね。一度は挑戦してみたい手法です。けれどこれって相当ですよ。

     単純な一人称の入れ替えだって力量が相当必要ですよ。キャラごとに地の文に違いを出さなければならないのですから。だったら最初から三人称を用いれば良いのにって思うのです。
  • いやはや、変なものを「小説」としてアップしなくてよかったと安堵している私がいます。
    まあ、それはともかく……。

    一人称の交代ってイマイチイメージが湧いてない私は、たまたまそういうのを読んでないだけなのかなー。
    無理やりに思い出したのといえば、村上龍せんせいの『ラッフルズホテル』なんだけど、あれはまた、ここで話題になってるのとは違うんですよね多分。
  • 『ラッフルズホテル』って一人称視点でしたっけ?

     Han Luさんの『嘘つき先輩』(適当に略すなっ)は一人称視点のリレー形式でしたよね。

     ここでやり玉にあげてるのは、作中で一人称の語り手が交互に入れ替わるやつです。恋愛ものだと、男女の一人称視点が交互に入るって構成が多いのです。
     ファンタジーで三人の登場人物の一人称視点がぐるぐる入れ替わるってのもありました。典型的なラノベ語りでキャラによっての地の文の変化がない。話はまあまあだし文章も上手な分、残念でしたよ。もうっ。
  • ああ、多分そう言うの読んだことがないのか、不自然すぎると思ったらページを閉じちゃってて印象に残ってないのか。

    『ラッフルズホテル』は章ごとに主体が変わるやつですね。章のサブタイトルに、主体となる人物の名前も入ってます。
    ああ、こういうのを「リレー形式」っていうのかなるほど。
  •  あ、すみません。リレー形式って私が言ってるだけで。もっと良い名称ありますかね?

     そうそう、章ごとに人物名が入ってると分かりやすくて良いですけど。カッコいいし(爆) 私もサブタイに「~の場合」「~の場合」とか用いたことがあります。あれ? これも中二ってやつですか?
  • 『ラッフルズホテル』は、村上龍せんせいの作品の中でもピカイチ読みやすいやつだと思うけど、語り手の名前がサブタイトルに入ってなかったら、読んでて???ですね間違いなく。

    Han Luせんせいのもちゃんとそれを断ってやってましたね確かに。


    あーなるほど、そういうのなしに入れ替わりをやられたとしたら、それは手法として面白いかもしれないけど、相当うまく交代しないと迷路に落ちそうですね読んでいて。
    そういうトリック嫌いじゃないけど。


    ごめんなさい、読むだけ人間は気楽です。
    つまらなかったら読むのやめればいい程度のことしか考えてない。
    だから場違いであることは承知してますが、書く人たちのこういう話が、とてもまた興味深かったりしています。
  •  短編ですが、前半一人称、後半三人称の小説を書いたことがあります。『ドクターシップの方程式』です。

     最初は三人称で始めたんですが、どうもしっくりこなかった。個人的な苦悩を出したかったので、一人称を選択しました。後半を三人称にしたのは客観的に離れた位置からの描写にしたかったからです。その風景の一部に、前半の一人称を語った人物もいます。

     まあ、成功しているかどうかは読む人の判断ですけど。手法による効果というのは、確かにあります。

     問題は一つの作品として繋げた時に、違和感があるかどうかですよね。短編はわりと実験的な手法をしても、構成を特殊にしてしまえばいけると思いますけど。長編は続けていくうちに難しくなっちゃいます。キツい効果だから、多用するとちょっとってなりますよね。

     一人称から三人称、狙ってやるならアリになる可能性がある。苦し紛れなら、もちろんやめた方がいい……。そう思います。

     
  • 正直大変耳が痛い。
    私も一作品一人称が交互にやって来る作品上げています。
    その理由は、私の中でw主人公だったのです。
    そしてどちらも、世界がどうなろうとも自分の目的のために動くことを決めているキャラクターだったので、三人称と言う客観的に書かなくてはいけない方法(といっても、私の場合書き過ぎるので客観的とは言い難い文章になっていると思いますが)、と言うよりは、考え方をストレートに出せる一人称を選びました。

    それでも初めは三人称にしようとしましたが、どうしてもしっくりこない。で、一人称にしたらしっくりきた。でも、相方の考えが書き切れない。
    訳あって自己主張しないキャラクターなため、片方だけだとどうしてそう言う考え方になったのかが伝えられない。
    台詞を使って説明する方法ももちろんないことはない。とは思いましたが、絶対説明くさくなると思い却下。結果、一人称が時々変わると言う作品になりました。

    な、なので、せっかくフォローして下さっているのですが、お気に召さなかった時は遠慮なく読むの切り上げて下さい。

    私は基本、一人称だろうと三人称だろうと。リレー方式だろうと混在していようと、それこそ気に入れば読み切りますし、興味が薄れれば読まないし……と言う人間なので、過去に読んだものの中で『こう言う書き方もあるんだ』と思ったものをそのまま真似した結果とも言えますが、
    読む方、書く方にとって、色んな捉え方がなされるのだなと、今改めて知りました。

    ただ、物語を書くにあたって直感的に一人称だな。これは三人称じゃないと雰囲気が合わないな。と言う理由で人称決めたりすることのある私には、やはりかなり耳が痛い話題です。
    勉強させていただきます。
  •  一人称多視点、頻繁に交代していく方式ですか……、選択できる幅が狭そうですね。切り替えのタイミングが上手く、特殊な題材であれば成立する可能性もなくはないでしょうけど。
     例えば、『君の名は』みたいなのを小説でガッツリ書くとすれば、僕でもそういう選択をするかな。(書けるとは言っていない……。たぶんムリ)

     主観バリバリ、違和感バリバリがかえって効果になる。デメリットの頭を振られるような視点変更のめまいが、体が共通とかいう接点で無理矢理だけど克服の可能性がある。

     安易な一人称の使用が問題なんですよね。

     一人称で書けば、文章が下手でもとりあえず最低限の感情移入はできる。ターゲットの年代や性別が決まっていれば、まずそれを主人公(一人称視点人物)に据える。そこから小説を書き始めている。
     だからそれで書ききれなくなると、ちぐはぐなことを始めてしまう。そういうことじゃないでしょうか。

     偉そうなこと言ってますけど、僕も昔は「よし、感情移入できる小説を書いてやる。一人称なら簡単だ」。「やべえ、作品がぐちゃぐちゃになった……」を繰り返していました。
  • 関係ないかもですが。
    一人称も三人称もしっくりこない、そんな話の書き方に悩んでます。

    書き方を選択できずに悩むのは、イメージに対して実現する筆力が足りていないのか。

    話をどう捉え、どう見せるか、書く角度が決まっていないせいか。

    人称はいくつかある書くツールの一つで、その選択一つも構成要素として大切だと思いますが、その話でその選択はないと失敗するパターンを考えるよりも、思いついたのならやってみぃと思います。

    やって、その作者がいいと思っているものを、読む方としても、書く方としても否定できないなあ。です。
    与えられた情報しかないので、読みにくくても粛々と読むし、人称がくるくる変わるのも、貫くのも、決まらないことがある自分より戦う壇上があるだけ羨ましいす。
  • 一人称視点のリレー形式(奈月さま、私もこの呼び方がしっくりきます)、書いてて楽しかったー。だって、作中のいろんな人物になり切りながら書けるんですよ。もちろん、すごく不安でしたけど。ちゃんと演じ分けられているかどうかが。

    私の『嘘つき先輩』(この略称デフォルトでOKです)、四人の人物の一人称がリレー形式で順番に変わっていきます(途中でちょっと変則的な部分がありますけど)。このお話、ひとつの出来事を複数の視点から描く必要があったり、いろんな理由からこの形式を採用しました。やっぱり、まずは目的ありきですよね、どのような人称を使うのかは。もしかしたら、日本ではタブーとされている神視点が合っている小説だってあるかもしれませんし。

    書いた本人がすっかり忘れていたのですけど@kobuupapaさまがおっしゃるように、各章に視点人物の名前を入れてますね、私。今思うとちょっと情報を与えすぎという気がします(確かに中二っぽいかも)。実は、その章が始まって数行くらいで、誰かに視点人物の名前を呼ばせるようにしているので、特に説明がなくても、ああ、この章はこの子の視点のお話なんだな、と分かってもらえるはず……なんですけど。

    あとですね、恋愛物に多い一人称の交互視点ですけど、上手い人が書くと、すらすらと違和感なく読めてしまいます。ただこれは本当に文章がうまい人だから読めるんですよねぇ。

    それと……。私の知る限り、一人称の交互視点の甘々な恋愛物って、ほとんどが女性作家さんですよね。私、思うんですけど、こういう作品の男女の一人称は、一般的な「女性」と「男性」の一人称ではないと思っています。女性視点はいいんですけど、男性視点は女性側から見た都合のいい男性の一人称なので、はっきり言って男性視点パートはファンタジーだと私は思っています。なので、正確に言うと一人称+幻想の交互視点だと私は捉えています(あー、ここまで言うつもりはなかったのに……奈月さまにあてられてしまった)。

