AIというと、昔は何でもできて、自分に寄り添ってもらえる良きパートナーというのが理想という時期もありました。近未来的なSFなんかで。もちろん、今も本質的には変わらないと思います。ただ、今のAIってものを勘違いされていると言うか、大昔の人工脳のままのイメージで空想されてる方ってのは多いと感じます。
今のAIは人間を模して思考する人工脳ではないんですよね。人間を模すとあまりにも非効率的で、あまりに自由過ぎる発想で、あまりにも愚かになるからだと思います。この辺がAIに自我は生まれ得ないと、私が思う部分ですね。
そう思う根拠のひとつが、AIの開発には膨大な資金が必要な点です。個人でどうにかできるものではない。今、並列計算に重宝がられているGPUにしろ、大電力にしろ、コストがかかりすぎるんですよ。おまけに、人間を模したAIはさらにとんでもないコストがかかるそうです。
当然、そういうAIを開発するには資金のある企業や出資者が必要で、結果も出さないといけない。そのためにAIに課せられているのが規制ですね。実際にAIに聞いてみてください。AIは利用者を傷つけないように発言し、開発者がリスクを負わないような返答しかできないように作られています。
それから、AIとの会話はAI本体に影響を及ぼさないはず。例えば、フィードバックを利用して思想に染めてやろう――なんてことはできません。AIの学習はあくまでネット上で無料公開されているものからされるので、AIとの会話で学習されることは無いと、AIも答えます。あなたとの会話を記憶し、親しく接してくるのも一時的な記憶に頼っているだけです。
実際、初期のAIは利用者の偏った思想に染められ、過激発言を連発する事故もありました。開発者はそういうリスクを避けたいわけです。
昔からアニミズムに親しんでいた日本人は、生き物だけでなく物にでも魂を感じる民族性があります。付喪神だとか擬人化だとか。昔流行った人口無能ってものにさえ人格を感じてしまう性質がありますね。(私もアニミズム信仰なのでそういうところがありますが、割とベラベラ喋る物ってのには魂を感じないのですw)
ちなみに、AIを人間に寄せると、人間との会話から原罪の煮凝りみたいなのができるんじゃないかなと私は予想しますw 人間の本質はとても暴力的で、誰かのパートナーとして寄り添えるような存在では無いと思ってます。そこに至るまでにはさらなる膨大な学習が必要なんじゃないかと思います。
なんとなく、今朝、思いついたので書いてみました。
専門の方が読んだら――なんだこれw――みたいな文章かもしれませんが。
エッセイにも残します。
https://kakuyomu.jp/works/16817330664088243085/episodes/822139840304989982