昨日は私が私でないような感覚がした1日であった。常日ごろ感じている、地面に足が絡みついている感覚…確かに歩いているんだという実感…その消失が起こっていたためであった。
まるで、私以外の誰かが私の視界を用いて生活をしているかのようであった。妙な興奮、妙な浮遊感。タイトルにも書いてあるような、発泡スチロールが海に流されている様の如き不安定さ…
これら、地上と私とを繋ぐ鎖が破断してしまったためであろうか。それとも、鎖が新たな何者かに改めて接続されたためであろうか。僕というのは存在しなくなってしまい、やがて「そいつ」が僕の生活を謳歌し始めてしまうのだろうか。
そんなことを考えていると、うすら寒い思いがする。脳内で響く叫び声、そしてこちらをじっと見る自虐的な罵詈雑言の魂。奴らに意識の主導権を渡してしまってはならない。
僕がまだ正気でいられるのは、僕のコントロールが僕自身で行えているためだ。狂気を持ち寄らせまい、と奮闘しかあるまい。
しかし、その一方で、この感覚下にいる時、一つプラスに作用する効果が表れてしまった。いつもの比にならないくらい筆が進む。ありえないほどに筆が進む。
3時間手を休めることなく、1から物語を書き、3,000文字程の作品を完成させてしまっている。いつもの調子と比べると3倍以上のスピードだ。
この物語は手直ししてどこかで投稿してみようかと思う。「手」にまつわる短編になる予定だ。
さて、話を戻そう。ここに、一つの誘惑がある。「狂気の創造力」に身を任せ、「正気の編集力」で手直しをする。このルーティンは本当に創作が捗るのだ。
どうしても、一時だけ、僕じゃない何者かに意識を明け渡しても良いのではないだろうか?と考えてしまう。
いやいやいや、不味いのはわかっている。しかし、想像もしてみてほしい。
己の奥深くに隠れている創作のインスピレーションを表出させてくれるドラッグを、服用による身体的な服作用が無い上、捕まる心配もなしに服用できるという誘いがあるとする。身体能力の解放もこれに含まれるとしよう。これに貴方は乗るかどうかという話だ。
まあ、一度だけたら…と好奇心に駆られて服用してしまう人間は少なくあるまい。
私もその状態と同じなのだ。インスピレーションを提示してくる狂気の人格に、一度くらい身を任せてみようと思っているのだ。
しかし、それと同時に私は知っている。大抵そういう薬には依存性があるのだ。知れば知るほど、それに判断の大部分を明け渡していくのだ。
それは本当にまずいだろう。自分の体験が言うには、狂気に任せているときには社交性がほとんど失われる。人の話し声に煩いを感じ、暴力に走ってしまいそうになる。
それに意識的判断をすべて任せてみるとどうなるだろう?あっという間に孤立だ。才能無しの孤立だ。朽ちていくに決まっている。
だからこそ、この誘惑には徹底して拒絶をせねばならない。狂気のドラッグに来ないかと言う手招きに、僕は背中を向けなければならない。もし両方向から招かれたら、地面に背中を向けてやる。空に背中を向けてやる。
自我を失ってたまるか。そう、強く意気込む。夜が明けてぐっすりと寝れたという事実は、無事に正気を取り戻せそうな予感を抱えて僕の前に身を投げだしていた。
いつしか正気の世界で狂気のアタマを輸入できるよう…この世界に私の足を繋ぎ止める鎖を持たねばならない。「自己反芻」の喜びか、「反省」のブレーキか。
どんな手でもいい。どんな手でもいいのだ。正気のアタマでどうにか鎖を繋ぎ止めなければならないのだ。もう陽も高くなり、ぽかぽか花畑から頭が出る。
今日もまた、試しに外へと歩いてみることにしよう。1歩ずつ、1歩ずつ、地面の固さを神経に巡らせながら。
p.s. 写真を貼った。泣きそうなほどにきれいな空だったため、共有したかった。
昼の終焉はどうしてあんなに美しいんだろうか。あの、夕日が潰えて夜になる瞬間。きれいだった。本当に、きれいだった。