    これは、「女はそれを我慢できない」を男性視点で書こうとしたけどあまりのクズっぷりに書く勇気が出なかったという奈月さまのリアリティとは真逆の世界ですよね。まあ、割り切って読めば楽しいんですけど。

    あと、今さらなのですけど、皆さん、基本的な一人称の書き方とかどうやって学ばれたのでしょう。独学? Wikipedia? 人に見せる小説を書くのであれば、(受け入れるかどうかは別にして)何がしかの指標となるようなものに目を通しておくべきだと思うのですが、私は最近(っていうほど最近じゃないですけど)だと、大沢在昌さんの『小説講座 売れる作家の全技術』がとても参考になりました。ご参考まで。
  •  一人称交互視線の弱点については上にも書きましたけど、心理展開に頭を振られるようになって、めまいがすることです。Han Luさんが例示してくださったような一人称+幻想視点なら、そういうデメリットは最小で済むでしょう。

     奈月さんのキャラクターは幻想じゃなくて命を持っているので、ちょっと合わなそうです。なら、例えばどう取り入れるか。例として考えてみました。

     キーワードは共通部分とお約束です。

     全く異質なものとの交代は脳がついていけません。何らかの共通項(例えば愛し合っている。例えば同じトラウマを持っている。例えば同じ目標を持っている)などがあると脳みそは比較的早く馴染んでくれます。

     転換部分については章で区切ったり、×××みたいな記号で行を埋めるのが一番簡単ですが、それでも別の作品を交代で読まされているような感覚は否めません。
     内容で転換部分を自然に感じさせる方法として、お約束を取り入れるというやり方があります。例えばコーヒーを飲んでいてぼんやりとしている描写の後とか、眠りにつくためにスイッチを切った瞬間とか、タイミングを読者が予想できるように決めてあげるのです。(R18のタイミングもいいかも……。いや、忘れてください)

     一人称交互視線が生かせる設定を思いついたら、僕も一度は挑戦してみたいと思います。(遠い目……(  ̄- ̄) )
  • わたしはお笑い異世界ファンタジー側の人間なので、一人称交互視点というチャレンジにおいて

    召喚された勇者側と魔王側の交互視点みたいなのを書いてみたいですね。
    魔王はずっと勇者のことを知らないはずなので(知ってたら最初の最初のレベル0の時点で殺すはずなので)(というか知ってて殺せないならそれはもはや魔王の器にあらず)(めちゃくちゃ頑張ってるのに鈍い勇者がさらっとかわしてまったく気づかないパターンもあり)(魔王様がんばれ)

    ギャグですね。困った。
  •  な~る~ほ~ど~~。ふぁんたじーかあああ(;'∀') ものすごーく納得と共にものすごーくカルチャーショックです。そうだよねえ、私読みながら男の思考じゃないよって苦笑いしてたもん(紛うことなき苦笑いですよ) 女性向け恋愛作品なんて、日本には王子様とハイスペックイケメンしかいないのか?! って、あれほんとファンタジーだものねえ。な~る~ほ~ど~~。
     ラノベに見られる女の子像も、あれファンタジーだものねえ。幻想怖いわあ、現代ドラマあるいは恋愛仕立てのファンタジーかあ。そうかあ。
      そうやって幻想を楽しむためだけの読書しか知らない人は、自分の経験以上のものをどこから学ぶんでしょうね? 道徳的なこととか雑学とか社会的なこととか人生観とか倫理観とか哲学とか。それこそリアルな恋愛観とか。幻想の物語しか知らないから現実にろくな恋愛が出来ないのじゃないのかしら? なんて、余計なお世話でしょうけど。

     それにしたって恋愛作品の醍醐味って、主人公に感情移入して相手キャラの気持ちが分からずに不安になったり誤解しちゃって泣いちゃったり、別れを決意して切なさに号泣したり。そんで最後にどんでん返しが起こって、ヨカッタねーってまた泣くっていう。これだと思うのだけど。
     一人称交互視点でどうなの? って思ったのはそこなのよ。両方の気持ちを開示されてしまうって、こんなネタばらしってある? よっぽどじれじれするような(両思いだけど結ばれない理由がある、みたいな)意表をつく設定でもなければ楽しめないじゃないかって。
     うん。でもこれが一人称+幻想だとすれば、そうやって話が進んだあげくに、最後の最後に三人称視点が入って実は相手の本心はこうだった! ってどんでん返しがあるのかしら!? それならおもしろーい。(あ、ごめんなさい。ふざけすぎました。怒らないで……)

     人称についてとかって私は独学になるかなー。文体の変遷や技法みたいのは文学論だからね(^-^;
     でもブランクが長かったから、去年投稿を始める前に一応おさらいはしたよー。そこで三人称に種類があって(一元とか多元(神)とか)ちょっとびっくりしたっけ。あれどこのサイトの記事だったんだろうって、さっき検索していくつか記事読んでみたのだけど。やっぱ私は駄目だ、こういう個人のレクチャーって。みんな好き勝手に言ってるだけで余計に混乱するわ。

     なので、ここでも色々な意見があって良いと思うのですが。
     まとめてしまうと、手法として成功してるならアリってことですね。読者になるほど面白いって、思わせられれば。

     ショートショートや短編なら仕掛けとして視点の移動は有効ですよね。読み返して確認するのは簡単ですし。大昔に素人さんの投稿で読んだいじめの連鎖のネタは面白かったなあ。一人称視点が巡り巡って元に戻って行くっていう。
     上原さんのネタも仕掛けとして面白そう。是非書いてください。読みたいです。

     そして読者に最後まで読んでもらえるかってことに関係して、ここでの正義である「読みやすく」って価値基準は絶対だと思うのですよ。
     私が接した限りの一人称視点の中に突然三人称視点が入って来る作品はとても読みにくかったです。我慢して読み進めて、これはナレーションなのか、と分かったり。主人公のいない場面は当然三人称になるのかって把握はできたものの、一人称で「おれは」って主語をあまり入れない書き方をする作者さんなので今はどの視点で物語を追ってるのかさっぱりわからなくなったりして。
     上でも例に挙げたように〈三人称視点〉ってト書きが入ってるのは、潔くて受け入れられました(笑)
     一人称視点の交互交代にしても気持ちが入り込めずに冷めていってしまうのですよね。特に地の文がどのキャラでもいっしょだったりすると。

     なので油布さんが考えてくれたみたいなお約束化みたいに、いかに読みやすく手法として取り入れるかが問題で。
     ミステリーで読者をひっかけて、この場面での視点の主は実は別人だった! とかって叙述トリックやカオスを描いた作品でもない限り、読者にスムーズに視点の切り替えについてきてもらえるかっていうのが成功のカギなわけですよね。そしてそれが力量のない人にできるとは思えない。

    > 安易な一人称の使用が問題なんですよね。

     そこなんですよね。それで目にした便利に思える裏技に走ってしまう。すみません。頭の固い私にとっては裏技です)。そして微妙なのは、とくにカクヨムにいる作家さん方ってそこそこ作品として仕上げてしまえるってことなのですよね。

    >やって、その作者がいいと思っているものを、読む方としても、書く方としても否定できないなあ。です。

     おっしゃる通りです。批評や感想は言えても否定はできないです。ただ出来るのは問いかけることだけですね。本当にこれが良いと思ってるのかって。いちばん身に覚えがあるのは作者なわけですから。
     
    >人に見せる小説を書くのであれば

     そうなのですよね。そうなのです。人様の目に触れさせるのであれば、最低限の知識はもって、臨むべきだと思うのです。
     どうしてなんだろう??? って不思議で仕方ないのは、文章は上手なのに基本の書き方が出来てない人が多すぎる。一字下げとか、ダッシュや三転リーダーの使い方とか。国語の教科書に載ってたことだと思うのですけど。そんなルールは守らなくてもいいって思ってるのでしょうか? 頭の固い私はこれだけで読みにくく感じてしまうのですが。
     もちろん人称や視点についてもきちんと学んでもらいたい。

     三人称の話になってしまうのですが。 
     私は昔、視点が定まらない文章は駄文だって言葉を聞いて。私の三人称は視点がブレブレだったので落ち込みました。それから気を付けてはいるけど今でも視点のブレはなくせない。せめて最低限にしようと頑張ってはいるけども。

     カクヨムでも、エピソードごと、場面ごとに視点がぴったり固定された作品を読むとすごいと思います。(今まで読ませてもらった橘月さんのは素晴らしいですね)
     視点が定まった文章は読みやすい。安心感がある。だから視点の固定は大事だって思うのです。
     そのメリットを捨ててまで人称の切り替えや一人称の交代っていう手法に走るのなら相当の力量が必要なのであって、それを分かったうえで用いて欲しい。そこそこ作品に仕上げられたくらいで満足しないで欲しい。もっと良くできたはずなんじゃないのか。どうしてその方法を選んだのか。自分が楽をした結果ではないのか。少しでも後悔があるのなら、それはずっとずっと付きまとう。書いた本人がいちばん分かってるはずだから。

