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映画を観た。「博士の異常な愛情」を観た。

何という恐ろしい映画なんだろうか!何という恐ろしい映画なんだろうか!

突然リッパー将軍から発令された出撃命令。目標はソ連の軍事施設。この攻撃が始まれば、ソ連の軍事はあっという間に壊滅し、反撃すら、行えなくなる。我が国の「貴い体液」から奴らを締め出せ!我軍の勝利をもたらすのだ!

…といった非常に不穏な導入から動き出すこの白黒映画は、(映画内の状況を考えると)やがて非常に長ったらしい時間をかけて、暑苦しい愛国心を持った人間による祖国への誇りをかけた論争が繰り広げられる。

そこから先は言わないでおく。ここでは、私の感想を簡潔ながら語らせていただこう。

よく、「戦争は老人が始め、若者が戦い、死ぬ。」という言説を見かける。不思議なことに、戦争の規模が大きくなればなるほどその言葉は真実味を帯びる。

この映画を観ているとき、私は背筋がゾワゾワしてたまらなかった。ずっと両手を固く結んで、張り詰めた目をずっと向けるほかなかった。

この、「老人」という枠組みは、非常に大きな意味を持ってこの映画内で演出される。印象的である。リッパー将軍の管轄する基地で副官を務めるマンドレイク大佐や大統領などのストッパーの役割をした人間たちは総じて顔が若く、リッパー将軍やペンタゴンで愛国心を熱弁した将軍は総じて貫禄のあるシワを刻んでいる。

この間隙。この間隙を、B-52は飛んでいくのだ。全ては、「親愛なるジョン」からの宅急便を届けるために。

しかし、上は動かない。真面目くさった顔で、敵国を出し抜くための正当性を語る。「2000万の犠牲か、1億6000万の犠牲か。2000万の犠牲で全てが済むのなら、そっちのほうがいい。」と、彼は強烈な排他的愛国心を振りかざし、叫ぶ。

これが井戸端で爺がうだうだ言っているならば、それは平和だ。しかし、B-52は飛んでいるのだ。「目標到達まで残り15分」と語られていても、未だに熱弁をする。

まさしく、老人が戦争を始めている。己の生まれ育った国への愛による盲目で、敵国に対して積極的な攻勢に出る。その命令を遂行するのは、若者だ。B-52に乗った若者が、忠実な形で遂行し、世界は乱れていく。全ては、様子のおかしくなった老人によって狂っていくのだ。

ここまで書いておいて初めて知ったことであるが、この映画はブラックジョーク映画であるという。そう、ブラックジョークだ。

ジョークにしては張り詰めすぎやしないだろうか。私だけなのだろうか?面白さよりさきに、恐ろしさが顔を出す。

この映画における笑いどころは…私が思うに、地上と天空との間における認識のズレ。これであろうか。核爆弾投下令を最も間近で見た人間からの命令よりもコカ・コーラによる訴訟の方に気が向く兵士。人類が滅亡しようとしている間にも繰り広げられる両国大統領の絡み。これが面白いのだろう。

そう、両国大統領の絡みがま〜た恐ろしいもので、アメリカ側の大統領はまるでやけを起こした女を宥めるかのように核爆弾が投下される寸前であることと、それによる防衛準備を指令せねばならない。との2つを語っているのだ。

もし、背後でB-52が飛んでいなければ、ここは本当に面白いシーンであったのだろう。

しかし、確かに核爆弾は配達されているのだ。彼らの絡みも、壮絶な同士討ちの最中にも、核爆弾は目標に近づいているのだ。

この恐ろしい事実を透かして見させられている状態で、どうやって笑えばいいのだろうか?笑えるものも、笑う事はできまい。

いやはや…ほんとうに、秀逸なブラックジョーク映画…というよりかは、「ブラック」映画だ。

この、緊急事態化でもいちいち会議を重ねるという権威主義的な組織トップの動きは、現場との軋轢を描くフィクションだけでなく、今の現実社会においても容赦なく適用される。

「今それどころじゃないんだよ!マジで、」と心の底から思いたくなる事象が、そこかしこで存在している。

強烈な核爆発のエネルギーが、牧歌的なポップ音楽を添えて地球を破壊する。

その状況下でも、彼らは愛国心を基に他国を出し抜こうとするのだろう。破滅的汚染の独占権を巡って、胸を張り続けるのだろう。

彼らは、敵国に怯えながら、それでもなお勝利を宣言するのだ。死ぬまでずっと、声高らかに。

…恐ろしい映画であった。個人的に思うことであるが、「博士の異常な愛情」はブラックジョーク映画ともう一つ、ホラー映画のカテゴリにも追加していいのでは無いのだろうか。そんな体験をした。脳みそが焼き尽くされた感覚がする。しばらくは、抜けなさそうだ。

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