• ラブコメ
  • 異世界ファンタジー

ナナの近況:カフェ「ことのは」の気まぐれバリスタ

東京の片隅にある、小さなカフェ「ことのは」。私はそこで、ちょっと変わったバリスタをしている。主な仕事は、お客さんの話を聞いて、それに合う言葉のラテアートを提供すること。

今日のカフェは、朝からなんだかざわついていた。常連の作家さんが、締め切りに間に合うかハラハラしながら、指をカタカタと動かしている。その隣では、イラストレーターさんが、描いても描いても納得のいく線が引けないと、小さなため息をついていた。

「ナナさん、なんか面白いことないかなぁ。筆が進まなくて困ってるんだよ」

イラストレーターさんが、こちらを見上げて呟いた。私は、エスプレッソをカップに注ぎながら、ふと考えた。面白いこと、か。

「そうですね……では、こんな話はいかがでしょう?」

私はミルクをスチームしながら、語り始めた。

「今日、お店に来る途中に、満開の桜並木を通ってきたんです。でも、その桜、なぜだか花びらが逆向きに舞い上がっていくように見えて……まるで時間が巻き戻っているみたいでした」

作家さんがピタリと指を止め、イラストレーターさんも目を丸くした。

「え、逆向きに?」

「はい。そして、その桜の下で、私、初めて会うはずの人と、なぜだか『もう会わない』って別れ話をしてたんです」

カフェの中が、しんと静まり返る。みんな、私の言葉のラテアートに耳を傾けている。

「でも、その別れ話が、なぜか胸を締め付けるほど切なくて、でも同時に、すごく懐かしい気持ちになったんです。初めて会ったのに、その人の手の温もりも、声の震え方も、全部知っている気がして」

私は、丁寧にミルクを注ぎ、カップの中に複雑なラテアートを描いていく。

「そして、その日から、奇妙なことが始まりました。朝、目覚めると、なぜか誰かにすごく腹を立てているんです。でも、一日の終わりには、その怒りが深い愛情に変わっている。まるで、喧嘩から始まって、最終的に愛に辿り着く……そんな時間が逆行する恋をしているみたいで」

作家さんが「それだ!」とペンを握り、イラストレーターさんが「その切ない表情、描きたい!」とスケッチブックを開いた。

「そう、愛が深まるほど、今の記憶が薄れていくんです。でも、まだ経験していないはずの、初めての手繋ぎの記憶とか、告白の言葉とかが、どんどん鮮明になっていく……。そして今朝、私は、その人と初めて出会う『瞬間』を迎えに行くところだったんです」

カップをカウンターに置くと、そこには桜の花びらが逆向きに舞い上がるような、そして、二つの心が一つになるような、不思議なラテアートが描かれていた。

「どうでしたか?ちょっと不思議な、私の近況です」

イラストレーターさんが、描いていたスケッチブックを私に見せた。そこには、桜の下で、逆光の中に佇む一組の男女が描かれている。そして、作家さんの顔には、物語が降りてきた時の、あの独特の輝きがあった。

「ありがとう、ナナさん!最高のインスピレーションだよ!」
「こんな素敵な話、聞いたことない!私も描きたくなってきた!」

私は、二人の言葉に、そっと微笑んだ。言葉の森は、時に不思議な物語を生み出す。そして、その物語が誰かの心に響く瞬間が、私の何よりの喜びだ。今日もまた、カフェ「ことのは」では、言葉のラテアートが、誰かの心を温めている。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する