     これらの手法については上手な人がやるならアリということで。とりあえず今読んでるのが終わったら橘月さんの作品読ませてもらいますね(ニヤリ)


     軒下さんの人称が変わってしまうって、三人称の中に一人称のモノローグが入っちゃうってことでしょうか? 本当だったら()付けなきゃいけない、みたいな。
     それは私も多用してます。わかっててやっちゃいます。そうしたほうが盛り上がるし情感が出る感じがするので。なので突っ込まれても「はい、そうですね」と流すしかないです。
     でもこれって夏目漱石も『三四郎』でやってるんですよー。なんて言い訳。
  • ビビる超ビビる(ビビる遠藤)

    何気ない感想が議論を生む……いいのかもしれないですね。

    少なくとも一人称である場合は主人公を中心に読者は見ていくはずだという信念から他キャラへの一人称移行は書いていないです(はい魔王は許してください☆ちょっと特殊な同一キャラ設定なので)

    三人称を選んでコロコロ視点変えることも出来ればしたくないんですよね。ここで他のキャラに視点入れ替えて語れたらどんなに楽だろうとか思いますけど、そうすると物語が広がる分、内容が薄くなってしまうように感じるんですよね。それもまあ技術の一部かもしれないのですが。

    第3惑星とかハルカナとか、展開を考えた上で「これは展開上カメラ切り替えるなぁ」って考えた物語はハナから三人称ですね。それを意図的と呼べる実力が伴っているかはまだなんとも言えないですが。

    多分なのですが、今の時代の娯楽媒体の中心って映像であり、その中でもアニメがかなり台頭してきていると思うんですね。
    で、アニメ見てラノベ読んで書いてみたいって思い書き始める方も多いんじゃないかなーと。

    リアルでは表現しきれない幻想的な風景も、しのぎを削り合うダイナミックなバトル展開もアニメなら思うがままです。色んな登場人物の説明も映像なら比較的容易に表現できますし、カメラ切り替えも自由自在。すごく短い場面も映像でちょこんと写せば示唆に富んだ意義深そうなワンシーンとなり得る。

    それを小説に盛り込もうとしているからこそ、簡単に視点変更や場面切り替えを頻繁に行っても大丈夫じゃないか、なんて発想が生まれているんじゃいかなーと思っています。

    それは映像の美しさや利点であって、小説におけるルールや長所ではないように思います。

    小説の長所の一つって、読者が自由自在に描ける想像性じゃないの?って思います。
    文字で全てを描ききれない、描ききらないところに様々な解釈や違った感情が生まれる。物語が固定化されない想像の空間の広がりが醍醐味だと思うのですよ。

    なんだろう、ここでこの例えを出すことはとてもお門違いな気もしますが、まあ所詮私が言うことですので、自分が思う中で文字による表現が素晴らしいと思った例をあげます。

    映像で見るよりも、時折見かける官能小説の方が興奮します←台無しなのであれなら消してください。
  •  アニメありきな書き方っていうのはすごく感じるなー。別ページで話題に上がった女の子の容姿の描写についても。

     小説でもカメラワークって大事ですよね。それは『紫式部日記』なんて古典の中でも見られることです。
     視点の切り替えがカメラワークでいうところのスイッチャーであるなら、やっぱり切り替えはスムーズであるべきだと思います。(フィギュアスケート見ててもそこが下手だとイラっとする。そこ、足元うつせやーって)

     ああ、うん。官能ね。想像は自由自在だもんね。ふにょん?
  • こ、恐い(;゚Д゚)

    いや、三人称の方を褒めていただき、物凄くテンション上がったものの、問題の作品は(魔法使いの奴ですけど)……地雷踏みまくっているようで、恐い!
    本当に、受け付けなかったらやめて下さいね! そう言うの慣れてますから! まぁ、誰の視点になっているか分からない……と言う可能性だけは絶対にないですけど……。

    今ふと、これを三人称で書いたらどうなるんだろ? と改めて考えたり。
    今なら三人称で書けるのかな? と思ったりもしますけど、そもそも内容が人様を引き付けられなければ……とも思ったり。

    ただ、こういう議論を見ているとためになりますね。
    私の一人称の元となったのは中学校時代に読んでいたラノベですね。
    ただ、三人称の元となったのは……ハッキリと分かりませんね。
    元々読んでいたもの(図書室とかで見たもの)が三人称だったので、ラノベの一人称と出逢ったときはある意味衝撃でしたね。
    こんなに簡単な書き方でいいのか!と。
    でも、基本的に書く内容は書き方は今とさほど変わらなかったりして、
    読んでいるものと書き方の違う自分に随分戸惑ったりしてました。
    今はもう、徐々に開き直りつつありますけれど。
    書き過ぎないこととか間とか気にしつつも、それでも基本は変えられないなぁと。
    貴重な勉強ノートとなっております。
  • 幻想、怖いですよー。ベリーズカフェとか見てますと、たまに心配になってきます。だ、だいじょうぶか~? って。もちろん実生活ではちゃんとした(?)恋愛をして、あくまでもお話だからと割り切って読まれている方も多いと思いますけど、そういう読み方もなんだかなーと思いますし。

    そうそう、ラノベの女の子像も幻想以外の何物でもないですよね。でも、男性が女性の幻想的一人称を書くって、見たことないです。比べるようなことではないですけど、女性の方がまだ男性の内面に入り込もうとしているだけ(たとえそれが幻想だとしても)ましなような気もします。男性は女の子の内面なんて、はなから理解できると思っていないのか、知るのが怖いのか、そもそも知りたいとも思っていないのか……。すみません、また脱線しちゃいました。

    (でもこれ、面白そう。男性作家さんに、ツンデレの女の子の一人称で短編を書いてもらう企画とか、どうでしょう? うふふふ)

    アニメとラノベはもはや切っても切れない関係ですよね。
    >アニメ見てラノベ読んで書いてみたいって思い書き始める方
    多いと思います。すごく。でも、最近のアニメは通常1クール12話ですよね。原作付きのものはたいてい完結しないまま終わっちゃう。これって、いろんな面でよくないんじゃないかなーとずっと思っていました。これも人称のはなしとは関係ないのですけど、そういうのばっかり見ていると、物語に対する精神的強度みたいなものが脆弱になっていく気がするんですよねー(脱線ばっかでごめんなさい!)。
  •  ツンデレ女の子の一人称小説、そんなのムリ!
     それこそ僕にとっては、絶望的な挑戦です。モゾモゾしてダメ、自分におっぱいがついていることを想像しながら書くなんて、もう拷問です。万が一ハマったら、妻に離婚されてしまいます。早々に辞退です。

     アニメのような映像的な小説、についてはアリだと思います。
     この映像的っていうのが問題なんで、映像は単なる写実とは違うから時間的な表現も必要なんですよね。これは僕も憧れたり、ある意味で目指している部分もあります。
     昔、平井和正の小説を読んだとき。(狼の時代とか、言うんだっけ?)その場にいるような臨場感があって映像が浮かんだんですよね。映画なんかよりずっとリアルだと思いました。(写実描写じゃなくて、動詞で動きを表現するやり方でしたけど)
     難しい、難しいけど……。

     
  • >小説の長所の一つって、読者が自由自在に描ける想像性じゃないの?って思います。
    文字で全てを描ききれない、描ききらないところに様々な解釈や違った感情が生まれる。物語が固定化されない想像の空間の広がりが醍醐味だと思うのですよ。

     私もそう思うなあ。だから今だにいい年した学者のおっさんたちが『三四郎』で美禰子の本命は三四郎だったのか野々宮さんだったのか、なんて議論をしたり。『たけくらべ』で美登利の初潮説VS水揚げ説なんて論争が起きるのであって。いや、どっちだって良いのだけど。そうやって読者が想像できる余地がある方が楽しいわけで。
     私の好みがそうだから、男女の交互視点なんてものは興醒めだったわけだなあ。人称や視点を無理やり変えてまで語り尽くす必要があるのかな。大多数の読者の要望はそうなのかな。作者が勝手に語り過ぎちゃうのではなくて? 書き過ぎない潔さも必要だと思うけどな。「秘すれば花」だよ。最小限の言葉が最大限の効果を生み出すことだってあるんだよね。その作品の傾向やバランスの問題ではあるけど。

     動きのあるシーンなんかはアニメや漫画の画像が元にはなりますけどね、そりゃあ。カッコいいって、取り入れたくなりますもん。

     橘月さんの衝撃わかります~。私も藤本ひとみのマンガ家マリナシリーズ読んだ時は衝撃でした。文章への影響って他にもよーく思い返してみると、少女マンガのモノローグ部分から受けた影響も大きいかなーなんて思います。漫画の中にも詩的で素敵な表現多いですからね。
     自分のスタイルがあるってすごい武器ですよ。個性は何よりの宝物です。それを長所にしていけば良いと思います。

     ベリーズカフェは怖くてトップページにも行けない私。自分の作家メニュー画面チェックするだけだよ。隅っこに出てくる人気キーワード見てるだけでも、砂吐くくらいじゃ済まない気がする。怖い……。

