Nリーガ
正式名称は日本公式リーガ(Nippon offizielle Liga)。1960年に10チームでの創設以降、参加チームは増えていった。現在はN1リーガからN5リーガまでの5部制で、各20チーム、合計100チームが在籍している。
また、昇降格も存在し、下位2チームが自動降格、上部リーガの18位と下部リーガの3位が「入れ替え戦」を行う。
1950年の平和条約締結による日本の国際社会復帰を記念し、戦前から日本に輸入されていたスポーツの一つであるサッカーを普及させ、西洋諸国との友好的な関係の一助とすることを目的として創設された。
当時の企業や財閥がそれぞれ有していたサッカークラブや新設したサッカークラブを用意し、有力企業・財閥を背景に有する10チームがNリーガ所属チームとなった。現在、これら10チームはエアスタツェーン(Erste Zehn)と呼称されている。
初代王者は東亰Fußball Klub(東亰FK)。これ以降、国民新聞社をスポンサーに持つこのチームと、布商人を起源とする横浜の瀬戸財閥が有する横濱マーレ(現横浜マーレ)が優勝を争いあう、東濱時代がはじまる。この争いは1970年代初頭まで続いた。やがて、1967年には参加チームは20となる。
1970年代以降、エアスタツェーンはじめ、様々な強豪チームが出来上がる。代表的なのは第一次黄金期を迎えた指宿ゾステロプス、横浜マーレへの対抗心を燃やした横浜プテロス、国有電機をスポンサーに持つアウグスト大阪、新規参入チームとしては、国民新聞社が有する神奈川県川崎市の、川崎グレンゼが上位チームと互角の戦いを演じた。
こうした中、参加チームの増加と受け、さらなる競争の推進のため、N2リーガの創設が決定。これに伴い、NAL(Nippon Amartur Liga)より参加希望チームを定員10チームとして応募を募り、応募チーム16チームでのトーナメントの末、N2エアスタツェーンが決定され、Nリーガは2部制へと変貌を遂げる。
これ以降、N2新規参入チームは増えていき、1979年にはN3創設、1988年にはN4が創設され、日本におけるサッカーは普及し続けた。なお、N4は新規参入の窓口を設け、よりサッカーの普及と競争を促すため、参加ライセンスがとりやすくなっている。
1990年、Nリーガは創設30周年を迎え、第1節の東亰FK VS 指宿ゾステロプスの試合では、開幕式典が執り行われた。ここで旧外地(1939年以後に日本領になった地を指す。近年、差別用語との指摘もあるが、ここでは1990年までNリーガ参加が認められていなかった地域の意で用いさせてもらう。)をホームタウンとするチームのNリーガ参加を認めた。
これにより、樺太県内でのNリーガ参加の意欲が高まり、真岡漁業組合と豊原水産がそれぞれサッカー部をいずれNリーガチームにすると宣言。
2000年、Nリーガは地域に根ざしたチームをスローガンにN5を設立。地域にサッカーを普及させることでより広い競争を目標とした。ここに、昨年度社会人リーグ2位の成績で真岡漁業組合サッカー部を前身とする真岡シュピーゲルが加入。Nリーガ初の旧外地をホームタウンとするチームだった。