ちょっと国立国会図書館サーチで調べたら、
太田勘解由、田中勘解由、有田勘解由、上田勘解由、山本勘解由、野村勘解由、生田勘解由、伊藤勘解由、斎藤勘解由とかざらに勘解由はいる。
傳田勘解由はこの名字とは違うとAIは言う。
他姓の勘解由は、その代でたまたま、伝馬役、会計、接待役、コーディネーターをさせられて1代限りが多いが、
傳田勘解由は、なにせ、傳田の傳が伝馬役の伝だから勘解由というコーディネーターが運命づけられた家。
傳田織部という信濃国の藩に目付がいたことを考えると、
寺社奉行の与力・同心レベルが仕事相手だった模様。
老中の柳沢吉保とかは相手にするわけないと。
で、
善光寺、熊野三山、高野山、増上寺、幕府、伊勢神宮はほぼほぼ、案内役だったんだと、
AIは言う。