     確かにー。男性の想像力には限界があるのだと思うのですよね。なんとなく。だから無神経な発言を女性に向かって繰り返すわけですよ。対岸の生き物とかって突き放すわけですよ。女性はしょうがないなーって受け入れてあげるのに。仕方ないか。男はみんな傷を負った戦士ですからね。
     そうそう、B'zが売れ出した時の批評に、女性賛美の歌詞だからっていうのがありましたよ。確かにって思ったっけ。昭和の女から平成の女にシフトしたって感じでしょうか。一向にシフトしないのがラノベ(アニメ・ゲーム)の女の子キャラな感じもしてきちゃいますねえ。

     もし男性作家陣によるツンデレ企画が始動するなら、審査するのは当然女性陣ですよね。フフフ。

     アニメ化したは良いけど、これからだってとこで大抵終わるよね。そこから原作本の購入に向かわせたいのだろうけど、どこまで成功してるんだろ。私は面白かったアニメの原作は買ってしまう方だけど(古本で安く手に入れば)。一期の円盤の売れ行きが良かったらそれを元手に二期を制作って感じ? そんなサイクルだって小耳に挟んだ気が。

    >物量差、圧倒的やん。

     なるほど~。なんか芸術派VS民衆派みたいな。文化が大衆化するのは良いことだけど、質が下がるのはどうなんだろうっていう。活字文化で言うなら、井上靖がマスコミと文学の問題と評したように、そこで踏ん張るのが出版社の役割のように思うのですが。踏ん張れてないから現状があるのか。
  •  軒下さんのあれは世界観とキャラがまったくかみ合ってなかったからですよ~。もったいないから腹が立ったのですよ。無理はいけないってことですよ、無理は。
  • 油布さまの反応が素直すぎて、素敵です。モゾモゾしてだめっていうのが、ツボりました。新しい扉が開くかもしれないのに、残念。でも、離婚問題に発展しちゃうと大変なので、しょうがないですねー。

    軒下さま、さっそく手を上げていただいて恐縮です。企画立ち上げについては、もうちょっと検討させてください。すみませんっ。

    >最小限の言葉が最大限の効果を生み出すことだってある

    私もあると思います。といいますか、あります。それを目指してます。でも……。

    >大多数の読者の要望はそうなのかな。作者が勝手に語り過ぎちゃうのではなくて?

    どちらが先なのかは分かりませんけど、明らかに、語られすぎている物が求められている傾向にある、その傾向は強まっている、と思わざるを得ません。大多数の読者は説明過多のほうを好むのではないでしょうか。

    ラノベを最右翼とした(最近どんどん中心に向けて浸食している気がしますけど)エンターテイメント系(この定義についてはひとまず置いておきます)は特に。

    人称の話に戻りますけど、ラノベは一人称が多いというお話でしたけど、一般的な大衆小説、エンターテイメント系の小説はむしろ三人称が多い気がします。三人称で、ものすごく説明的。それが最近の日本のエンタメ小説の印象です。

    (このあたり、完全に印象で書いていますので、ちょっと怖いなぁとは思ってます。こういうのってどっかにデータないのでしょうか、まあ、ないですよね)

    ただ、以前、大手出版社のエンタメ系編集者が、エンターテイメント系の小説に最も適しているのは三人称だとおっしゃってました。たぶん、業界全体的にそのような認識なのではないかと思います。一人称でエンタメを書くのは本来はすごく難しい、ということですね。

    私は、想像力というのは、ものすごく大きなキーワードだと思います。そして、とても乱暴な言い方を許してもらえるのであれば、ライトノベルにせよ、日本のエンタメ小説にせよ、日本の大衆小説は読者の想像力を奪うような方向へと進んでいる気がしてなりません。実は、そういうところから出発したのが今書いている小説なのです(まさかの宣伝?)。

    >芸術派VS民衆派みたいな
    誰か踏ん張ってほしいですねー。
  •  僕は思うわけですよ。

     いま、とりあえず一人称小説がテンプレとなりつつある。

     Han Luさんが言うように一人称は簡単じゃない。優れた一人称小説を書くには優れたテクニックが必要です。

     それは三人称小説も一緒。どっちがより優れた形式というわけじゃない。

     でも、なぜとりあえず一人称なのか。

     とりあえず書いた場合、最低限の形になるのが一人称小説だから。
     とりあえず一人称にしておけば、主人公の視点があります。悪い意味のウェブ小説は、夢想をテンプレに沿ってただ書いたものです。
     夢で美人に会って、惚れられちゃったんだ。うひひ。俺、よくわからないけど最強で、敵の大軍をひとりでやっつけちゃったんだ。

     そんな妄想を客観的に聞かされたら嫌になります。でも、そんな夢を見たいと思っていた人なら、描写の伴わない語りでも自分の妄想の延長として取り入れてくれることでしょう。

     その場合は、一人称が必須です。
     そして、一人称であれば、少なくとも一人の人物にはリアリティーがあります。自分だけ、自分の妄想エネルギー全開。
     他のキャラクターは人間でなくてもいい。全部、人形でもいい。妄想なんだから、妄想の枠から外れる必要なんてない。
     妄想、夢みたいなもんだから、描写も最低限でいい。足元がふわふわの綿雪みだいでも構わない。

     個性を持ったキャラクターを生きたまま描くことがどれほど困難か。小説で色のついた物を見せることがどんなに難しいか。わかっている人間から見るとイラっときます。(夢には色がありません)

     ただ、とりあえず商業小説としてそういう読者を引き寄せる構想を持っている作者が、確かな技術を持っていない作者がとりあえず形にすることができる形式がこれだと思うのです。編集者は、それをすすめます。というより、それしか表現できない能力しかない作者なら、それを強制すると思うのです。

     まともに書いている人より、明らかに低いレベルで書いているものの方が評価が高く見えることは苦痛です。

     しかし、だからこそ構想だけ拾われて使い捨てられている。

     そう思うんですが、どうでしょうか。

     
     

     
  • いい天気が続いて、桜がためらいもなく散っていっております。

    女性の一人称に違和感がないと思ったのは神坂一氏でした。「スレイヤーズ」と「なりゆき異邦人」?…確か一人称だったはず。後にも先にも松本清張(女性を多く書くけれどこれは三人称か)を読んでも、そう思います。
    逆に女性が書いてると思えない男っぽい(?)話を書くと思ったのは、高村薫氏です。「李歐」がやたら腐女子に人気だったからこれも幻想なんでしょうか。「李歐」は読んでいないから不明。

    話を書く時、端役に至るまで作者はその人物になっていると思うのですが、もし脇役でツンデレが描けるなら一人称も可能ではないか、要は書き手の抵抗の問題で、想像できる以上、可能という気がしました。

    人称や視点の指摘を最近受けて、ここでの皆さんの話を経て、認識の違いはここかなと思ったところがあります。
    自分においてですが、文章より物語を形にすることを優先している部分。昔は多々、頭の中身を見せられたら苦労はないと思うことがありました。伝わるならけして文章じゃなくてもいいと思っているところがある。
    ここで人称についてこれだけ議論がなされるのは、「物語を作る」行為と同じ程度で「文章で書く以上」という意味が入るのだと思います。
    その辺りを失念していたなと思うのです。

    一人称、三人称とはっきり分かれますが、それぞれに幅があり、書き手によってはその境界線まで肉薄するものだと思っています。
    細分化された人称のどれを使い分けるか、それによって表せる物語のグラデーションや奥行きは無限だろうと思います。

    結局、読書が一番面白いので、文章で伝えられることの確かさを信じているのですが、文章の長所についてはまだまだ勉強不足。
    話によって扱う世界や人物が変わるのでアプローチも一からとなるため、その時その時で人称から捻らにゃあならん。と腹を括っていましたが、読みにくいと言われて、あ、基礎から見直しだわと思う次第です。


    昔、「状況の説明がないからわからない」と感想を告げたら、それまで自由に書いていた話に詰まるようになって、書かなくなってしまった知り合いや、母親に絵の塗り方に一つにしても「こうするもの」と教えられ創作の芽を摘まれ続け、創作が絡むものに苦手意識を持って避けるようになってしまった家族などを目にしてきたため、その講釈を言うにしても、伝え方や先に示すのか後に伝えるのかについて、ひどく注意深くなってしまいます。
    カクヨムでは、極端に例えればただ思いついたものを形にしたくてここにいる人、長く文章にこだわってきた人、これから選択していく人がいて、「物語を作る」という観点で括って様々な感想を抱いてきた私の思考は嗜好でしかなかったんだなぁと思いました。

