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努力はしたくない、ですか?

 「努力はしたくない」そんなセリフを見聞きしてあなたはどう受け止めるでしょうか。
 生物の生存戦略として、楽をできるなら楽をするってのは普通、らしいですが、じゃあ人間も同様だろう、と溶けてしまうのは道理なのかもしれません。

 考えたのですが、これにもまた絶対的か、相対的か、という視点があると思うのです。
 絶対的だと、資格試験とか、芸術分野とか。
 相対的だと、比べた時の魅力とか、入学試験とか。
 他にも思いつくなら、どちらであるか考えてみましょう。

 本題は、したくない努力はどちらなのか?
 絶対的努力はするだけ有利になる。相対的努力は、いくらしても、それより高いスペックにどうしても劣って評価されない。これが常です。
 もし努力を諦めた理由が後者であるならば、是非とも前者の努力した経験はどうだったかと、思い返すのは有効ではないでしょうか。それこそ、できて嬉しい、達成できて楽しい。まさしくこれですね。
 もっと言うなら、社会的能力というのは一定までは絶対的努力側に、一定以上は相対的努力になるのでしょう。ハイエンドを求めるのはいけませんが、少なくとも絶対的努力だけはしておくべきなのかな、と。

 まぁ、そんなこと言いつつ、私は「努力はしていない」派閥です。やってることを努力と思わないことで、やりたいことの実現に必要なことだと思うことで、絶対的努力を行うという。少なくとも、相対的努力で追い詰められることはないスタンスです。
 代わりに、義務感は非常になくなってしまいますけどね。難しい。

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