🔴「💫ラムレーズンを一粒 (第四宇宙) Ⅲ」⑥ ミッシェル編、
https://x.gd/dV86wミッシェル編、13年の沈黙を破り邂逅する父と娘。亡き恋人の指先を再現するミシェルの『ケルン・コンサート』と封印されたFBI報告書。
💫誰がその指を動かすのか。再会の旋律が、全宇宙の絶滅の扉を開く
第1話 閉じさせてはいけない!
https://x.gd/eL3o5 第2話 パリへ
https://x.gd/bjccu 第3話 モンペリエ
https://x.gd/avVfj 第4話 ベーゼンドルファー
https://x.gd/i72rX 第5話 FBI報告書と三冊のファイル
第6話 感電
第7話 マルセーユ
第8話 アイーシャ
「💫ラムレーズンを一粒 (第四宇宙) Ⅰ」の続編です。
🔴「💫ラムレーズンを一粒 (第四宇宙) Ⅰ」④、
https://x.gd/itltS森絵美・島津陽子編、雨の御茶ノ水。キース・ジャレットが響く講堂で出会った犯罪心理学を追う少女と物理学を志す青年の恋のセッション
第4話 ベーゼンドルファー
「じゃあ、ケルンを……少し、弾いてみるわ」
洋子が静かに鍵盤の前に座った。彼女は背筋を伸ばし、深く息を吐くと、あの伝説の冒頭――会場のベルを模した「ソ・ド・レ・ソ」を叩いた。
だが、その音は重かった。
弁護士として、そして一人の母として、13年間この街で現実と戦い続けてきた洋子の打鍵は、あまりに律儀で、あまりに重厚すぎた。Part Ⅰの中盤、旋律が熱を帯びる手前で、洋子は不意に手を止めた。
「だめね。私には、この曲の背後にある空白が耐えられない」
洋子は力なく首を振り、席を立った。代わって、それまで影のように壁際に立っていたミッシェルが、吸い寄せられるようにピアノの椅子へ向かった。
バイエルを少しかじった程度だと聞いていた。だが、彼女が鍵盤に向かう所作には、初心者の迷いは微塵もなかった。
ミッシェルは、静かに目を閉じた。完全なブラインド。そして、彼女の指が最初の音を紡いだ瞬間、リビングの空気が凍りついた。
「ソ・ド・レ・ソ」
それはピアノが鳴っているのではなく、空間そのものが振動しているようだった。
明彦は息をすることさえ忘れていた。つい数時間前、車内で「パパ、ママのどこが好きになったの?」と無邪気に笑っていた少女は、もうどこにもいなかった。
明彦は、自分の血が引いていくのを感じた。目の前で鍵盤を叩いているのは、自分の娘なのか。それとも、25年前のケルンの夜をそのまま引き写し、さらに歪曲させて出力する、精緻な自動人形(オートマタ)なのか。バイエル程度の知識でこれほどの打鍵ができるはずがない。その指の動きは、学習の成果ではなく、すでに「知っている」者の迷いのなさだった。
洋子は、大屋根を開け放ったピアノの傍らで、幽霊でも見たかのような顔で立ち尽くしていた。ショパンを正確に弾きこなす彼女の指先が、かすかに震えている。
洋子にとって、この演奏は「恐怖」そのものだった。自分が正しく教育し、守り育ててきたはずのミッシェルの内側に、自分には決して触れられない、そして理解することもできない巨大な「何か」が居座っている。それを裏付けるかのような完璧な打鍵。洋子が13年間、必死に蓋をしてきたはずの深淵が、ピアノの音色となって部屋中に溢れ出していた。
「……信じられない……バイエルしか知らなかったというのに……」明彦の唇が震えた。