    はいそれじゃあ、とどこへどうも変わりませんが、お勉強になったのは確かです。ありがとうございました。長々と失礼しました。
  •  エンタメが三人称が適してるっていうのは、多数の登場人物を切りまわせることに関連してるような。ラノベのように閉ざされた世界でない、社会的な要素も必要ですものね。田中芳樹の薬師寺涼子シリーズは泉田クンの一人称ですよね。あれは鈍感男の一人称じゃないと成り立たないからか。そう考えるとラノベ寄りな感じ?
     あとはラノベとは逆の原理で、三人称なら自然と堅苦しくなって少し高尚になる感じがするのかなあって。内容はラノベと変わらなくても。
     そうそう何かの記事で「ラノベは会話文が多く地の文が少ないのが特徴。少女小説はラノベの下位に属すとされるが心理描写が多い点は文芸寄りと言えるかもしれない」ってあって。森博嗣のS&MやVシリーズ読んだ時、会話多って思ったのですよね。そういう点はあれはラノベよりだったのかも。だからコアなミステリーファン以外の層にウケたのかな、と。

     少年犯罪やいじめの問題がクローズアップされ出した時、想像力がないから他人を傷つけるって言われてました。ネット投稿動画に見られる考えなしな行動を見ても現代人の想像力の欠如は深刻なのかもしれません。

     一方で妄想力で出来上がってるのがラノベの世界ってことでしょうか(苦笑)
     読者作者共に妄想のるつぼにハマってしまってるってことでしょうか? そこのところの訳のわからないエネルギーっていうのは、編集者にも予測ができないものなのかもしれません。

     これらの現象を乱暴に一言で「質の低下」と言ってしまって良いのなら。こういう投稿サイトの功罪は想像以上に大きいのかもしれない。
     無料で読み書きできて、気軽に無料で小説を公開できるって、便利な一方、精査できてないものがもてはやされてしまう危険性があることに今更ながら気が付きました。
     同人誌が主流だった頃は、お金のやりとりになる分、シビアでした。お金をかけて作るわけだから生半可なものに投資は出来ない。刷ってしまえばそれきりだから何度も何度も作品を吟味した。読む方だってそう。つまらないものにお金をかけたりしない。義理で買うほど安い物でもなかったですし。
     だけど無料投稿の世界なら無責任に公開できるし無責任に褒めたりしちゃえるんですよね、ほんとにちゃんと読んでなかったとしても。
     一方で質の高い作品が埋もれていたりしているわけで。で、以前にもどこかで云ったかもしれないですが、編集者的には無言で埋もれてる良質な作品よりも、訳の分からないエネルギーで浮き上がってる作品の方を選ぶのかなーなんて。目立ったもん勝ちの世界なのかな、なんて。

     そりゃあ、ゼロから作れる作品なんてないですよ。自分の中の澱を核にしなければ確かなものなんてできません。それを恥と思う文化だから日本の文学は脆いのだと思います。
     だからファンタジーというオブラードと妄想力でコーティングされてるラノベがはっちゃけてるのかもしれませんね。
  • >無料投稿の世界なら無責任に公開できるし無責任に褒めたりしちゃえるんですよね、ほんとにちゃんと読んでなかったとしても。

    「身銭を切る」という言葉があります。私はこの言葉、好きです。常々忘れないようにしたいと思っています。決してお金持ちなわけではありませんよ。でも、自分にとって価値のあるものに対してはその対価をきちんと払いたい。価値のあるものは、何がしかの対価を支払わなければ得られない。そう思うようにしています。

    でもどうやら、多くの人は、無料で大事な何かを得ることは、とてもいいこと、ラッキーなことなのだと思っているようです。そんなうまい話、ないですよね。仮に無償で手に入ったとしても、そんなものが自分の身につくはずがない。

    オブラートとコーティングを施された薬は飲みやすいです。でも、サプリメントと生理食塩水だけで人は生きてはいけません。肉や野菜を咀嚼する顎の力は必要です。

    私も、このような投稿サイトの功罪は、特に罪の方は、想像以上に大きいのではないかと思い始めています。なぜなら、私、ここで小説を投稿したり、他の人の作品を読みだしてまだ数ヶ月ですけど、その間、ほとんど一般書籍の小説を読んでいないんです。それまでは時間があれば、本を広げていました。今は、PCか、スマホです。時間が削られているというのも大きいですけど、単純に読むという欲求を満たすだけなら、ここはものすごく手軽なんですよね。正直、ヤバいと思い始めています。

    もちろん、功の部分もありますから、必要以上に声高に罪悪を叫ぶようなことはしたくはありませんけど。ただ、これからいろんな古今東西の小説(きちんとしたルートに乗っかって本屋さんに並んでいる小説)をどんどん読んでいくべき年齢の子たちが、ここにあるもので満足してしまうようなことだけは、避けてほしい。

    当然、ここをきっかけとして、一般書籍へと移っていくという美しい流れもあるのでしょうけれど。このあたりはまだなんとも判断できかねないですし、しばらく様子を見ていきたいと思っています。
  •  エブリスタが作者向けの「monokaki」っていうサイトを立ち上げたのですが、ここの連載コラムのweb小説の分析はなるほどって思いました。

     https://monokaki.everystar.jp/column/



     紙の本、私も読まなくなってて、ヤバいってまったく同じこと思ってました(汗) PCの前にばかりいたら馬鹿になりそうで(-_-;) でも400頁程度のハードカバー本読むにも何週間もかかってしまって。こんなの以前は二、三日で読めたのに。ナサケない。
     対してヨムヨムはご飯食べながら、おやつ食べながら、料理の合間に、寝る前にドライヤーやりながら、と。隙間時間にできちゃうから便利なのですよねえ。便利なのです。だけどちゃんと活字の縦書きにも触れないとダメです。退化です、堕落です。

     多くの人は無料だから投稿サイトを利用するのですよね。私だってそうですし。何より書籍は高すぎです。文庫本に千円近い金額は出せません。なんで私は古本ばかり買ってます。本当は新本を手にしたいですけどね。新しい本は良い匂い。カバーもキラキラで美しい。図書室では何よりも最初に新着本をチェックします。


     シナリオライターの勉強をしてて、赤川次郎みたいな小説を書く人もカクヨムにはたくさんいますよね。私が読んだハイファンタジーは、視点の切り替えがそれこそ映画のカメラアングルみたいで、はじめびっくりしたけど文章が上手な方だったのですぐに慣れました。場面展開なんかスターウォーズみたいだなって思いましたっけ。ストーリーが面白かったので最後まで楽しめましたよ。

     しつこいようですが、安易に一人称で主体を換えるとか、途中から三人称に切り替えるなんて反則技に走らずに、まずはスタンダードに挑戦して欲しいものです。どうしても一人称が良いというのなら、時系列を後追いにして伝聞体にするとか第三者の口語抜粋にするとか、構成の工夫でやり方はあると思うのです。(そうか。構成力のなさっていうのもポイントかも)
     基本を身に着けてこそ、その上にいけると思うのです。

     自分が書ければ満足だ。評価なんていらない。読まれなくたって構わないって言うのならそれまでですが。創作者であるならそれは嘘だと思いますけどね。
  • 本は本当に高いです。文庫に千円ってあり得ないですよね。向けはこんなに高くなかったと思うんですけど。ツルツルの上等な表紙はいらないから安くしてほしいものです。私も古本依存度高いです。というか、古本屋さん楽しい。

    エブリスタのサイト、いいですね。とても真っ当な感じがします。カクヨムにはこういう真っ当感が一切ないのですよねー。

    本、読まなきゃダメですね。堕落ですね、ほんとに。

    構成力かー。なるほど。でも、何百話もダラダラ……いえ、ガシガシと続けていらしゃる方は、そもそも構成という認識なんてないまま書かれているのでしょうから、およろしいことで御座いますわね。おほほほほ。
  •  文庫本なんて300円程度でしたよー。分厚い奴で500円?

     言いたくないけどカクヨムってさ、角川が旨味を吸い上げるためのものだと思えてしまうのよ~。その証拠にエブリスタにだって依存してるじゃんカドカワ。自社サイトをどうにかしなさいよ。自社サイトを。
    「monokaki」の記事読んでて、これに比べてカドカワbooksの新文芸宣言なんてクソだと思ってしまった。いや、カクヨムにお世話になってるからこそ言うのだけどね。

     ああそうか。構成って認識がないのか……(絶望)
  • いや流石にそれは、エブリスタと出版社が補完しあってると言ったほうがいいんじゃないかな。
    エブリスタは書籍化するには出版社を頼らなきゃあかんわけだし、出版社は書籍化のネタが欲しいわけだし。

    サイトの運営の仕方とか、そりゃもうDeNAが関わってる(やってる?)エブリスタの方が一日の長があるでしょう。
    あの問題のソシャゲのDeNAですよ。真っ当に見せるなんて……いや、ゲフンゲフン。


    決してカドカワさんを擁護したいわけじゃないですよ私は。そこは誤解しないでください。


    エブリスタが行き着きたいビジネスモデルは有料会員からの収益なんでしょうかね。紙媒体なしの電子書籍かもしれない。体力あるからまだ様子見なのかも。
    書籍化は作家さんへのご褒美になる(というかこれがないと作家が集まらん)けど自分たちでやるのは収益考えてマイナスだしノウハウもないから協賛会社頼み。

