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物語は物語であり作者は要るか?

 ネタに肉付けして物語を練って肉付けする。
 普段からしていることなのですが、そこに作者の思想や思惑が必要なのか、と思うわけです。もちろんエッセイやら論評なら幾らでもあっていいと思います。そういう文章ですからね。
 しかし小説ともなれば、ノンフィクション出ない限りは、あくまで語り手として位置すべきかと。

 というのも、話の肉付けがほぼ終わってるものについて、生成AIに矛盾とか問題がないか、を聞いてみたんですよね。そのときに「メッセージとして何があるのか?」を聞かれたんですよ。
 そもそも作品にメッセージを込めるつもりはないため、ない、と答えたらそれをベースに色々と回答してくれたのです。
 しかしそういうことを質問してくる、ということは、即ち、物語にはメッセージが必要であるという認識が、一般ないしはAIの物語に対する姿勢にはあるということです。
 教訓があればいい物語なのか、学べることがあればいい物語なのか。しかしそれらは読み手が理解した感想であって、執筆者の作りたい、作ろうといった情熱からは逸脱していると思うんですよね。
 主張が一貫していればいいのか? あるいは行動が徹頭徹尾一貫していればいいのか? 意図があって伏線を用意して、キャラクターか演じる。ここに、台本を作った作者が割り込む余地はないというのが、私の認識です。

 あくまでも、あらゆる設定は舞台装置とキャラクターの行動指針であって、作者が教鞭を振るうためのものではない。
 今一度、あなたの描いたキャラクターたちは、あなたの代弁者になってませんか? と見直してみるのはいかがでしょうか。
 

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