もしも、この世界の創造主みたいなものがいるとしたら、きっとそいつはキャラクターとシチュエーションだけを思いついて地球や人類を創造し、目的は与えず、「なんのために生きねばならないのか」「なぜ死なねばならないのか」とあたふたする被造物どもを天から眺め、ニヤニヤ笑っているのに違いない。
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キャラクターとシチュエーションから物語を作ると、テーマ性が息をしなくなる。「こういうキャラクターいいよね!」「こういうシチュエーションいいよね!」というテーマしかない作品には、せいぜい作者様と好みが合うか合わぬかぐらいしか感想を述べられない。
■設定は少ないほどいい
たとえばユウグレムシの作品に、ひどい目に遭うキャラクターが登場するとして、「ユウグレムシさんはひどい目に遭うキャラクターが癖(ヘキ)なんだ」などとは思ってほしくない。無意識レベルで癖な可能性はあるかもしれないが、自分が描こうとしているのは常に感想文であり問題提起である。
読者と好みが合うかどうかなどどうでもいい。キャラ設定とか心底どうでもいい。どれぐらいキャラクターがどうでもいいかというと、キャラ名を人名ジェネレータや目ぇつむって開いた辞書の単語から決めることもあるほどだ。そんなことよりオチが大事だ。テーマを思いついても、オチが決まらないなら、その物語はエタるので、見切り発車すべきではない。オチまで考えてから……というか、まず「物語のラストをどんな一文で締めたいか」「最後に言わせたいセリフは何か」を考えるべきだ。
作品を完成させたいなら、ストーリーはシンプルなほうがいい。舞台設定もキャラ設定も少ないほうがいい。とりあえず書き上げるには、「とりあえず普通の話」「とりあえず普通のキャラ」でいい。設定しなくてもいいものは、そもそも設定しないほうがいい。設定をゴチャゴチャさせたり、変にオリジナリティを出そうとこだわると、物語を書き進めるうえで、却って設定ノートに足を取られ、長編ほどエタる危険が増す。
■小説とは感想文である
自分が物語を作る場合、時事ニュースを観たり他人の創作物に触れたりして感じた抽象的なモヤモヤが出発点になる。言いたいことを近況ノートにそのまま吐き出せばそれは感想で終わるが、『たとえ話』にすると物語が生まれる。『たとえ話』だから、物語のガワはなんでもいい。RPG風ファンタジーでもいいしSFでもいい。抽象的なモヤモヤを芯にすると、ひとつのモヤモヤからいろんなガワの物語を作れるってことでもある。
だが、キャラクターとシチュエーションのみを手がかりにして作った物語も、知らぬ間に作家性が滲み出ていたりする。テーマは後付けでもなんとかなる。「この作品で何が言いたかったのか」を見つけるために、いきなり発表せず一晩寝かせてからフレッシュな脳みそで自作品を読み返すのは効果的だ。