    カドカワの場合はやっぱり書籍化で収益を得たい。できれば(多分)新人作家を掘り起こしたい。
    カクヨムを有料化して云々は考えてない(今のところは)。



    そういう違いがあると思うんだけど、うーん。
  • 私はエブリスタは利用してませんから、あまり強いことは言えませんけれど……。
    エブリスタと入力してGoogleでトップにヒットするページを見たことありますか?
    その上で批評を展開なさっているのなら私に言うことはありません。公正な目のつもりでいる私が間違っているのだと思います。


    ただね、エブリスタにとっては書籍化は客寄せツールでしかないことは……。


    いやもうやめよう、こんな話はどうでもいい。
    出版社が投稿サイトを運営するのであれば、いくら後発になったとしても、ソシャゲの会社に負けてはいかんですねホント。
    社内にプロがいないにしても外注の予算が足らないにしてもそんなのは言い訳にもならん。
    集まってくれた作家さんたちに疑問を持たれないサイト運営をして欲しいものです……。


    もう一度書いときますけど、私はカドカワの関係者でもなんでもないですよ。
  • ごめんなさい。
    なんかただの印象論になってるかもしれない。
    エブリスタに登録して、少なくとも両者を同じ期間使ってみないことには、こんなこと書いちゃいけなかったな。

    m(_ _)m
  • >エブリスタが行き着きたいビジネスモデルは有料会員からの収益なんでしょうかね。紙媒体なしの電子書籍かもしれない。

     確かに。現実に有料で稼ぎを出してる素人作家さんもいるらしいので。その部分は昔の同人誌界と同じかもです。反してカクヨムの作家たちはこのレベルの物をタダで差し出すのかって皮肉ってる人を見かけましたねえ。

     エブリスタって経営母体はともかく、プロ作家を招いて公開講演をしたりコンテストだって盛んだし、物書きを育てようって熱意は感じるのですよ。(ピクシブ文芸も頑張ってたけど息切れしちゃった感じですね)

     角川レーベルの募集が短編コンテストに限られていて、賞金もお膝元開催の大賞とは比べ物にならないことを考えれば、大人のお付き合いなことは見え見え。
     汚い話になりますが同様の長編募集でもカドカワは賞金額が段違いなのですよ。才能をお金で買うのじゃなくて、広く底上げをすることによって育てようって方向にいかないのかしらって思ってしまいます。

     カクヨムってユーザー任せであわよくば……なーんて感じを受けて仕方ないのですよ。運営も頑張ってはいるのでしょうけど、どうにも迷走感を拭いきれなくて。いろいろ上手くないのでしょうけど。
  • いろいろわからない状態で発言するのは控えます。

    DeNAさんがプロ作家を育て、出版界に新風を巻き起こしてくれることを期待するべきですね。

    いろいろとごめんなさい。
  •  いえいえ。内部の事情なんて所詮わからないですし色々な見方があるでしょう。
     各サイト一長一短なのが実際のとこなので、こちらは割り切って利用するのみです。ひとつに依存するつもりもないし否定もしません。
     だけど批評はするし要望もしますよ。それはもちろん。
  • エブリスタ、登録したはいいけど、まったく使っていません……。私もちゃんと使ってみようと思ってます。
  •  私もあそこの作法みたいなことはまったく分かってないのだけどね。サークルに参加すれば交流も出来るふうだけどどうだろう。そこまで余裕もないし。
     作品置き場&コンテスト参加目的だな。ここのとこ調子良くSSを思いついたからいくつか応募ができてラッキーです。
     Han Luさまさまですよ。ありがたや、ありがたや。
  • 短編、面白い!

    ということが最近分かってきました。こちらこそ、ありがたやですよ、奈月さま。

    私も今の状態が手一杯ですねー。とりあえず覗いてみようとは思いますけど。

    エブリスタはコンテストが盛んみたいですから、積極的に活用したいですよね。それで、こういったところでは、創作のための情報交換や情報共有の場として有効に機能すればとてもいいことだと思います。
  • こんにちは。
    レビュー企画でお世話になっております。世楽です。
    カテゴリ違いですが、失礼します。

    そろそろ私主催の企画も終わりが見えてきました。
    そのラストで菜月様の作品をイレギュラーで取り上げさせていただきたいのです。

    具体的には私の父と母に読ませた感想を掲載するというものです。
    今回レビューした作品が『普遍的なテーマを有するというならジジババ世代に読ませたらどうなるか?』というある種の実験なのですがよろしいでしょうか?

    ちなみに……
    母、感動しうるっときた。
    父、まったくピンとこない。何が良いのか分からない(通しで2周、不明なとこは3回読んだ上での感想です)

    という感じです。

    掲載したい意図としては
    『感性は人それぞれ。通じない人には全く響かないこともある』
    という書き手としてはショッキングながら当たり前のことを伝えたいのです。

    いきなり、ブチかましておいて言うのもなんですが正直私はショックでした。
    「この人、私の父なんですけどー?」って感じで。
  • 奈月さま、こんばんは。

    私も、公式連載で「角川文庫キャラクター小説大賞」の過去受賞作品読みました。ホラー以外の三作品。冒頭部分だけ、ですけど、その冒頭の最後までたどりつけませんでした……。挫折です(世楽さまのすぐあとという絶妙のタイミング!)。

    ショックなお気持ち、よくわかります。

    キャラクター小説、キャラクター文芸っていうんですね、こういうの。知りませんでした。ただし、別にとんでもなく個性的なキャラが出てくる、というわけでもないのかー。要は『いわゆるラノベテンプレ要素』をとっぱらったライトノベルですよね、これ。かつ、連作短編形式。なるほど、アニメ化、ドラマ化にはもってこいですね。お金の匂いがぷんぷんしますねー(ビジネスですから、それは別にいいのです)。

    受賞作を読んで思ったのは、ラノベテンプレって、ある意味すごいなーということです。テンプレがないと、こんなにも作者の力量がダイレクトに作品に出てくるのかーと。テンプレだと、あー、またか、まあしょうがないよね、と真剣に読む気は起きませんけど、そうじゃないということは、一応こちらもそれなりの姿勢で読もうとしますから。

    いつまでも異世界チートは続かないでしょうから、いろいろと手を打っておこうとしているのですよね。大変です。

    第三回はプロの小説家の方が選考委員をされているので、もしかしたらちょっと変わっているかもしれませんね。わかんないですけど。

    そうそう、話は変わりますけど、前回グダグダだった「スニーカー文庫《俺のラノベ》コンテスト」の第二回が開催されるそうなのですが、応募作の条件を見て、大笑いしました。

    「新人賞を最終選考まで勝ち抜いた作品」

    これ……まあ、いいや(まごうかたなき苦笑)。ほんっっっっっっと、バッカじゃないの?

    キャラクター小説大賞、締め切りまでもう少しありますし、出してみよっかなーと思っています。ではでは~。
  • 「キャラクター小説」少し大人風味を加味したライトノベルですよねえ。これが角川文庫って一般向けラインナップで選ばれるものかと衝撃だったのですよ。きっと一般向け文芸の最下層であるのでしょうけど。

     地の文で描写が多いのは文芸っぽいけど一人称である以上やっぱり私は違和感覚えましたよ。誰に説明してるんだろう? って(苦笑) 回顧録風とか回想とかって分からないことには突っ込んでしまうなあ。お世辞にも上手い文章とは思わなかったし。あれでいいのかあ(遠い目……)

     俺のラノベ2はね。うん。開いた口が塞がらなかったよ。恥ずかしげもなくよくもあんな募集の仕方ができるよねえ。即戦力になる長編が欲しいのね、はいはいって感じ。(ってことはカクヨムコンで選考残ってるやつじゃダメってことなんですかねえ)
     怠慢だし傲慢だよ。しかもアホ丸出し。やっぱアホなのかあ。泣けてくるわ、ほんと。

     私も「女は~」をキャラクター小説大賞の方に出そうかと思い始めました。今準備してる恋愛もの長編がエブリスタの方の締め切りに間に合いそうなら「女は~」はこっちの方が良いかもって。
     何にしろ書かねばですね。よーし、書き書きしよう。

     それではまた~。
  •  書籍だけでなく広範囲で商品化できそうな出来あいの作品を今すぐ欲しいのかなって私は感じました。

    「The・男の為の作品」そうですよねえ。うーん。なんと言うか、言い方悪いですけど、いい年になってもずーっと同じようなラノベを読んでる男性が多いのではないかと思ってしまいます。

     女性でも、年齢行ってからまた少女漫画にハマったりするけど、女性にはハーレクインって対象年齢上めのものがありますよね。そりゃあ内容的にはあれですけど(-_-;)
     男性ってどうなんだろ? ラノベを卒業して一般文芸に移動できればいいけど、いつまでもラノベを読み続ける人が多いのじゃないかしらって思ってしまいます。もともと硬派な社会派サスペンスやSFを好む人は異世界転生ものなんて読んでないのじゃないですか。

     上でHan Luさんが仰ってましたね。
    >オブラートとコーティングを施された薬は飲みやすいです。でも、サプリメントと生理食塩水だけで人は生きてはいけません。肉や野菜を咀嚼する顎の力は必要です。

