『信濃古代史考』161ペイジ
「積石塚古墳で最大の積石塚古墳群は、大室古墳群である(長野市松代町大室)。大室古墳群について、大塚初重は次のように書く。
積石塚を主体とした20〜30基のグループの中に、合掌形石室を埋葬施設とした積石塚が含まれているのを特徴としていることが注目される。(中略)横穴式石室を主体とする一つの単位にまとまる古墳群の中に、2、3基ずつの合掌形石室墳が混じっているので、合掌形石室への埋葬を期待し、願望する強い意識が、一世紀以上にもわたって系譜的に維持され続けたとすれば、それはそうした葬制によって結合する同族的集団の存在が考えられる。
合掌形石室については、韓国忠清南道公州邑錦町の百済の合掌形石室と極めて共通した特徴を有している。もちろん、ただちに百済からの渡来系氏族集団と速断してよいかは疑問であるが、積石塚の集中的な分布と、特異な構造で、古墳時代前期からの伝統的な墓室構造からは導き出せない合掌形石室の登場は、大陸、こと朝鮮半島を母国とする渡来系集団の墓制の出現とみてよいのではないかと思われる。
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ここから傳田の私見。
このあとの記述を読むと、古墳とは同じ血脈の氏族が確実に埋葬されたらしいから、古墳に埋葬された人物と氏族を一緒にする家は特別に他の多数の周りの家とは区別されてたと私は考える。そこからただちにウチは長野市(水内郡高田)の首長の阿部氏(仮にの話し)の直系で?とは考えず、他とは区別されながらもやや差別された部民で?阿部氏の逝去に伴い、お墓に氏族が亡くなったときに祖霊となり?守る勢いで近くに子孫は住んだし、、、ということなのではないか。」
