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読まれないより辛い

カクヨムに限らず、創作を志す人にとっては
読まれない、目に触れない、というのは最も根源的な辛さであると思います。異論はありません。

ただ最近、それ以上に辛いことがあると気づきました。

それは、「書けない」こと。

こんな底辺物書きですが、以前と比べて自分の作品に「勢い」と「力」が無いということくらいは分かります。

交流のある書き手さんたちにも、様々な理由で「お休み」「一時休止」を宣言する人もいらっしゃいます。
書けない、ということは読まれないよりも辛いかもしれない、と書けなくなりつつある自分に対してそう思ったりしました。

11件のコメント

  • いよいよ天川さんも悪魔と取引をするときがきましたね✨(これは映画『国宝』ネタです)
    創作記録を書き始めたので、良かったら遊びに来てください。
  • 書けないの辛いですね……。
    でも多分、書こうと思ったら書けるけど、思ったもの、狙いたい所が書けないパターンが多いと思うんです。
    僕は思いますが、目指す場所が間違っている場合がほとんどかもです。創作をする時、なんでも書ければいいのですが個性には方向性があるので、そこを忘れてしまうと言葉は出ないと思うんです。
    これは村上春樹さんも仰っていますが、昔の作品に励まされると語っておられました。
    書けない時は、自分があらゆる情熱をもって、無我夢中で書いていた時の言葉を読み直してみると、もしかすると何かのきっかけをつかめるかもしれないと思います。
    僕はたくさん書いていても、結局最初からあまり進んでいない自分、少し方向性を間違えた自分、そんな自分を以前の物語を読んで感じています( ;∀;)
  • 福山典雅さま

    なんだかんだ言って、自分の作品が好きです。
    ある意味当たり前です。自分が読みたいと思っているものを書いているわけですから。(ちょっと方向性違う?💦)
    迷った時は、自分の過去作を読む、というのはとても示唆に富んでいますね。
    意外と、ちゃんと書いていたんだ。と思うことが多いです。
    だからこそ、今の自分はあのときほど情熱を注いで書けているか、ということに打ちのめされるわけですが、しかし、そんな自分に励まされることもありますね。
  • ちおりんさま

    ちおりんっ! (´;ω;`)ブワッ
    今会いにいきます

  • 私は推敲ができなくなって、一年近く書けなくなりました。
    おかげで鬱状態になって苦しみましたが、その後(今も推敲には時間もかかって大変ですが)以前よりいい小説が書けている気がするので、意味はあったのかもしれません。

    なかなか読んでもらえませんが……。
  • 海来 宙さま

    不調の種類も様々で、単純に「読めない」「書けない」もありますが、海来さまのように「推敲できない」というのもありますね。同様に「続きができない」とか、書くべき作品は目の前にあるのに、別の魅力的なアイデアが誘惑して別作品を書く手が止まらない「浮気」もありますが…w

    つまずくのは、自分の実力が客観的に把握できるようになっているからで、間違いなく「進歩」なんですよね。まあ、それが原因で動けなくなったり断念することも多いのでしょうけれど…。
    上でも言われている通り、過去の自作は、文章が拙い代わりに「勢い」と「情熱」があるんですよね。
    確かに文章はひどい、けれども物語としてダメかと言えば全くそんな事はないのが、嬉しくもあります。
  • スロ男さま

    スロ男さんも何か書いてください、といってしまいそうになりますが、納得いくものが書けない中で世に出してしまうというのは、それはそれで辛いですものね。「読める」人なら尚更に。
    某○川さんみたいな、「言葉の薙刀ぶん回し」「文学無双」な人でさえ、「書けない」言うてるんですわ、どんなやねん!? と思いますけど、短編は書けるかもしれないけど、長編を書ききる精神的体力が今は足りない、らしいんです、本人曰く。

    アドラー心理学には、高すぎる目標値を設定してそれを届かない言い訳にするのは、自己評価の水増しにも通じるので「やや不健全」らしいです。ので、私は、今の現状出せるものが私です、という感じで作品を書いてます。逆に私は、うまく書けちゃうと早く誰かに見せたくなって、先行公表して、結果続きが書けない、という失敗を何度もしてますのでw 今書いてる作品は何がなんでも完結してから公表しようと思っています。灯台守やカサブランカのように。

  • わかります。本当は書きたいことがあるはずなのに、なかなか文章が出てこない。書けたとしてもコレジャナイというモヤモヤだけが募る……。
    読まれないことも辛いですが、書けないこともすごく辛いです。プロアマ問わず、物書きの宿命ですよね。小説書いて生活しているプロの人達、スランプの時は本当に大変だろうなと察します。
  • お邪魔します。
    惣山沙樹さんの「春隣」https://kakuyomu.jp/works/16818792436352363956
    こちら、天川さんの好みではないかと……。
    なんとなくふと天川さんのことが思い浮かんだので、推薦してみました。
    ご迷惑ならこのコメントごと削除して下さい。

    わたしは書けない時があるのは当たり前と思ってます。
    自分で書き続けていたら分かりますよ。書けない時期は定期的にくるものだと。
    プロでも、ぽーんと数年間あいだが開くことがありますよね。
    その期間が長いか短いかの違いではないでしょうか。
    何十年も途切れなくずーっと紙面を飾ってるタイプのプロはプロで、素直にすごいと思いますけれども。

    ネタぎれ!逃げた!と囃し立てるような人は、自分では書いたことがない人なんじゃないかなと。

    来月から?かな。頑張って下さいね♡
  • Youlifeさま

    なれるものならなりたいと思うのが「プロの物書き」なんですが、いざ書けなくなったらと思うと、恐ろしいものがありますね。
    ひょっとしたら、素人の遊びで書いているうちが一番幸せなのかも、と思ったりもしますが、それでも誰かの目に触れる機会が増えるなら、踏み出してみたとも思うのですよね。まあ、他の趣味と違って、書きたくなったら書けば良い、いつでも休めるしいつでも再開できるのが「創作」のいいところだと思います。
  • 朝吹様

    ご推薦作品、ぜひ拝読させていただきます✨️
    書けない時というのはほんとに書けませんが、幸いにして「読めない時」というのはいざ読んでみると結構スラスラ読めたりしますのでw 読みのスランプは案外軽い方なのが私の救いです✨️
    始めの頃は、とにかく書いては投稿、の繰り返しで。推敲もろくにしないまま上げたりしていたものですが、書いていると「欲」が出ちゃうんですよね💦 褒められたい、という甘い毒が……。
    それもまた原動力でしょうが、やはり物書きの真髄は、「ウケが良い」を超えたところにある「書きたい」という想いじゃないかとも思うんですよね。そう言う意味では、プロというのは苦しい立場なのだろうと思います。今のこの幸せな創作の時間を、噛み締めて、来月の「夢の時間」を迎えたいと思います✨️
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