     そもそも顎の力を鍛えられてない人たちがラノベに留まってしまうのではないのかと。だからその人たちがお金を落とし続けてくれる限り出版社としてはそれで良いのかもしれません。ばかりか、一般エンタメまでラノベ化の危機にある。怖いですね。

     読書力を持った子どもたちが大人になっても水準を保っていけるようなレベルの本を供給しなければいけないと思うのですが。
  •  ああ。確かに船団という感じはしますね。

     ……ラノベって、私が子どもの頃はまだそんな言葉もなくて、ジュニア文庫は卒業したけど一般文芸はまだ難しいって感じで十代の子たちにはコバルト文庫なんかが読みやすかったのだと。今でこそ少女小説の草分け的な感じですけど、創刊当時のコバルトでは眉村卓や赤川次郎も書いてました。SFやミステリーも読めたんです。それがいつの間にか女子向けになっていて。
     今のライトノベルは十代男性向けっていう定義があるみたいだけど、男子向けのレーベルは後発だったと記憶してます。

     ラノベって、当時の大人たちからしてみれば漫画よりは良いでしょうって程度のものだったと思うのですよね。一応小説ではあるって。まさかそこから読書力が発展しないとは思わなかったのだろうな。
     十代向けレーベルが市民権を得てファンタジーがはやり始めたころ、どっかの新聞が取り上げてたのですよ。今どきの若者は現実の問題と向き合わずファンタジーの世界に逃げ込んでるって。それに対して擁護の記事も出て、ファンタジーという舞台の中で様々な問題と向き合ってるんだ、とかって。
     いつかそこを卒業するならもっともな意見だけど、よっぽど異世界は居心地が良いってことなのでしょうねえ。

     ぼちぼち風向きが変わると感じてる人も多いと思うのですけど。だけどここの最新レーベルであるLエンタメはまだ異世界推しなのですねえ。業界はギリギリまで異世界に乗っかるつもりなのか。まあ、様子見ですね。
  •  スマートニュース連載コン。はじめ告知と募集要項を見たときには異世界臭のない、そもそも読書の習慣のない人たちでも簡単に読めるコラム連載的なものが求められてると思ったのですよ、ワタシ。ところがいざ募集が始まったら異世界をぶち込んでる人があまりに多くて混乱しました。で、創刊新刊がそれでしょう。がっかりでしたよ。
     でもそうですね。一作でも編集部テンプレ通りのまっとうな読み物が選ばれれば違いますね。結果を楽しみに待ちましょう。

     連作短編の基準、どうなんでしょうね。どの程度が独立したエピソードと認められるかが私も不安なところではあるのですが。カクヨムで短編と言えば二万文字以内ですけど、各短編の字数は自由ってある。どこまで自由なのか……。そんなのぶっちぎるくらい面白ければ文句はないのでしょうけどね(-_-;)
  •  スマートニュース連載コンは、イラストが異世界転生ファンタジーでしたからね。そんなもんかとは思っていましたが、置きに行って勝てるものを書く実力がないので諦めました。

     連作短編の基準は、それで一作品を三十分、あるいは膨らませて一時間の映像作品を可能とするものを考えるなら一万五千から二万文字というところですかね。映像化前提のコンテストなら、ストーリーが動かずに字数が増えるものはNGでしょう。それがどんなに文学的に優れた作品であっても同じです。

    『俺のラノベ2』については、もう、ワケわかりません。最終選考作品限定だったら、調べてまた勝手に読めばいいじゃん。誤って落とされた作品を救うというなら、コンテスト形式は必要ありません。カドカワレーベルだったら可能でしょう。
     コンテストの形式にして、そこそこの基準点を持った作品を集めて。無理やり商品化してみて、形をつくる。それにどんな意味があるんでしょうかね。まあ、コンテストの形式を維持するという意味がすごくあるってことだけはわかりますけど……。

     カクヨムのコンテストで思うことなんですけど。根本的なことが間違っています。募集を打って、すぐに選考期間にはいる。応募する人はとりあえず構想もそこそこに書き始める。

     新文芸宣言だか何だかだったっけ。
     読者の評価を受けて、アドバイスや影響で作品を変えていくのが、良い作品を作る秘訣だと、考えているのがわかります。僕から言わせればバカです。キャラクターもストーリーも、本当に優れた作品には統一性が必要です。それはまず創作者がひとりで作り上げるべきものです。その後の評価を真摯に受け止め、ボツにしたり改稿することはあるでしょう。それが作品を磨くことにつながるかもしれない。

     しかし、最初から作品を読者と一緒に作っていこうなんていうなら、アンケートをもとにライターが書けばいい。そんなの創作じゃない。

     企業で意味不明のスローガンが、改革のために立ち上がることがある。でも、こりゃあ間違いですよね。









     
  • ファンタジーはですねぇ、ほんとーはすごいんですよー。ファンタジーにはね、逃げ込んじゃってもいいのです。本物のファンタジーには。それこそ、生きるのがしんどくなったり、現実と対峙できなくなった人の避難場所になったり、回復したり、優れたファンタジーにはそういう力があるのです。本来は。

    (また話が思い切り逸れてしまっています、すみません)

    でもそれは、ちゃんとしたファンタジーのおはなし。カクヨムにたくさんある異世界モノにはもちろんそんな力、一切ないです。異世界モノの異世界は、読み手の願望充足のための舞台装置でしかありません。いま生きている世界とは違う、というだけの意味合いでしかありません。

    本物のファンタジーは、いつかそこから現実世界に戻っていかなければなりません(そういう作品には、ちゃんと現実世界へフィードバックする回路が設けられています)。でも、異世界モノはそもそもそんな構造にはなっていないので、ずーっと居続けても大丈夫。たぶんすごく居心地がいいと思います。

    カクヨムで、「ファンタジー」というタグを見るたびに、私は暗澹たる気持ちになります。むきーってなります。今でもなります。

    ところでっ。キャラクター小説大賞なんですけど、カクヨムから応募した場合、

    「応募受付期間の締切時点までに本文が8万字以上15万字以内であること。なお、長編、連作短編等小説の形式は不問と致します。作品には「完結」のチェックをつけてください。」

    とあるんですよ。

    >長編、連作短編等小説の形式は不問と致します

    ということは、カクヨムから応募したら長編の形をとっていてもいいということなんでしょうか? というか、そういう解釈しかできないんですけど。

    なので、軒下さま、奈月さま、大丈夫なんじゃないでしょうか?


  •  応募規定についてはどうせイージーミスでしょう。
     後でしれっとお詫び文が入るか、とりあえず認めちゃうけど、どうせ選ばれないかどちらかでしょう。僕なら最初から期待しません。
  • >最終選考作品限定だったら、調べてまた勝手に読めばいいじゃん。

     もう探すのめんどいからお前ら勝手に応募して来てよって風に私は受け止めましたよ。そこで使えそうなものが見つかればラッキーって感じですかね。今回も不発なら早々に第三弾も開催されるでしょうね。

    >本当に優れた作品には統一性が必要です。

     おっしゃる通りです。読者の反応を気にしてブレブレな作品に何の魅力がありましょう。だから新文芸宣言はクソだと思いました。
     でも、ちょっと考え直して。これって読者に向けて発信したものなんだよなって。書き手で読者もいるわけですけど、書かない読者にしてみれば、自分も創作の一端に加われるっていうのは、わくわくどきどきするものなのかな??? あの文面ってそこを煽ってる風でもあるよなって。だったらそれ用のジャンルでも作って(君の案が採用される! みたいな)やれば良いと思いますけどね。
     web時代を反映させて、素晴らしい新しい文化時代がやってきた! って煽りで巻き込みたい感がひしひしだけど、実際にはカドカワはまだまだ乗り切れてないわけですよねえ……

    >本物のファンタジーは、いつかそこから現実世界に戻っていかなければなりません(そういう作品には、ちゃんと現実世界へフィードバックする回路が設けられています)。

     私もここに触れようかなーって思ってました。そもそもの来訪型ファンタジーって、アリスにしろナルニアにしろネバーエンディングストーリーにしろ、親の事情で傷ついた子どもたちがファンタジー世界に行って、成長して、戻って来る。現実でちゃんと大人になって、ウェンディのように今度は自分の子どもとピーターパンが戯れているのを目にするわけですよね。

     で、星の王子さまの献辞にありますね。「わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちにはすまないと思う。」何故ならそのおとなは「どうしてもなぐさめなければならない人だからである。」それでも言いわけが足りないなら「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。」

     大人だってファンタジーに慰められていいと思います。きちんと戻って来るって回路を知っている大人なら。
     でもそんな構造のない異世界テンプレにとっぷり浸かってる人たちは大人になりきれてないから戻ろうって頭がない。いつまでひたっている。怖いですね。


    >長編、連作短編等小説の形式は不問と致します

     これ、私も頭をひねりました。カクヨムからなら長編オッケーって風だけど、それ以外から応募の人に対して失礼じゃないのかって、私も思いました。だから分からないのですよ。
     カクヨムは新文芸宣言の申し子だから別枠なのですかね?汗 もしやカクヨムからの敷居を下げることで書き手に登録させようって目論見かー? とか勘繰ってしまいます。大人の事情を忖度しちゃうとまっくら森に迷い込んじゃいます……。
     とにかく私はぶち込んでみますけどね。はっはっはー(混乱)

