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1月17日を迎えて

※本記事には、震災に関する個人的な見解・分析が含まれます。あらかじめご留意ください。
※当事者の体験や痛みを代弁する意図はありません。ただ、災害が社会と人生にもたらす「不可逆な変化」を、記録として見つめ直したいと思っています。
※本稿は、拙作とは切り離した個人の記録として、ここに残します。

今日は1月17日。阪神・淡路大震災が発災した日です。

もとより私は、震災を扱ったドキュメンタリーやインタビュー集、個人撮影の一次ソース等をよく見るタイプの人間でした。
しかし、半年ほど前から小説を書き始めてから、よりその傾向が強くなった気がします。

理由はシンプルで、私が書いている小説の主要登場人物全員のバックグラウンドに、震災とトラウマを設定しているからです。
ただ、彼らの物語を描く際、いわゆる「震災文学」のように被害そのものを直接描写することはあまりありません。
むしろ、震災の前後で「変わってしまった人生」や「社会システム」に重きを置いています。

なぜそのような作風になったのか。自問自答した結果、私自身の「震災との関わり方」が大きな理由だったような気がしました。

■「観察者」としての距離感
振り返ってみれば、私は常に災害の「外側」にいました。

阪神・淡路大震災:当時は北陸在住。親戚からの伝聞や報道でのみ関わる。
東日本大震災:当時は兵庫在住。発災時は大阪で就職面接中。帰りの電車の中、ニュースで見た光景を覚えています。
能登半島地震:地元に近い場所でしたが、当時は神奈川在住。やはり伝聞と報道でした。

熊本地震や大阪北部地震などもありました。
しかし、各地を移動してきた割に、幸運にも自分自身が直接的な被災者になることはありませんでした。

これは、災害を「個人の悲劇」としてだけではなく、「日本というシステムに与える不可逆な変化」として捉える視点を育てたのかもしれません。
同時にそれは、当事者足らしめない一種の限界でもある、とも思います。

■「トラウマプレート」としての不可逆性
震災関連の話題において、「トラウマ」という単語が度々出てきます。
語源は「傷」とされ、今では主に心的外傷の総称として使われています。

これは私の勝手な解釈ですが、「トラウマ」とは「不可逆の変化」と定義することもできるのではないでしょうか。

防弾チョッキに仕込まれるセラミック板は、俗に「トラウマプレート」と呼ばれます。
このプレートは、銃弾を受けた際、自らが砕け散ることでエネルギーを相殺し、“不可逆な変化(破壊)”をもって着用者の命を守ります。
一度砕けたプレートは、二度と元には戻りません。しかし、その変化があったからこそ命は続く。

同様に、災害が社会に与えた影響もまた、不可逆の変化をもたらしました。

例えば、阪神・淡路大震災以前、神戸港はコンテナ取扱量で世界上位にありました。
(※年次や集計元で変動はありますが、震災前に世界6位級だったという記録もあります)
しかし復旧の過程で迂回経路が定着し、「元に戻す必要性」が薄れた結果、地位は相対的に変化した――そうした説明もされています。
つまり、震災によって変容したのは神戸だけでなく、物流や経済の文脈では世界全体だったとも考えられます。

「復興」は「以前と同じ状態に戻すこと」と言われがちですが、現実には“完全な復元(リストア)”は難しい。
街を再建し、設備を整えても、人々の意識やコミュニティの形が、完全に元に戻るとは限らないのだと思います。

■変化を受け入れ、記録すること
ただ、この変化はネガティブな面だけではありません。

阪神・淡路大震災の教訓から耐震基準が強化され、災害対応の制度も更新されていきました。
東日本大震災を経て、津波に対する防災意識や法整備といった「社会のアップデート」も確実に進んでいます。

砕けたプレートは元に戻らない。けれど私たちは、新しい装備を身につけることはできる。

直接被災しなかった部外者だからこそ、マクロな視点、システム論的な見方が強くなり、拙作にもその視点が多分に現れているのだと思います。

本日、1月17日。
メディアでは様々な震災関連のコンテンツが発信されています。
私はこれまで通り一人の観察者としてそれらの情報に接しながら、同時に、その「変化」の意味にもう少し真正面から向き合っていきたいと思います。

■最後に
今私たちが生きる世界は、トラウマプレートのように砕け散った不可逆な変化の上に成り立っている――私はそう感じます。
1月17日、5時46分。あの日の静寂と轟音に、静かに祈りを捧げます。

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