一見、傳田織部が益田織部就高とかになりすまし、第二次長州征伐に出たかと思いきや時代が違いすぎる。
ただ、乃美織部組という毛利の重臣団があり、古田織部の茶とか文化の美学を重視したんじゃないかと思われる組合があったのは確か。
ただ、長州藩に内部分裂があり、尊皇攘夷の南朝正統論の葉隠にも似たよーな、
死ぬことと見つけたり的な滅びの美学で?
傳田氏もそれに呼応して?
江戸幕府方は長州に負けるが、尊皇を主張したまま、
デモクラシー的な門閥主義に、
死んでも抵抗した証しとか?
傳田氏はどーせ負けると分かってた?
死んではいないと思うが?