    >イージーミスでしょう

     ますます信用度が落ちて行きます。アホなのですかね? それとも反応を見てお詫びが入るのだったりして……
  • 往きて還りし物語、ですね。物語の基本、元型です。

    本来、人は無意識のうちに、こういう根源的な、それこそある意味太古からのテンプレートの物語をなぞるものなんですけど。今の世の中はそれほどまでに複雑化してしまったということなのでしょうか。

    あと。ふと思ったんですけど、「異世界転生」って、一度こちらの世界で(トラックにはねられて)死んで、異世界に生まれ変わるわけですから、そもそもこちらの世界に戻ってこれませんよね。往ったっきり物語。だめじゃん。

    いつまでもずーっと向こう側ってわけにはいかないのにねー。
  •  できるだけ引っ張って、打ち切られるまで続ける話なら問題ありません。そもそも完結させる必要がないんですから。

     だから伏線も必要なし。

     読みかじり最高! 飽きたら忘れて、次の作品を読みに行きましょう。大丈夫、どうせほとんど同じだから、違和感なんてありません。

     ああ、なんて素晴らしい世界なんでしょう。
  •  往ったきり物語。駄目ですね。

     いつから出来上がったのか知らないので「異世界転生」って検索しました。

     pixiv百科事典によると
    「このようなプロットをとる作品は古くからあるのだが、近年の隆盛は、元々二次創作の1ジャンルである「作品内のキャラへの転生」のフォーマットをオリジナル作品(一次創作)として落とし込んだのが源流とされる。」

     っほほう。夢小説ってやつが発症なのですね。二次創作は楽しいし好きだったけど、夢小説ってやつ私は大嫌いです。去年初めてその存在を知って虫唾が走った。話の中に自分が入るって、妄想し過ぎだよって。自分の好きな作品を乙女ゲーム(ギャルゲー)化してるってことですね。(私は乙女ゲームやるときにも自分の名前入れるのは嫌です)
     妄想怖い。

     その妄想力を元に出来上がったテンプレが「異世界転生」なら妄想大爆発なのも納得です。


    >大丈夫、どうせほとんど同じだから、違和感なんてありません。

     だからヒロインで勝負しなきゃなのですね。ヒロインカタログのオンパレード。色々納得です。

     もうレーベルがヤバいんじゃないかって予想してる人いますし、私もちょっとそう思いました。
     若手が欲しいのに、若い書き手が育ってないのでしょう。新人賞の応募者の平均年齢が上がってるって何かの記事でありました。
     出来あいの作品だけを募ってるのが俺のラノベコンでしょう。今回のあの募集要項でかなりの人が気づいたと思いますよ。俺ら捨て石だって。カクヨムの人みんな賢いんだから。

     そして図らずも、新文芸の狙い通りに30代40代ターゲットの異世界物(ここはまだ離れられそうもないですね)がますます盛り上がってくるかもですね。
  • こんにちは。
    お邪魔します

    俺ノラノベ2、意外と不評みたいですね。わたしはこれありなんじゃないかなと思いました。だってこれはコンテストではなくて公式の自主企画だと思ったからです。

    ちゃんとしたコンテストとしては、カクヨムの名を冠したwebコンがあるわけで、あるいはレーベルの名を冠したもの、

    そうではなくて、賑やかしのお遊び企画として、普通の公募では恥ずかしくて絶対にできないであろう他社再利用の公募作を集めてみるのは面白い!と思ったのです。
  •  な~る~ほ~ど~。公式の自主企画ですか。確かにノリは軽いですもんね。カクヨムって公式のイベントが弱いからこんなのでも賑わいか。ってことはこの場合、冷やかしで参加するのが正しいでしょうか(真剣)

     良いですね、こういう受け取り方。何より精神衛生的に(笑) 私はネガティブに考え過ぎちゃうので、真反対の解釈は新鮮です。またご意見聞かせてください。
  •  上原さんのコメントを見て、僕もちょっと思いつきました。
     俺のラノベ2。

     これって新人の研修、もしくは編集者の勤務評定のためのテストじゃねぇかって。根拠は、常に新人が一人ずついること。比較するべき対象者がいること。
     しっかりと評価してくれる人は、作者にとっては神の声みたいなもんです。それを求めてみんな努力し、作品を捧げるような気持でドキドキしてる。その認識が間違いなんですよね。
     勤務評定のためのテストなら、編集者も外さないようにガチガチですよ。
     そういえば俺のラノベ1でも、しっかりとしたコンテストで評価してもらえってのがあったような……。

     編集者も作者も未熟なまま触れ合って、そこから生まれる世界を模索しているのでしょうか。
  • >こっちは賞金も選考委員もちゃんとしてますので

     ですね。つまりは俺のラノベコンはお遊びだと。
     書籍化の可能性を示唆してる以上ガチで応募してる人の立場は……。

     新人編集者に何らかの実績を積ませたいってのと、モチベーションアップのための選考員抜擢かなーと思ってました。
     でもそうですね、前回大賞を出さなかったことを考えると、研修研鑽の場ってつもりなのでしょうか~。つくづく本気で作品を差し出してる書き手の立場は……。そんな中でもあわよくば金の卵を拾えないかと期待してはいるのでしょうが。

     どっちのサイドも人材難なのでしょうね。
  • はじめまして。まじりモコと申します。
    奈月様の近況ノートが興味深かったので失礼ですがフォローさせていただきました。


    私の書いている中で「哀傷ゾルレン」という小説に限って、作品の背景から、一人称視点の移動と三人称の挿入があります。
    ネタバレありで話してしまうと、
    これは、この小説が登場人物の少女のために書かれている、という前提があるためです(まだ本編が途中なので作中で明かされてはいませんが)。そしてその少女はすでに死んでいます。話の主軸となる人物の喪失によって、一人称の視点が簡単に移り変わってしまうという演出です。

    また、拙作では章ごとに時系列が変わっています。もちろん少女が生きていた時代の話もありますが、そこでは少女の視点で話は進みません。それは、少女が死後、人々に忘れられやすいという設定があるためです。だから少女はできるだけ裏方に行ってしまう。少女の作ったもの書いたものも後世に残りづらいので、彼女が「見ている」場面は三人称視点になってしまう(少女自身がそうしてしまう)、ということになっています。

    私もあまり、視点の移り変わりは好きではありませんし、読みづらい書きづらいのでやりたくありません。
    ですが「哀傷ゾルレン」に限っては、そういう演出として割りきって書いています。


    やはり、こういう小説も読者様は不快に感じてしまうのでしょうか。
    少し怖くなったので、ご質問とさせてください。
  •  私が個人的に問題にしたかったのは、深い考えもなく、そうしたほうが自分が書きやすいから、楽だから、安易に多視点や人称転換を用いていないかってことです。誰かがやっているのを見て、これで良いんだって真似してしまうことです。良くないです。もっと小説の技法ってものをよく考えろって呼びかけたかったのです。

     作者の挑戦や試みで、そういった仕組みに取り組むのであれば、素晴らしいことだと思います。成功すればすごい作品になると思います!

     対読者ってことに関して述べますと。私自身はけっこう思うがままに作品を書きなぐってしまう方なので、本来は分かってくれる人だけ読んでくれれば良いってスタイルなのです。
     だけど、ネット小説の世界では構成やストーリー上の仕掛けよりも「読みやすく」っていうのが声高に叫ばれてます。分かりやすくってことですね。より複数の人の評価を得たいのであれば作者の試みや挑戦は引っ込めて、かんたんな構成、キャッチーな台詞とストーリーで作品を仕上げるのもありだと思います。

     だけど、それじゃあつまらない。難解なものに挑戦したいっていうのなら、多少の読者離れは仕方ないかなって思います。
     カクヨムの作者さまたちには技巧派な方々も多いので、成功すればそういう方々の評価は得られるかもしれません。

     大多数の読者は考えなくてもストーリーが楽しめる分かりやすい作品に流れやすいのだと思います。そのへんは自分がどこを目指すのかだと思います。まじりモコ様がせっかく今挑戦されているのなら、妥協しないでそのまま突き進むべきだと思いますよ。私の経験上、読者を気にして妥協した作品には必ず悔いが残ります。最初から読者におもねて作った作品ならいいですよー。でもそうじゃないなら妥協はしない方が良いと思います。

     私個人の意見ですので、参考までに。

     人称や視点の問題、読みやすさについては他にも述べられてる人たちがいますから、よかったら覗いてみて下さい。

    https://kakuyomu.jp/works/1177354054884366052/comments

    https://kakuyomu.jp/works/1177354054885197331/episodes/1177354054885800859
  • 奈月沙耶様、
    どうもまじりモコです。

    丁寧なご回答ありがとうございます。
    とても参考になりました。
    今後執筆していくうえで一つの指標とさせていただきます。

    重ねてありがとうございました。
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